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	<title>医療 &#8211; ヒダスト</title>
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	<description>飛騨地方に生きる、飛騨人のストーリーを刻むメディア。</description>
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	<title>医療 &#8211; ヒダスト</title>
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		<title>人のためになることを。飛騨の「閉塞感」や「生き辛さ」に寄り添いたい ー 銅島裕子 (ひだ高山整形外科 / 公認心理師)</title>
		<link>https://hida-st.com/2019/07/09/doujimayuuko/</link>
		
		<dc:creator><![CDATA[丸山純平]]></dc:creator>
		<pubDate>Tue, 09 Jul 2019 06:47:52 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[高山市]]></category>
		<category><![CDATA[40代]]></category>
		<category><![CDATA[カウンセラー]]></category>
		<category><![CDATA[医療]]></category>
		<category><![CDATA[移住者]]></category>
		<category><![CDATA[経営者]]></category>
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					<description><![CDATA[<p>ひだ高山整形外科で「こころの相談室」を運営する、公認心理師でカウンセラーの銅島裕子さん。元々は広告営業のお仕事をされていましたが、あるきっかけからカウンセラーの道へ進み、飛騨へと移り住んで来られました。 飛騨のしがらみに [&#8230;]</p>
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										<content:encoded><![CDATA[<p><img loading="lazy" class="aligncenter wp-image-2774" src="https://hida-st.com/wp-content/uploads/2019/06/doujimayuuko01-1024x654.jpg" alt="" width="540" height="345" srcset="https://hida-st.com/wp-content/uploads/2019/06/doujimayuuko01-1024x654.jpg 1024w, https://hida-st.com/wp-content/uploads/2019/06/doujimayuuko01-300x192.jpg 300w, https://hida-st.com/wp-content/uploads/2019/06/doujimayuuko01-768x491.jpg 768w, https://hida-st.com/wp-content/uploads/2019/06/doujimayuuko01-1920x1226.jpg 1920w, https://hida-st.com/wp-content/uploads/2019/06/doujimayuuko01-100x64.jpg 100w" sizes="(max-width: 540px) 100vw, 540px" /></p>
<blockquote><p>ひだ高山整形外科で「こころの相談室」を運営する、公認心理師でカウンセラーの銅島裕子さん。元々は広告営業のお仕事をされていましたが、あるきっかけからカウンセラーの道へ進み、飛騨へと移り住んで来られました。</p>
<p>飛騨のしがらみによる「閉塞感」や、周囲の目や評判を気にしてしまう「生き辛さ」に寄り添いたい。さまざまな価値観を認め合って、イキイキと自由に生きるためにメンタルケアを身近にしたい。そんな銅島さんの、飛騨で生きるすべての人に届いてほしい想いを伺いました。</p></blockquote>
<h2>広告営業の仕事から、心理カウンセラーの道へ</h2>
<p>岐阜県美濃加茂市で生まれ、生後すぐに関東へ引っ越し、学生時代は千葉、社会人時代は東京で過ごします。小さい頃からピアニストを夢見て、音大進学を目指しましたが絶対音感がなく、高校2年生の時にこれ以上は上手くなれないと断念しました。そのまま大学まで一貫校の、いわゆる「お嬢様」女子大学の英文科に進学します。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>学部は消去法で選び、無目的に進学したので、なにか頑張った経験もないまま大学生活が過ぎました。華やかな業界に憧れて、卒業後は広告代理店に「なんとなく」就職します。新しい広告を企画したり、スポンサーとの営業のやりとりはそれなりに面白かったのですが、ずっと続けようとは思っていませんでした。</p>
<p><img loading="lazy" class="aligncenter wp-image-2916" src="https://hida-st.com/wp-content/uploads/2016/07/yuko32yosirokuro-1024x886.jpg" alt="" width="540" height="467" srcset="https://hida-st.com/wp-content/uploads/2016/07/yuko32yosirokuro-1024x886.jpg 1024w, https://hida-st.com/wp-content/uploads/2016/07/yuko32yosirokuro-300x260.jpg 300w, https://hida-st.com/wp-content/uploads/2016/07/yuko32yosirokuro-768x665.jpg 768w, https://hida-st.com/wp-content/uploads/2016/07/yuko32yosirokuro.jpg 1531w" sizes="(max-width: 540px) 100vw, 540px" /></p>
<p>ちょうど就職して3年目の時に、会社が統合されることになり、営業職ゆえに顧客にいつも商品を売り続けないといけないという状況に、一生続けられる仕事ではないと考え、仕事を辞めました。人生の大きなターニングポイントですね。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>人から「ありがとう」と言ってもらえる仕事がしたいと悩んで、思いついた選択肢が、当時未経験大募集の「システムエンジニア」・社会人からでも学べる「看護師」・まだまだ未曾有？の業界「心理カウンセラー」の三択でしたが、結局、一番自分にしっくりきそうな、しかし最もお給料が低そうなカウンセラーの道を選びます(笑)。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>専門学校に入学し「精神保健福祉士」という国家資格を取得しました。精神保健福祉士は「ソーシャルワーカー」とも呼ばれ、精神障がいがある方やその家族への日常生活の訓練や指導、就労のアドバイスを行うことで、自立へ向けた生活をサポートする仕事です。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>卒業後は、都内にある精神科のクリニックで働き始め、「統合失調症」や「うつ病」や「アルコール依存症」といった精神障がいの方を支援するお仕事に就きました。社会復帰のプログラムやカウンセリングを通して、患者さんが元気になっていく様子がとてもうれしく、やりがいを感じましたね。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>それまでの人生でほとんど勉強してこなかった私が「心理学をもっと学びたい」と、29歳で大学院受験に挑戦します。専門用語ばかりの論文もはじめは読むのに１か月かかりましたが、なんとか試験をクリアして筑波大学院カウンセリングコースに進学します。「うつ病を認知行動療法でなおしたい」と思い、自分がやりたいテーマの研究に没頭できるのはとても楽しく、深い学びとなりました。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>大学院を卒業して「さあバリバリ働くぞ！」と思っていた矢先に、なんと32歳で結婚・妊娠・出産と一気にまたもやさらなる転機がきます。そのまま主人の出身地、高山市へと移住することになりました。</p>
<h2>メンタルケアはもっともっと身近なもの</h2>
<p>飛騨高山に住んでみて、お水が綺麗で美味しいことにびっくりしました。水道からあたりまえに美味しい水が出てくる。またお酒、お米、お野菜など水に関連するものがとても新鮮で美味しい。これらは飛騨の宝かと思います。</p>
<p>しかし逆に衝撃的であったのが、人間関係の濃さ・近さでした。ある高齢者に、「これ、そこのあんさまは、昔私の知り合いで&#8230;&#8230;」とか「ご主人と同級生で昔は〇〇で&#8230;&#8230;」と話しかけられた時は、「なんで他人の個人情報にここまで詳しいのか？」と驚きました。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>関東では、人口規模の違いもあると思いますが、まずスーパーや飲食店で「知ってる人に会う」ことがめったにありません。また何処に住んでいるとか、家族関係とか、職業などの情報は遠慮して最初は聞かない。さらに大学院では、カウンセリングで話された個人情報や秘密を守るようにと、しつこいくらい指導を受けてきただけにかなり衝撃的でした。</p>
<p>でもこれって、飛騨流のあいさつ、気づかい、地域付き合いのマナーなのでしょうね。基本的に、飛騨の方は皆さん真面目で良い人ばかりだと思います。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>そんな飛騨では3人の子どもを育てる日々でしたが、自身のキャリアを閉ざしたくない想いは強かったです。高山市役所で月一回の無料相談窓口を担当させていただきながら、心理学やうつ病に関する論文をいくつか執筆しました。でもやっぱり、思うように動けない環境下にモヤモヤは募るばかり&#8230;&#8230;。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>次の転機は38歳、2013年に主人と「ひだ高山整形外科」という医院を開業したことです。整形外科では、足腰の痛みや肩こり、打撲、捻挫、骨折などの怪我、関節の痛み、傷の治療を行い、お薬の処方や、MRIやX線撮影、骨密度などの検査、手術やケガの後の運動機能の回復のためのリハビリテーションも行ないます。</p>
<p><img loading="lazy" class="aligncenter wp-image-2776" src="https://hida-st.com/wp-content/uploads/2019/06/doujimayuuko02-e1560767986845-1024x602.jpg" alt="" width="541" height="318" /></p>
<p>そんな整形外科に併設で『こころの相談室』を開きました。こころの相談室は「精神病が重い人」がいらっしゃるわけではなく、みなさん「少し話をきいてほしい」「ちょっと眠れない」「最近気分がブルー」「仕事がうまくいかない」「家族の人間関係を良くしたい」など、どちらかというと「こんな話でもいいの？」と戸惑いながら初回来談してくださります。</p>
<p>お気軽に相談にいらっしゃって良いんです！そもそも重篤な症状になってしまう前にカウンセリングを上手に利用することは、メンタルケアとしてとても大事かと思います。</p>
<h2>飛騨の「閉塞感」や「生き辛さ」に寄り添いたい</h2>
<p>私は悩める人の背中を押して、少しでも飛騨が活力のある町になるようなお手伝いをしたいと思い、日々カウンセリングを行っております。その際に大事にしていることは、患者さんに敬意を払いながらお話を伺うことです。</p>
<p>患者さんの歩まれてきた人生やストーリーに興味関心を最大限に傾けて、まるでひとつの映画を観るように内容を伺っていきます。最終的に、そのストーリーを客観視して、悩みを解決する糸口を見つけていくのです。患者さんが縛られている足枷を少しでも軽くすることができるか、患者さんと一緒に探していくイメージです。</p>
<p><img loading="lazy" class="aligncenter  wp-image-2917" src="https://hida-st.com/wp-content/uploads/2016/07/co-room-e1562656354700.jpg" alt="" width="361" height="253" /></p>
<p>飛騨地方では「アルコール依存症」の患者さんも多く、さらに「対人恐怖」を抱えた方もたくさんいらっしゃいます。表向きは明るく振る舞って、地域行事に参加はしているけれども、内心では恐怖感から外にも出たくない。人との繋がりが深い地域だからこそ、水面下で息苦しさを覚えている方、また無意識に苦しめられている方がたくさんいらっしゃる。</p>
<p>いかに世間の目に縛られて、逃げ場がなくなっているか。「●町の△さん」でその人が分かってしまう匿名性が保てない環境下では、治療の幅も広がっていかないのが現状です。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>例えば、心理療法の一つに「グループカウンセリング」という治療法があります。これは同じ悩みを共有する人たちで集まり、「その気持ち分かる！」とか「私はこんな風に解決しました」といった当事者同士の共感・情報交換の場をつくる治療法です。これが非常に大きな治療効果を生むのですが、飛騨ではプライバシーが保てないためなかなか成立しません&#8230;&#8230;。</p>
<p>やはり地域として、「多様性」への理解や配慮が深まっていくことが大事です。つまり人は他人と違っていても大丈夫で、その違いを共感はできなくても理解はする、許容できる地域になっていけば生き辛さが減っていくのかなと思います。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>イキイキと自分らしく生きるために、メンタルケアはあなたにとって身近なものなはずです。ちょっとココロが風邪を引いたかな？いやココロの骨折かも？と思ったら、ぜひお気軽にご相談くださいね。</p>
<p><img loading="lazy" class="aligncenter wp-image-2919" src="https://hida-st.com/wp-content/uploads/2016/07/IMG_1446-1024x702.jpg" alt="" width="542" height="372" srcset="https://hida-st.com/wp-content/uploads/2016/07/IMG_1446-1024x702.jpg 1024w, https://hida-st.com/wp-content/uploads/2016/07/IMG_1446-300x206.jpg 300w, https://hida-st.com/wp-content/uploads/2016/07/IMG_1446-768x526.jpg 768w, https://hida-st.com/wp-content/uploads/2016/07/IMG_1446-1920x1316.jpg 1920w" sizes="(max-width: 542px) 100vw, 542px" /></p>
<blockquote><p>人口10万人あたりの自殺者数が、県や国の平均よりも高い高山市。</p>
<p>決して他人事ではなく、現代社会で生きている以上、誰もがココロを病んでしまう可能性があります。</p>
<p>安心して本音や事情を話せる場がある。知っていることで、救われる命がある。</p>
<p>自分自身も、自分の大切な人も、みんながイキイキと幸せに生きられる地域を目指して、今日も銅島さんは飛騨の「閉塞感」や「生き辛さ」に寄り添い続けます。</p></blockquote>
<h2>連絡先</h2>
<p>銅島裕子(どうじまゆうこ)<br />
<a href="https://www.facebook.com/yuko.dohjima" target="_blank" rel="noopener noreferrer">https://www.facebook.com/yuko.dohjima</a></p>
<p>メールアドレス：yuko0114@msn.com</p>
<p>医療法人天照会 「ひだ高山整形外科」 公式サイト<br />
<a href="http://www.hidatakayama-seikei.com/" target="_blank" rel="noopener noreferrer">http://www.hidatakayama-seikei.com/</a></p>
<p>&nbsp;</p><p>The post <a href="https://hida-st.com/2019/07/09/doujimayuuko/" target="_blank">人のためになることを。飛騨の「閉塞感」や「生き辛さ」に寄り添いたい ー 銅島裕子 (ひだ高山整形外科 / 公認心理師)</a> first appeared on <a href="https://hida-st.com/" target="_blank">ヒダスト</a>.</p>]]></content:encoded>
					
		
		
			</item>
		<item>
		<title>「ママになったらHida mommy」を目指して、未熟な私の挑戦 ー  周真希子 ( Hida mommy 代表)</title>
		<link>https://hida-st.com/2018/12/26/shumakiko/</link>
		
		<dc:creator><![CDATA[丸山純平]]></dc:creator>
		<pubDate>Wed, 26 Dec 2018 08:05:42 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[高山市]]></category>
		<category><![CDATA[30代]]></category>
		<category><![CDATA[医療]]></category>
		<category><![CDATA[子育て]]></category>
		<category><![CDATA[市民活動]]></category>
		<category><![CDATA[移住者]]></category>
		<category><![CDATA[起業家]]></category>
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					<description><![CDATA[<p>&#160; Hida mommy代表として、飛騨のママの情報サイト「Hida mommy」を運営する周真希子(しゅうまきこ)さん。しかしその半生は、数々の挫折と遠回りの日々でした。 愛媛から移住して奮闘する、周さんの「 [&#8230;]</p>
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										<content:encoded><![CDATA[<p><img loading="lazy" class="aligncenter wp-image-2169" src="https://hida-st.com/wp-content/uploads/2018/12/23172765_1531145623633108_6098548483179707348_n.jpg" alt="" width="543" height="343" srcset="https://hida-st.com/wp-content/uploads/2018/12/23172765_1531145623633108_6098548483179707348_n.jpg 955w, https://hida-st.com/wp-content/uploads/2018/12/23172765_1531145623633108_6098548483179707348_n-300x190.jpg 300w, https://hida-st.com/wp-content/uploads/2018/12/23172765_1531145623633108_6098548483179707348_n-768x486.jpg 768w" sizes="(max-width: 543px) 100vw, 543px" /></p>
<p>&nbsp;</p>
<blockquote><p>Hida mommy代表として、飛騨のママの情報サイト「Hida mommy」を運営する周真希子(しゅうまきこ)さん。しかしその半生は、数々の挫折と遠回りの日々でした。</p>
<p>愛媛から移住して奮闘する、周さんの<strong>「飛騨のママへの想い」</strong>をどうぞご覧ください。</p></blockquote>
<h2>牧場育ちの自由な気質</h2>
<p>愛媛県西予市宇和町で生まれました、3人兄妹の末っ子です。両親が酪農経営をしているため、<strong>牧場</strong>で育ちました。田舎どころか、車で10分下るとようやく民家が見えるくらいの<strong>山奥</strong>です(笑)。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>大自然の中で自由に遊んだり、一人で空想を広げる時間が好きでした。<strong>縛られたくない性格</strong>なのか、あんまり学校は好きじゃなかったな。目立ちたがり屋の元気な女の子で、中学校ではテニス部に入りました。だけどやっぱり楽しかった記憶はありません。</p>
<p>そんな斜に構えていた私でしたが、高校ではかけがえのない二人の友人に出会いました。後々、自身で人生を切り開いていった友人を近くで見ていたからこそ、私も自身の変化や挑戦を肯定できたのかもしれません。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>当時は、将来やりたいことが思いつかなかったんですよね。親に相談したら「松山大学は就職率が良いし、いろんな人に出会えるから大学へ進学した方が良い」と言われて、推薦入試で松山大学経済学部に合格しました。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>高校卒業まで時間ができたから、いろいろと読書していたんです。そんな折、父親から「これおもしろいけん」と勧められた本が<strong>『ユダヤ人大富豪の教え / 本田健』</strong>でした。ある大学生がユダヤ人のお宅でホームステイする中での学びが記された本なのですが、この一冊が衝撃的で、<strong>人生って自由に生きていいんだ！</strong>と思えたんです。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>今までは決められたカリキュラム、枠組みの中で生きてきました。私は部活や勉強に没頭しているわけでもなかったから、<strong>人生はこんな感じで過ぎていくのか</strong>・・と、<strong>どこか諦めていた</strong>んです。だけど人生って、自分次第でいくらでも変えられる。それは大きな気づきでしたね。数年後に父親に薦めてくれた感謝を伝えたら、本人は全く覚えていませんでしたが(笑)。私の<strong>人生のバイブル</strong>です。</p>
<h2>ボロボロ新入社員から専門学校へ入学</h2>
<p>それまでは読書が好きではなかった私が、図書館でアルバイトするほど、読書へと傾倒していきました。大学生活で学んだことはたくさんあるけれども、要所要所で出会ってきた<strong>人や本に、私は救われてきました</strong>ね。</p>
<p><img loading="lazy" class="aligncenter wp-image-2184" src="https://hida-st.com/wp-content/uploads/2017/12/shumakiko.daigaku-1024x541.jpg" alt="" width="541" height="286" srcset="https://hida-st.com/wp-content/uploads/2017/12/shumakiko.daigaku-1024x541.jpg 1024w, https://hida-st.com/wp-content/uploads/2017/12/shumakiko.daigaku-300x158.jpg 300w, https://hida-st.com/wp-content/uploads/2017/12/shumakiko.daigaku-768x406.jpg 768w, https://hida-st.com/wp-content/uploads/2017/12/shumakiko.daigaku.jpg 1280w" sizes="(max-width: 541px) 100vw, 541px" /></p>
<p>&nbsp;</p>
<p>経営やビジネスに興味が湧いたので、直接的に携われる職種を探していたら「コンサルタント」という仕事があることを知りました。コンサル系の会社を中心に就活して、その名の通り「株式会社ビジネスコンサルタント」に就職します。私は東京の新宿営業所に配属が決まり、上京したい気持ちもあったので、それも叶いました。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>だけど憧れの<strong>社会人生活はボロボロ</strong>でした。仕事は営業担当だったので、毎日ひたすら新規の営業でテレアポです。ですが、怖くて電話を一件も掛けられない日もありました・・。</p>
<p>同期や先輩はすごく素敵な方ばかりで、配属されたチームにも恵まれたんです。上司も頭から怒るのではなく、失敗を一回一回丁寧に振り返ってくださる方々でした。しかし全然仕事ができないまま・・自分の心の弱さに負けてしまって、諸々事情もあって<strong>2年ほどで退社</strong>してしまいます。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>実家に戻って「これからどうしよう？」と落ち込んでいた時に、親から<strong>「国家資格を取ってみないか？」</strong>と勧められたんです。実家から40分くらいのところに看護学校がありまして、受験したらまさかの合格をいただき、<strong>24歳で宇和島看護専門学校に入学</strong>しました。3年間の看護学生生活が始まったんです。</p>
<h2>看護学校での学びと祖父の看病</h2>
<p>私は決められた枠にハマることが苦手なので、楽しい思い出ってあんまりないです。看護学校は厳しい課題も多いから、なんとなく入ってしまうとキツイ世界。5人に1人は卒業までに辞めてしまいます。ほぼ周りは高校卒業したばかりの18歳たちの中で、私よりも年上な<strong>友人4人に巡り会えたことが一番の救い</strong>でした</p>
<p>&nbsp;</p>
<p><a href="https://www.facebook.com/aya.isida.7" target="_blank" rel="noopener">石田彩</a>、<a href="https://www.facebook.com/reina.matsumura.75" target="_blank" rel="noopener">松村玲奈</a>、<a href="https://www.facebook.com/megumi.hashimoto.1840" target="_blank" rel="noopener">橋本めぐみ</a>、<a href="https://www.facebook.com/hikaru.matsumoto.7906" target="_blank" rel="noopener">松本光</a>。今でもずっと連絡を取り続けている、<strong>かけがえのない親友</strong>たちです。この4人に出会わなければ私は確実に辞めていましたね・・(笑)。みんな私の5歳上くらいで人生経験が豊富。いろんな相談に乗ってくれて、なにより私にも<strong>対等に接してくれた</strong>のが嬉しかったです。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p><img loading="lazy" class="aligncenter wp-image-2182" src="https://hida-st.com/wp-content/uploads/2017/12/shumakiko.kango_-1024x504.jpg" alt="" width="539" height="265" srcset="https://hida-st.com/wp-content/uploads/2017/12/shumakiko.kango_-1024x504.jpg 1024w, https://hida-st.com/wp-content/uploads/2017/12/shumakiko.kango_-300x148.jpg 300w, https://hida-st.com/wp-content/uploads/2017/12/shumakiko.kango_-768x378.jpg 768w, https://hida-st.com/wp-content/uploads/2017/12/shumakiko.kango_-1920x944.jpg 1920w" sizes="(max-width: 539px) 100vw, 539px" /></p>
<p>&nbsp;</p>
<p>看護学校2年生の冬に、近くに住んでいた母方の祖父が身体に異変を感じて、精密検査をしたら<strong>末期の肝臓ガン</strong>だと判明しました。抗ガン剤の治療もしんどい中、祖父の意志を尊重して在宅での看取りとなります。看護実習の真っ最中でしたが、<strong>祖父の家に泊まって看病</strong>しました。学んだ知識を活かして、祖父の病状を少しでも和らげることができたのがよかったですね。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p><img loading="lazy" class="aligncenter wp-image-2168" src="https://hida-st.com/wp-content/uploads/2018/12/230614_124318857649132_7251211_n.jpg" alt="" width="540" height="304" srcset="https://hida-st.com/wp-content/uploads/2018/12/230614_124318857649132_7251211_n.jpg 720w, https://hida-st.com/wp-content/uploads/2018/12/230614_124318857649132_7251211_n-300x169.jpg 300w" sizes="(max-width: 540px) 100vw, 540px" /></p>
<p>&nbsp;</p>
<p>両親は今でも牧場を経営しています。生き物相手の仕事だから、365日家を空けることができません。私は両親に代わって牧場の仕事で祖父の葬式に出られなかったから、最後に関わることができてよかったです。同時に<strong>働くって本当に大変で責任あること</strong>なんだと痛感しました。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>また看護師として患者さんの<strong>QoL(生活の質)</strong>を上げるのはもちろんですが、じゃあその<strong>ご家族はどうだろうか</strong>。どういう気持ちで看病に来ていらっしゃるのだろうか。祖父の看病を通して<strong>自身が当事者</strong>になったからこそ、見えてきた視点でした。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>卒業後に看護師として働きましたが、患者と看護師という関係性だけではなく、<strong>一人の人間として尊重し合うこと</strong>を意識していましたね。寝たきりで言葉を発せられない方でも、意識はあるから本質は変わりません。看護師だからといって20代の私が「〇〇さん大丈夫ー？」みたいな砕けた口調は、敬意がないかなと思うのです。私はなるべく<strong>丁寧な言葉遣い</strong>を心がけていました。</p>
<h2>高山で感じた孤独から「Hida mommy」が生まれる。</h2>
<p>地元が高山の主人との結婚を機に、仕事を辞めて移住を決意しました。高山に来た当初は、主人が経営する接骨院やエステの、スタッフのみなさんとの繋がりに助けられていました。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p><img loading="lazy" class="aligncenter wp-image-2183" src="https://hida-st.com/wp-content/uploads/2017/12/shumakiko.wedding-1024x564.jpg" alt="" width="539" height="297" srcset="https://hida-st.com/wp-content/uploads/2017/12/shumakiko.wedding-1024x564.jpg 1024w, https://hida-st.com/wp-content/uploads/2017/12/shumakiko.wedding-300x165.jpg 300w, https://hida-st.com/wp-content/uploads/2017/12/shumakiko.wedding-768x423.jpg 768w, https://hida-st.com/wp-content/uploads/2017/12/shumakiko.wedding.jpg 1152w" sizes="(max-width: 539px) 100vw, 539px" /></p>
<p>&nbsp;</p>
<p>だけど出産して子育てをし始めた時に、<strong>すごく孤独を感じた</strong>んです。<strong>「子育てについて、誰に相談したらよいんだろう？」</strong>何が分からないのかも分からない状況でした。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>そんなある時、出会ったママ友からいろんなイベントを教えてもらい、世界が大きく広がりました。外から高山へ来た人や初めての育児をする人たちは、同様にすごく困っているだろうな。ならば自分から発信してみようと思い、約1年前に<strong>LINE@を用いてイベント情報の発信</strong>を小さく始めました。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>自分が集めたイベント情報を、主催者に問い合わせて確認し、丁寧に情報配信していました。そこまで多くは配信できなかったけれど、活動を始めたらいろんな方がどんどん人や情報を繋いでくれたのです。無料で情報配信する代わりに、LINE@の宣伝をお願いしていたら、あっという間に<strong>登録者が300人を超えました</strong>。</p>
<p><strong>もっといろんな情報を発信したい。</strong>そんな思いから2018年5月にホームページを制作して、飛騨のママの情報サイト「Hida mommy」がスタートします。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p><img loading="lazy" class="aligncenter wp-image-2171" src="https://hida-st.com/wp-content/uploads/2018/12/hidamommy-1024x538.png" alt="" width="541" height="284" srcset="https://hida-st.com/wp-content/uploads/2018/12/hidamommy-1024x538.png 1024w, https://hida-st.com/wp-content/uploads/2018/12/hidamommy-300x158.png 300w, https://hida-st.com/wp-content/uploads/2018/12/hidamommy-768x403.png 768w, https://hida-st.com/wp-content/uploads/2018/12/hidamommy.png 1200w" sizes="(max-width: 541px) 100vw, 541px" /></p>
<p>&nbsp;</p>
<p>副代表の<a href="https://hida-st.com/2018/09/12/nakanomasako/" target="_blank" rel="noopener">中野雅子</a>さんとは、二人の子どもが同じ年子で月齢も近かったことから児童館で声をかけて、一緒にやりましょうと巻き込みました。今は産休に入られたので、どこかでまた接点をもらえたら嬉しいな。Hida mommyの初期を支えていただいた、ありがたい存在です。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p><img loading="lazy" class="aligncenter wp-image-2173" src="https://hida-st.com/wp-content/uploads/2018/12/nakanomasako07-e1536629806900.jpg" alt="" width="540" height="356" srcset="https://hida-st.com/wp-content/uploads/2018/12/nakanomasako07-e1536629806900.jpg 960w, https://hida-st.com/wp-content/uploads/2018/12/nakanomasako07-e1536629806900-300x198.jpg 300w, https://hida-st.com/wp-content/uploads/2018/12/nakanomasako07-e1536629806900-768x506.jpg 768w" sizes="(max-width: 540px) 100vw, 540px" /></p>
<h2>「ママになったらHida mommy」を目指して</h2>
<p>飛騨のママたちの日常の中に、Hida mommyが自然に入り込んでいるのが理想です。ごはんを作るときにレシピサイトを見るように、ちょっと時間が空いたときや困ったときにHida mommyを覗くような。<strong>「ママになったらHida mommy」</strong>が合言葉になると最高ですね。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>今後、力を入れていきたいのは<strong>「サービス情報」</strong>です。例えば、お出かけしたときに「この辺りに遊べる公園はないかな？」とか「車椅子も入れるトイレはないかな？」と、近隣の多目的トイレや公園情報を調べられたら便利ですよね。</p>
<p>飛騨地域の多目的トイレを調査された「高山病弱児を守る会 あかりんぐ」の勝田なお子さんとコラボして、<strong>Hida mommyのエリアマップ</strong>を現在鋭意制作しております。WEB上で随時更新できるのが、紙媒体にはできない強みです。</p>
<p>トイレや公園を調べたその時に、Hidamommyの会員企業さんのお店情報やクーポンをゲットすることで、<strong>飛騨の産業の底上げ</strong>にも貢献できたらいいなと考えています。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>10月にはママと子どもが楽しめるイベントをコンセプトに<strong>「mamameparty」</strong>を飛騨市で開催しました。「助産院なお」の<a href="https://hida-st.com/2018/10/10/nagatanaoko/" target="_blank" rel="noopener">長田直子</a>さんや、「NPO法人飛騨高山わらべうたの会」の<a href="https://hida-st.com/2018/07/04/iwatsukakumiko/" target="_blank" rel="noopener">岩塚久案子</a>さんと共同開催で、当日は約6000人のお客様にご来場いただきました。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p><img loading="lazy" class="aligncenter wp-image-2172" src="https://hida-st.com/wp-content/uploads/2018/12/nagatanaoko07-1024x554-1024x554.jpg" alt="" width="541" height="293" srcset="https://hida-st.com/wp-content/uploads/2018/12/nagatanaoko07-1024x554.jpg 1024w, https://hida-st.com/wp-content/uploads/2018/12/nagatanaoko07-1024x554-300x162.jpg 300w, https://hida-st.com/wp-content/uploads/2018/12/nagatanaoko07-1024x554-768x416.jpg 768w" sizes="(max-width: 541px) 100vw, 541px" /></p>
<p>&nbsp;</p>
<p>すごく良い経験になったし、Hida mommyを多くの方に知っていただけたことは嬉しかったです。だけど運営面は長田さんや岩塚さん、副代表の中野さんにおんぶに抱っこで、<strong>自分自身はやりきれませんでした</strong>。悔しい気持ちもありますが、経験を糧によりクオリティの高いものを今後は提供していきたいと思います。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p><img loading="lazy" class="aligncenter wp-image-2170" src="https://hida-st.com/wp-content/uploads/2018/12/DSC_4546.jpg" alt="" width="540" height="323" srcset="https://hida-st.com/wp-content/uploads/2018/12/DSC_4546.jpg 1000w, https://hida-st.com/wp-content/uploads/2018/12/DSC_4546-300x179.jpg 300w, https://hida-st.com/wp-content/uploads/2018/12/DSC_4546-768x459.jpg 768w" sizes="(max-width: 540px) 100vw, 540px" /></p>
<p>&nbsp;</p>
<p>近い将来、<strong>Hida mommyを法人化</strong>する予定です。現在、一緒に歩んでくれる<strong>パートナーを募集</strong>しています。またコラムを執筆してくださる<strong>ライター</strong>の方も随時募集中です。いろんな方に関わっていただいて、みんなでHida mommyを創り上げていきたい。Hida mommyから、飛騨地域で楽しく子育てができるイメージを抱いてもらえたら嬉しいです。</p>
<h2>きっかけを創り続けるために、未熟な私だけど挑戦したい</h2>
<p>飛騨で一番好きな場所は、高山市立図書館前のカフェ<strong>「WA・SA・BI」</strong>さんです。ここが初めてママ友とお茶した場所で、高山でもこんなに素敵なカフェで、美味しいチーズケーキが食べられるんだと感動しました。</p>
<p><img loading="lazy" class="aligncenter wp-image-2189" src="https://hida-st.com/wp-content/uploads/2017/12/S__2015242-1024x580.jpg" alt="" width="541" height="306" srcset="https://hida-st.com/wp-content/uploads/2017/12/S__2015242-1024x580.jpg 1024w, https://hida-st.com/wp-content/uploads/2017/12/S__2015242-300x170.jpg 300w, https://hida-st.com/wp-content/uploads/2017/12/S__2015242-768x435.jpg 768w, https://hida-st.com/wp-content/uploads/2017/12/S__2015242.jpg 1188w" sizes="(max-width: 541px) 100vw, 541px" /></p>
<p>&nbsp;</p>
<p>私には主人もいて、子どももいる。そんな家族と過ごせる時間だけでも幸せです。加えて自分のやりたいことにも挑戦させてもらえて、<strong>こんなに幸せでいいのかな</strong>とありがたい気持ちでいっぱい。私は冒険したいタイプだから、主人が帰れる居場所を守ってくれている。いっぱい喧嘩もしますが、この人で良かったなと毎回思います。挫けそうになったら相談できる、友人たちにも恵まれていることもありがたいです。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>とはいえ私自身は本当に<strong>未熟</strong>で、先日もHida mommyの運営方針について会員の方にとても怒られました・・。</p>
<p>また以前、「ママが楽しくなればいいな！」を言い過ぎちゃって、あるママ友から<strong>「全員が全員、楽しくはないよ。辛い人もいるんだよ」</strong>と言われて、喧嘩しちゃったことがあったのです。そんなつもりではなかったけれど、そう聞こえちゃったのかな・・。ずっと心に残っています。</p>
<p>そうやって気持ちだけが空回りしちゃったり、上手くコミュニケーションが取れなかったり、これからどうしよう・・と思う日も少なくありません。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>だけど、飛騨で頑張るママのために、より過ごしやすいツールを提供していきたい。当時の私は、その<strong>ツールがどこにあるのかすら知らなかった</strong>から、きっかけや選択肢は創り続けたいです。その<strong>きっかけを掴むかどうかは、その人自身。</strong></p>
<p>&nbsp;</p>
<p>あの日、飛騨で孤独を感じて途方にくれた私みたいなママが、<strong>一人でも笑顔になれたら</strong>。飛騨での子育てに<strong>希望を持てたら</strong>。その想いだけは変わりません。未熟な私の挑戦は、まさにこれからです。</p>
<p>&nbsp;</p>
<blockquote><p>飛騨の地で今まさに、挑戦の真っ只中にいる周さん。<br />
泥臭くもがきながら、飛騨のママへの想いを形にしていきます。</p>
<p>「Hida mommy」が飛騨のママたちの希望となる日を目指して、周さんの奮闘の日々はこれからです。</p></blockquote>
<h2>連絡先</h2>
<p>周真希子(しゅうまきこ)<br />
<a href="https://www.facebook.com/makiko.uehara.73">https://www.facebook.com/makiko.uehara.73</a></p>
<p>Hidamommy 公式サイト<br />
<a href="https://hidamommy.com/">https://hidamommy.com/</a></p>
<p>&nbsp;</p><p>The post <a href="https://hida-st.com/2018/12/26/shumakiko/" target="_blank">「ママになったらHida mommy」を目指して、未熟な私の挑戦 ー  周真希子 ( Hida mommy 代表)</a> first appeared on <a href="https://hida-st.com/" target="_blank">ヒダスト</a>.</p>]]></content:encoded>
					
		
		
			</item>
		<item>
		<title>あなたに、萌の存在を知ってほしい ー 勝田なお子 ( 高山病弱児を守る会「あかりんぐ」代表 )</title>
		<link>https://hida-st.com/2018/10/17/katsutanaoko/</link>
		
		<dc:creator><![CDATA[丸山純平]]></dc:creator>
		<pubDate>Wed, 17 Oct 2018 06:49:50 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[飛騨市]]></category>
		<category><![CDATA[50代]]></category>
		<category><![CDATA[保育士]]></category>
		<category><![CDATA[医療]]></category>
		<category><![CDATA[市民活動]]></category>
		<category><![CDATA[福祉]]></category>
		<guid isPermaLink="false">https://hida-st.com/?p=1354</guid>

					<description><![CDATA[<p>&#160; 飛騨三市一村の重度心身障がい児(者)の保護者で結成された、高山病弱児を守る会「あかりんぐ」の代表を務める 勝田なお子さん。重い障がいを持って生まれた萌ちゃんに寄り添いながら、日々率先して活動を続ける強い意志 [&#8230;]</p>
<p>The post <a href="https://hida-st.com/2018/10/17/katsutanaoko/" target="_blank">あなたに、萌の存在を知ってほしい ー 勝田なお子 ( 高山病弱児を守る会「あかりんぐ」代表 )</a> first appeared on <a href="https://hida-st.com/" target="_blank">ヒダスト</a>.</p>]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<p><img loading="lazy" class="aligncenter wp-image-1388" src="https://hida-st.com/wp-content/uploads/2018/10/katsutanaoko08-1024x548.jpg" alt="" width="541" height="290" srcset="https://hida-st.com/wp-content/uploads/2018/10/katsutanaoko08-1024x548.jpg 1024w, https://hida-st.com/wp-content/uploads/2018/10/katsutanaoko08-300x161.jpg 300w, https://hida-st.com/wp-content/uploads/2018/10/katsutanaoko08-768x411.jpg 768w, https://hida-st.com/wp-content/uploads/2018/10/katsutanaoko08.jpg 1568w" sizes="(max-width: 541px) 100vw, 541px" /></p>
<p>&nbsp;</p>
<blockquote><p>飛騨三市一村の重度心身障がい児(者)の保護者で結成された、高山病弱児を守る会「あかりんぐ」の代表を務める 勝田なお子さん。重い障がいを持って生まれた萌ちゃんに寄り添いながら、日々率先して活動を続ける<strong>強い意志</strong>と願いとは？勝田さんの激動のストーリー、ぜひご覧ください。</p></blockquote>
<h2>長女として地道にコツコツ、頑張った幼少期。</h2>
<p>高山市山田町で、4人兄弟の長女として育ちました。ちょっと複雑な家庭環境だったので、目立たないように大人しくしながら、家事全般や下の子の育児にも積極的に協力していました。趣味にしているミシンも、小学生の頃から縫い物を任されていた影響です。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>2個下の妹が陸上でインターハイに出るくらい優秀で、正直コンプレックスがありましたね。そんな私が飛騨高山高校に進学して、バドミントンを始めたら東海大会まで行けたんです。部活の顧問が、練習への参加姿勢や、学業の成績を加味して大会メンバーを選ぶ方で、地味だけどコツコツ頑張ってきた日々が報われました。ようやく少し自信がついた瞬間です。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>小さい子の面倒を見るのが好きだったので、保育士を目指して大垣女子短期大学の幼児教育学科に進学します。当時の勤労学生という制度を利用して<strong>働きながら短大に通い</strong>、保育士と幼稚園教諭の資格を取得しました。</p>
<p>両親からは高山に戻って来いと言われていたのですが、すごくお世話になった女子寮の寮母さんから「寮の世話役係をやってくれんか？」と頼まれて、そのまま大垣に残って働かせてもらいました。親にはど叱られましたけどね(笑)。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>ただ両親もそれなりに年齢を重ねていたので、23歳くらいの時に高山に戻ってきます。ですが、保育士の仕事が全然見つからなくて、病院の看護助手を経てようやく託児所の仕事に勤めました。その後は結婚を機に仕事を辞めて、飛騨市河合町へ移住します。人生の大きな大きな転機は<strong>4人目の子ども、萌の出産</strong>で訪れます。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p><img loading="lazy" class="aligncenter wp-image-1513" src="https://hida-st.com/wp-content/uploads/2018/10/43548861_1900639536639495_4971476382296047616_n.jpg" alt="" width="493" height="297" srcset="https://hida-st.com/wp-content/uploads/2018/10/43548861_1900639536639495_4971476382296047616_n.jpg 480w, https://hida-st.com/wp-content/uploads/2018/10/43548861_1900639536639495_4971476382296047616_n-300x181.jpg 300w" sizes="(max-width: 493px) 100vw, 493px" /></p>
<h2>4人目の萌の出産、消えない不安とモヤモヤ。</h2>
<p>萌の出産の際には立ちくらみや胎盤出血もあって、妊娠中から入院していたんです。ようやく産まれた時も「オギャー」と泣かなくて、一週間ほど目も開かない。ミルクを吸う力もなくて、一ヶ月経っても首が座らない。明らかに上の子達とは違っていました。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>毎週小児科を定期受診していましたが、「赤ちゃんの発達は人それぞれだからね」とずっと言われ続け、原因も症状も分からないからモヤモヤが消えません。この不安を誰に話していいのかも分からず、人に聞かれるのも辛いので、なるべく<span style="letter-spacing: 0.7px; font-family: -apple-system, BlinkMacSystemFont, Helvetica, Meiryo, MyYuGothicM, YuGothic, 'Helvetica Neue', sans-serif; font-size: 1rem;">人に会わないよう</span><span style="font-family: -apple-system, BlinkMacSystemFont, Helvetica, Meiryo, MyYuGothicM, YuGothic, 'Helvetica Neue', sans-serif; font-size: 1rem; letter-spacing: 0.05em;">に過ごす日々・・。</span></p>
<p>&nbsp;</p>
<p>徐々に明らかになることも増えてきます。産まれてからずっと、オムツ替えが大変だったんです。萌は常に両足をクロスしていて、カエルみたいなM字にならない。たまたま違う小児科医が診たときに「この子、足が脱臼していない？」と指摘されて、整形外科にも行きました。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>整形のお医者さんから脱臼の治療のため、肢体不自由幼児が集まる「岐阜県立希望が丘こども医療福祉センター」を紹介され、岐阜市での入院生活が始まりました。障がいの子が多く通っている施設で、問診票に気になることを全部書いたら、岐阜大学病院へ紹介状を書いてくださったんです。脱臼の治療の区切りがついた段階で、岐阜大に検査入院しました。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<h2>「萌ちゃんは付き合うてんかんだね！」衝撃の言葉。</h2>
<p>検査の結果、脳梁(左右の大脳半球をつなぐ交連線維の太い束)が異常に小さいと言われて、「てんかん(発作を繰り返す脳の病気)」の疑いも出てきたんです。おかしい動きは発作かもしれないと萌の様子をすごく観察していたら、30秒くらい震えるような動作があるんです。入院して精密に検査した結果、「点頭てんかん(ウエスト症候群)」と診断され、「難治性で予後が悪い」と言われて、<strong>もうどうなるんだろう・・</strong>と思い詰めました。リハビリ室に行く時も周りから見えないようにタオルで隠して、私も俯いたまま通う毎日です。とても前向きになんてなれなかった。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>高山の病院に戻って療養しますが、萌の発作は止まらなくてだんだんひどくなってきたんです。親戚が静岡にあるてんかんの専門病院を探してきてくれたのですが、今の担当医との信頼関係に響いたら・・となかなか言い出せず。そうしたら先生側から「専門の病院へ行ってみない？」と紹介されて、決心できました。</p>
<p>萌が4月に産まれてからすでに一年弱、上の子たちは主人や義母に任せっぱなしです。子どもたちも不安でしたよね。家族会議で事実を伝えてみんなで泣きながら、私と萌は静岡にある「静岡てんかん・神経医療センター」へ入院しました。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>ごはんはなるべく食堂で食べる決まりで、周りは萌より重度のお子さんも多かったのですが、お母さんたちは明るい方ばかりでした。だんだん喋れるようになってきた頃、あるお母さんから言われたんです。「<strong>萌ちゃんは付き合うてんかんだね。一生、発作はあると思う。</strong>薬を飲んだら発作は収まる、でもそれで萌ちゃんが寝たきりでごはんも食べれない状況なら、少し発作が残ってもQOL(生活の質)を上げることを考えたら？」</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>衝撃の言葉ではあったのですが、治らないんだ！と逆に前向きになれました。<strong>じゃあ萌がより幸せに、毎日を過ごせるようにしよう</strong>。半年の入院で大きな発作はある程度収まり、高山へ戻ってリハビリに専念しながら、そのさじ加減を模索する日々が始まります。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p><img loading="lazy" class="aligncenter wp-image-1390" src="https://hida-st.com/wp-content/uploads/2018/10/katsutanaoko03-1024x580.jpg" alt="" width="538" height="305" srcset="https://hida-st.com/wp-content/uploads/2018/10/katsutanaoko03-1024x580.jpg 1024w, https://hida-st.com/wp-content/uploads/2018/10/katsutanaoko03-300x170.jpg 300w, https://hida-st.com/wp-content/uploads/2018/10/katsutanaoko03-768x435.jpg 768w, https://hida-st.com/wp-content/uploads/2018/10/katsutanaoko03-1920x1087.jpg 1920w" sizes="(max-width: 538px) 100vw, 538px" /></p>
<h2><strong>前例がなければつくればいい。地道な陳情が実を結ぶ。</strong></h2>
<p>静岡の病院で「<strong>療育</strong>(障がいをもつ子どもが社会的に自立することを目的として行われる医療と保育)」に出会いました。療育を受けたいことを飛騨市の福祉課にもお願いしたんです。そうしたら「萌ちゃんのケースは過去に前例がないからできない」と言われ・・、ダウン症の子たちの事例はあるので、何回も福祉課に足を運んではその度に断られました。</p>
<p>しかし福祉課のある方が<strong>「私も分からないけど、一緒にやりましょ。」</strong>と言ってくださり、静岡での事例を参考にしながら少しずつ萌も療育だったり、様々な公的福祉のサービスを受けれるようになりました。萌が前例となったことで、萌の3つ下にまた重い障害を持った子がいらっしゃったのですが、<span style="letter-spacing: 0.7px; font-family: -apple-system, BlinkMacSystemFont, Helvetica, Meiryo, MyYuGothicM, YuGothic, 'Helvetica Neue', sans-serif; font-size: 1rem;"><strong>スムーズに申請できた</strong>み</span><span style="font-family: -apple-system, BlinkMacSystemFont, Helvetica, Meiryo, MyYuGothicM, YuGothic, 'Helvetica Neue', sans-serif; font-size: 1rem; letter-spacing: 0.05em;">たいでよかったです。</span></p>
<p>&nbsp;</p>
<p>その頃、病院のリハビリにも通いながら、同じような肢体不自由児のお母さんたちと多く出会いました。お世話になった担当の療法士の異動を機に、みんなでランチ会をしたんです。これがすごく楽しかった。定期的に集まろうよと<strong>「ハイジとクララの会(通称ハイクラ)」</strong>という、今も続いている互助会が始まりました。LINEグループに40名くらいですかね、当事者のお母さんたちは<strong>みんなすごく我慢して生きている</strong>んです。気楽に喋れる場所の尊さを感じながら、率先して会を開く自分がいました。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>萌も同世代の子たちといると、表情がないように見えてやっぱり違うんです。せっかく河合町で生まれたのだから、同級生の中にこんな子もいるんだよと知ってもらいたい。そんな想いから飛騨市で初めて、看護師さん同伴で保育園に入園もさせていただきました。全国各地いくらでも事例はあります。後々聞いた話ですが、役所の中でも賛否は分かれていたそうです。でも<strong>「萌ちゃんにも保育園に通う権利がある！」</strong>と強く主張してくれる方もいらっしゃったそうで・・、本当にありがたいですね。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>そうして保育園に通わせていただき、小学校に上がるタイミングでまた悩みました。飛騨市には支援学校がなくて、古川小学校の隣に3年後くらいにできる予定だったんですね。この時ありがたかったのは<strong>「それまで古川小学校に行くのはどうや？」</strong>と役所の方に提案していただいたことです。市の教育委員会の方と一緒に先進事例の視察を重ねながら、支援学校ができるまでの3年間、古小の中の支援学級に通わせていただきました。そのおかげで萌の存在を子どもたちに知ってもらえて、「萌ちゃん！」と恐れずに今でも声をかけてもらえるのは幸せだなと感じます。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p><img loading="lazy" class="aligncenter wp-image-1387" src="https://hida-st.com/wp-content/uploads/2018/10/katsutanaoko06-1024x507.jpg" alt="" width="539" height="267" srcset="https://hida-st.com/wp-content/uploads/2018/10/katsutanaoko06-1024x507.jpg 1024w, https://hida-st.com/wp-content/uploads/2018/10/katsutanaoko06-300x149.jpg 300w, https://hida-st.com/wp-content/uploads/2018/10/katsutanaoko06-768x380.jpg 768w, https://hida-st.com/wp-content/uploads/2018/10/katsutanaoko06-1920x951.jpg 1920w" sizes="(max-width: 539px) 100vw, 539px" /></p>
<p>&nbsp;</p>
<h2>「あかりんぐ」として、安心・安全、快適、理解される地域へ</h2>
<p>飛騨三市一村の重度心身障がい児(者)の保護者の集いである「高山病弱児を守る会」の代表を、3年ほど前から任されています。なんだか会の名前が堅苦しいですよね(笑)。そこで受け継いで2年目頃から新たな会の名前を考えて、今年度から<strong>「あかりんぐ」</strong>とみんなで決めました。</p>
<p><span style="font-family: -apple-system, BlinkMacSystemFont, Helvetica, Meiryo, MyYuGothicM, YuGothic, 'Helvetica Neue', sans-serif; font-size: 1rem; letter-spacing: 0.05em;">子どもに病気や障がいがあっても、<strong>安心・安全(あ)、快適(か)、理解(り)</strong>される地域になって欲しい。そんな想いを込めて、行く先を照らす「あかり」と、みんなで輪になって助け合う、車椅子の車輪の「輪(りん)」、さらには繋がり進み続ける「ing」を加えました。</span></p>
<p>&nbsp;</p>
<p>会員同士の交流の場である<strong>「和茶輪茶(わちゃわちゃ)会」</strong>を2ヶ月に一度開催しながら、年に一度クリスマス会を開いています。開催にあたって、ボランティアさんをお願いするかしないかで議論になったんです。反対派はやっぱり申し訳ない気持ちがあったみたい。でも一人では生きていけないんだから、そこで<strong>申し訳ないって思うのは違う気がする</strong>。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>Facebookで募ったら、10人くらいの方が自主的に参加してくださったんです。おかげさまで家族含めて、みんなが楽しめるクリスマス会になったのですが、ボランティアさんから最後に「ありがとう。」と言われました。感謝の念は尽きませんが、もっと<strong>頼ってもいいんだな</strong>と思えた瞬間の一つです。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p><img loading="lazy" class="aligncenter wp-image-1386" src="https://hida-st.com/wp-content/uploads/2018/10/katsutanaoko05.jpg" alt="" width="539" height="315" srcset="https://hida-st.com/wp-content/uploads/2018/10/katsutanaoko05.jpg 720w, https://hida-st.com/wp-content/uploads/2018/10/katsutanaoko05-300x175.jpg 300w" sizes="(max-width: 539px) 100vw, 539px" /></p>
<p>&nbsp;</p>
<p>昨年のクリスマス会では着付け師の<a href="https://www.facebook.com/profile.php?id=100011155669117" target="_blank" rel="noopener">津田亜樹</a>さんから企画提案をいただき、<strong>肢体不自由児用の着物着付け体験</strong>をさせていただきました。その後、今年に入り浴衣のファッションショーの話がありましたが、体調が悪かったら出られません。そこで着付けをした写真を、プロのカメラマンである<a href="https://www.facebook.com/profile.php?id=100004280683606" target="_blank" rel="noopener">今村龍二</a>さんに撮影していただき、今年は各地で写真展を開催しています。多くの方から<strong>「勇気付けられる」</strong>とメッセージをいただく度に、この子たちの姿が誰かを元気付けている、そんなエネルギーを持っているんだなと感じています。</p>
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<p><img loading="lazy" class="aligncenter wp-image-1476" src="https://hida-st.com/wp-content/uploads/2018/10/katsutanaoko10-1024x560.jpg" alt="" width="540" height="295" srcset="https://hida-st.com/wp-content/uploads/2018/10/katsutanaoko10-1024x560.jpg 1024w, https://hida-st.com/wp-content/uploads/2018/10/katsutanaoko10-300x164.jpg 300w, https://hida-st.com/wp-content/uploads/2018/10/katsutanaoko10-768x420.jpg 768w, https://hida-st.com/wp-content/uploads/2018/10/katsutanaoko10-1920x1049.jpg 1920w" sizes="(max-width: 540px) 100vw, 540px" /></p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<h2>感情論や愚痴で終わらない。多目的トイレの調査。</h2>
<p>差別的な言動に出くわすことも多々あります。でも分からないから、知らないからなのかなと思い、まずは私たちが積極的に外出する姿勢を大事にしています。知ってもらった方が生きやすいですからね。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>どんどん外出を重ねてみて分かったのですが、道中の段差は周囲の助けでなんとかなるんです。しかし、オムツを変える場所の少なさは大きな課題でした。多目的トイレに入っても、萌は身長が140センチあるので、ベビーベッドじゃオムツを替えられません。</p>
<p>あかりんぐの会長になってから、飛騨市長と面会したんです。その際に「飛騨市としては年に一箇所ずつ改修していきます。<strong>飛騨市が変われば、高山市も変わる</strong>からね。」と飛騨市長自ら仰ってくださいました。本当に嬉しかったですね。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>私たちとしてもできることがしたいと、飛騨地域の多目的トイレの調査活動を始めました。もう一つ大きなきっかけとなったのは、観光で高山に訪れた車椅子の友人です。古い町並みを観光している際にオムツが濡れて替えようとしたけど、近くに大きなベッドがついたトイレがなくて、古い町並みから高山駅まで戻ったそうなんです・・。その話を聞いたときに、<strong>誰にでも優しい観光地になってほしい</strong>と心から願いました。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>そうして調査して制作したバリアフリートイレのマップを、<a href="https://hidamommy.com/" target="_blank" rel="noopener">Hidamommy</a>さんのサイトにも<a href="https://hidamommy.com/%E3%81%8A%E5%BA%97%E6%83%85%E5%A0%B1/%E7%A6%8F%E7%A5%89/%E3%80%90%E3%81%82%E3%81%8B%E3%82%8A%E3%82%93%E3%81%90%E3%80%91%EF%BD%9E%E9%AB%98%E5%B1%B1%E7%97%85%E5%BC%B1%E5%85%90%E3%82%92%E5%AE%88%E3%82%8B%E4%BC%9A%EF%BD%9E/" target="_blank" rel="noopener">掲載</a>していただきました。代表の<a href="https://www.facebook.com/makiko.uehara.73" target="_blank" rel="noopener">周真希子</a>さんから「お母さんの腰の高さに合わせて設置してあるけれど、大概の赤ちゃんは生後半年も経つと急に動くから、落ちたら危険な高さは怖い。」と教えてもらったんです。決して、自分たちだけの問題ではなかったんですね。</p>
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<p><img loading="lazy" class="aligncenter wp-image-1384" src="https://hida-st.com/wp-content/uploads/2018/10/katsutanaoko02-1024x546.jpg" alt="" width="538" height="287" srcset="https://hida-st.com/wp-content/uploads/2018/10/katsutanaoko02-1024x546.jpg 1024w, https://hida-st.com/wp-content/uploads/2018/10/katsutanaoko02-300x160.jpg 300w, https://hida-st.com/wp-content/uploads/2018/10/katsutanaoko02-768x410.jpg 768w, https://hida-st.com/wp-content/uploads/2018/10/katsutanaoko02.jpg 1421w" sizes="(max-width: 538px) 100vw, 538px" /></p>
<p>&nbsp;</p>
<p>物理的に変えるところ、人の気持ちや意識を変えるところ、どちらも大事ですが物理的な変化にはお金がかかります。みんなの税金を使うんだから、<strong>感情論や愚痴で終わっちゃダメ</strong>ですよね。「自分の子」だけじゃなくて「私たち」や「こんな人たちも」と、具体的かつ大きな主語で伝える必要があります。そのために会としてちゃんと現状を調べて、本当に困っている人たちの声に気づいてもらう。現状の調査結果と様々な当事者の声をお伝えしたら、<strong>高山市の対応は早かった</strong>ですよ。団体としての存在価値でもありますし、分かってもらえた喜びも大きかったです。</p>
<h2>安心して生きて、活きていくために。私の使命。</h2>
<p>飛騨の好きな場所は、国府にあるカフェの<a href="https://lacerise.hida-ch.com/" target="_blank" rel="noopener">ラスリーズ</a>さんです。玄関に段差があるのですが、必ずスタッフさんや時にはお客さんが乗り越えるために手伝ってくれるんです。物理的な段差はあるけれども、<strong>本質的なバリアフリーのお店</strong>です。段差がなくなると困る場合もあるから、なくすように求めることだけが正解じゃないんですよね。</p>
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<p><img loading="lazy" class="aligncenter wp-image-1493" src="https://hida-st.com/wp-content/uploads/2018/10/katsutanaoko09.jpg" alt="" width="542" height="255" srcset="https://hida-st.com/wp-content/uploads/2018/10/katsutanaoko09.jpg 960w, https://hida-st.com/wp-content/uploads/2018/10/katsutanaoko09-300x141.jpg 300w, https://hida-st.com/wp-content/uploads/2018/10/katsutanaoko09-768x362.jpg 768w" sizes="(max-width: 542px) 100vw, 542px" /></p>
<p>&nbsp;</p>
<p>例えば萌とコンサートに行くと、どうしても遠慮しがちな目立たない位置の席に誘導されます。無意識のうちに綺麗に仕上げようとしているのかな。そうした<strong>無自覚の枠組みや排除</strong>がきっとありますよね。ただ先ほど話したように、<strong>こうするべきという正解はない</strong>と思います。偏見を抱いて誰かを傷つけたりしても、優しさにたどり着く過程かもしれないですし。でもね、ご高齢の方からは「可哀想だね」って言われることが多いのですが、その度に「可哀想と思う、あなたの方が可哀想だな」って思っちゃいます(笑)。<strong>私は萌が可愛くて幸せで、萌も幸せだと確信している</strong>から。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>当然ですが、いつまでも私と萌がセットではいられません。いろんな方の応援やサポートを得ながら、私がいなくても生きていける子になってほしい。同時に私も、<strong>自分の人生を愉しんで、活きていきたい</strong>。萌が初めて2泊3日のショートステイを利用した時、22歳のもう一人の娘から「高校生の頃に、お母さんと二人でお買い物に行きたかった。」と言われたんです。萌だけのお母さんではない。分かってはいるけど、そのバランスはなかなか難しくて・・。でもそう言ってくれたのは、娘の勇気であり成長であるから嬉しいですね。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>生きるってなんだろうね。ただ間違いなく私自身は、萌の存在で価値観が大きく変わりました。車椅子の子たちだけじゃなくて、高齢者の方や精神的な病気の方、それぞれ与えられた使命があるのかな。障がいや病気を隠したい人もいます。当時の私も俯いて、人を避けていました。だけどある方から「<strong>あんたには発信する役目がある。</strong>あんたが言わなきゃ変わらないから、嫌われてでも発信するべきや。私はずっと味方だから。」そう強く言われたんです。生意気かもしれないけれど、私たちの活動や発信で、後に続く子が少しでも楽に幸せに生きられたら嬉しいです。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p><img loading="lazy" class="aligncenter wp-image-1479" src="https://hida-st.com/wp-content/uploads/2018/10/katsutanaoko01-1024x601.jpg" alt="" width="540" height="317" srcset="https://hida-st.com/wp-content/uploads/2018/10/katsutanaoko01-1024x601.jpg 1024w, https://hida-st.com/wp-content/uploads/2018/10/katsutanaoko01-300x176.jpg 300w, https://hida-st.com/wp-content/uploads/2018/10/katsutanaoko01-768x451.jpg 768w, https://hida-st.com/wp-content/uploads/2018/10/katsutanaoko01.jpg 1568w" sizes="(max-width: 540px) 100vw, 540px" /></p>
<p>&nbsp;</p>
<blockquote><p><strong>力強く、でも優しく</strong>。自身の使命を語ってくださった勝田さん。</p>
<p>勇気を出して表に立ち続ける勝田さんの願いが、<strong>「安心して生きて、活きていくために」</strong>、未来の飛騨地域に道を創り続けています。</p></blockquote>
<h2>連絡先</h2>
<p><strong>勝田なお子(かつたなおこ)</strong><br />
<a href="https://www.facebook.com/profile.php?id=100006156436622" target="_blank" rel="noopener">https://www.facebook.com/profile.php?id=100006156436622</a></p>
<p>TEL：090-1474-8911（かつた）<br />
お気軽にお問い合わせください。</p><p>The post <a href="https://hida-st.com/2018/10/17/katsutanaoko/" target="_blank">あなたに、萌の存在を知ってほしい ー 勝田なお子 ( 高山病弱児を守る会「あかりんぐ」代表 )</a> first appeared on <a href="https://hida-st.com/" target="_blank">ヒダスト</a>.</p>]]></content:encoded>
					
		
		
			</item>
		<item>
		<title>尊い命が、共存し合う飛騨へ ー 長田直子 ( 助産院なお 代表 / 助産師 )</title>
		<link>https://hida-st.com/2018/10/10/nagatanaoko/</link>
		
		<dc:creator><![CDATA[丸山純平]]></dc:creator>
		<pubDate>Tue, 09 Oct 2018 15:01:11 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[飛騨市]]></category>
		<category><![CDATA[40代]]></category>
		<category><![CDATA[助産師]]></category>
		<category><![CDATA[医療]]></category>
		<category><![CDATA[子育て]]></category>
		<category><![CDATA[斐太高校]]></category>
		<category><![CDATA[経営者]]></category>
		<category><![CDATA[起業家]]></category>
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					<description><![CDATA[<p>高山市国府町で「助産院なお」を開業し、命の誕生の場に立ち会い続ける助産師の長田直子(ながたなおこ)さん。しかし看護学生だった当時は、お産の映像にびっくりして過呼吸を起こしたことも・・。そんな長田さんが語る、神秘に満ちた生 [&#8230;]</p>
<p>The post <a href="https://hida-st.com/2018/10/10/nagatanaoko/" target="_blank">尊い命が、共存し合う飛騨へ ー 長田直子 ( 助産院なお 代表 / 助産師 )</a> first appeared on <a href="https://hida-st.com/" target="_blank">ヒダスト</a>.</p>]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<p><img loading="lazy" class="wp-image-1309 aligncenter" src="https://hida-st.com/wp-content/uploads/2018/10/nagatanaoko08.jpg" alt="" width="540" height="358" srcset="https://hida-st.com/wp-content/uploads/2018/10/nagatanaoko08.jpg 600w, https://hida-st.com/wp-content/uploads/2018/10/nagatanaoko08-300x199.jpg 300w" sizes="(max-width: 540px) 100vw, 540px" /></p>
<blockquote><p>高山市国府町で「助産院なお」を開業し、命の誕生の場に立ち会い続ける助産師の長田直子(ながたなおこ)さん。しかし看護学生だった当時は、お産の映像にびっくりして<strong>過呼吸</strong>を起こしたことも・・。そんな長田さんが語る、<strong>神秘に満ちた生命と人生</strong>。助産師の仕事の流儀、必見です。</p></blockquote>
<h2>「この子を助産師にしよう！」分娩台の母の直感。</h2>
<p>高山市国府町で生まれました。実家が個人商店を経営していて、駄菓子や日用品、お惣菜などを売っていました。当時の年末年始はどこのお店もお休みで、各家庭は食材を買いだめしていたんです。小学校一年生の私はスキーウェアを着て、<strong>ソリにお豆腐を何丁も詰めて一人で訪問販売</strong>。「なおちゃん行くと売れるでいいぞー！」なんて両親に背中を押されて、でも楽しかったなあ。いろいろ挑戦させてくれたおかげで、おもしろく育っちゃいました。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p><strong>「10年はやれ、じゃなきゃ好きも嫌いも分からん」</strong>が親のモットーで、いろんな習い事を長くさせてもらいましたが、私にヒットしたのは吹奏楽でした。当時の斐太高校の吹奏楽部に憧れて、どうしても斐高に入りたくて、一生懸命勉強して進学しました。この頃は<strong>「将来は音楽の先生になりたい！」</strong>と考えていたくらい。吹奏楽は今でも続けている一生の趣味です。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p><img loading="lazy" class="aligncenter wp-image-1317" src="https://hida-st.com/wp-content/uploads/2018/10/nagatanaoko11.jpg" alt="" width="541" height="271" srcset="https://hida-st.com/wp-content/uploads/2018/10/nagatanaoko11.jpg 960w, https://hida-st.com/wp-content/uploads/2018/10/nagatanaoko11-300x150.jpg 300w, https://hida-st.com/wp-content/uploads/2018/10/nagatanaoko11-768x384.jpg 768w" sizes="(max-width: 541px) 100vw, 541px" /></p>
<p>&nbsp;</p>
<p>しかし卒業後は、<strong>高山赤十字病院看護専門学校に進学</strong>します。実は母の血液型がRh-で珍しく、出産のリスクを考慮して私一人しか産まなかったんです。そうして私が産まれた瞬間の感動から、分娩台の上で<strong>「この子を助産師にしよう！」</strong>と直感的に決めたらしい。でもそんな理由で「なおちゃんは助産師になるとよいと思う。」と言われても困りますよね(笑)。「なんで急に？」と衝突しながらも、従順だったのかその道へと進みます。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>専門学校は全寮制で、先輩と一緒の4人部屋。二段ベッドの上で気を遣って静かに眠り、日中は採血の練習で先輩に血を抜かれる毎日。なんてところに来てしまったんだ・・(笑)。そんな思いもナースの白衣姿への憧れはやはり強く、日々頑張って楽しく学んでいました。</p>
<h2>お産に恐怖を覚えた私が、なぜか助産師の道へ</h2>
<p>今では助産師として働いていますが、当時の授業でお産の映像を観た時、私は<strong>びっくりして過呼吸</strong>を起こしました。母体から赤ちゃんが出てくるのが生理的に受け付けなかったんです・・。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>先生に泣きながら「実習に怖くて行けません」と伝えたら「<strong>あなたはすごく良い感性を持っているから、否定しなくてそのままでいいよ」</strong>と言われたのを覚えています。なんとか実習には参加したけれど、やっぱりお産は怖い。トイレに篭って、逃げ隠れる時間もありました。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>私がちょうど3年生の時に制度変更があり、助産師学校に進学できるようになったんです。「受けてみない？」となぜか先生が私に勧めてきまして、当然お産は怖いので即断りました。しかし「受けるだけ受けてみなさい」と強く推されて仕方なく受験します。面接では<strong>「私はお産が怖いので落ちると思います！」</strong>なんて正直に言ったのに、なぜか合格して岐阜県立衛生専門学校の助産学科に進学しました。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>岐阜で初めての一人暮らし。入学してしまったらもう逃げられません。人生で一番ハードな一年間でしたが、必死になると慣れるもんですね。陣痛が来た妊婦さんに朝までずっと付き添った実習も、今となっては良い思い出です。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>いっぱい勉強して、遊んで、恋をして・・結果、自分がだいぶ洗濯されて図太くなりましたね(笑)。そうして無事に卒業し、高山赤十字病院(日赤)で助産師として働き始めます。「お産に感動して助産師になったんですか？」とよく聞かれますが、<strong>全くそうじゃない</strong>からこそ<strong>人生っておもしろい</strong>ですよね。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p><img loading="lazy" class="aligncenter wp-image-1319" src="https://hida-st.com/wp-content/uploads/2018/10/nagatanaoko09-1024x557.jpg" alt="" width="541" height="294" srcset="https://hida-st.com/wp-content/uploads/2018/10/nagatanaoko09-1024x557.jpg 1024w, https://hida-st.com/wp-content/uploads/2018/10/nagatanaoko09-300x163.jpg 300w, https://hida-st.com/wp-content/uploads/2018/10/nagatanaoko09-768x418.jpg 768w, https://hida-st.com/wp-content/uploads/2018/10/nagatanaoko09-1920x1044.jpg 1920w" sizes="(max-width: 541px) 100vw, 541px" /></p>
<h2>命が輝く瞬間へ、委ねる。</h2>
<p>目の前の妊婦さんと赤ちゃん、二つの尊い命を預かるのに怖いなんて言ってられません。同時に矛盾するようですが、<strong>今でもお産は緊張します</strong>。その緊張感がないとこの仕事はできない。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p><strong>「お産中は五感でとにかく感じろ！」</strong>そう先生にも先輩にも教わってきました。妊婦さんと赤ちゃんが最大限に力を発揮できるように、余計なことはしません。必要であれば背中を押し、走り過ぎていたら抑える。表情・息遣い・空気感、とにかく全てを観察して感じます。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>そうして全身全霊無我夢中で支えていると、言葉を交わしていないのに赤ちゃんと<strong>通じ合う瞬間</strong>があるんですよね。もちろん知識や技術は備えた上で、でも普段の自分以上の力が発揮されるような。綺麗な言い方をすると<strong>命が輝く</strong>。<strong>生まれる命と自分の命が融合する</strong>ような感覚なんです。恐怖を超えて、神秘的です。振り返るとあんまり覚えていないのですが(笑)。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p><img loading="lazy" class="aligncenter wp-image-1318" src="https://hida-st.com/wp-content/uploads/2018/10/nagatanaoko10.jpg" alt="" width="540" height="360" srcset="https://hida-st.com/wp-content/uploads/2018/10/nagatanaoko10.jpg 720w, https://hida-st.com/wp-content/uploads/2018/10/nagatanaoko10-300x200.jpg 300w" sizes="(max-width: 540px) 100vw, 540px" /></p>
<p>&nbsp;</p>
<p>全てのお産に学びや気づき、感動があります。3日間かけて産んだ人もいたなあ。私自身も長男の出産は26時間くらいかかりました。上手く言えないけど、<strong>それぞれ必要な長さ</strong>なんだと思う。お産を終えた時に「<strong>私、生まれ変わりました。今日は私の新たな誕生日でもあります」</strong>そう言ったお母さんもいました。情報や感情や痛み、複雑に絡まったものが自然に解けていくのでしょうね。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>頭で考えた通りにはならないから、<strong>心や直感を信じて委ねる</strong>。お産も子育てもそうなんだろうな。それを直接感じ、魂で学ばせてもらっています。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p><img loading="lazy" class="aligncenter wp-image-1336" src="https://hida-st.com/wp-content/uploads/2018/10/nagatanaoko15-1024x582.jpg" alt="" width="539" height="306" srcset="https://hida-st.com/wp-content/uploads/2018/10/nagatanaoko15-1024x582.jpg 1024w, https://hida-st.com/wp-content/uploads/2018/10/nagatanaoko15-300x170.jpg 300w, https://hida-st.com/wp-content/uploads/2018/10/nagatanaoko15-768x436.jpg 768w, https://hida-st.com/wp-content/uploads/2018/10/nagatanaoko15-1920x1090.jpg 1920w" sizes="(max-width: 539px) 100vw, 539px" /></p>
<h2>長田直子として生き始める、きっかけの言葉。</h2>
<p>21年間日赤に勤めたのですが一度、20代の終わりに<strong>大きな病気</strong>を患ったんです。仕事を3ヶ月以上病欠していて、これを機に<strong>仕事を辞めようか悩んでいました</strong>。ある日通院の帰りに薬局へ寄った時、そこで働いていた女性が声をかけてくれたんです。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>どうやら日赤でお産をした方で、産後お乳を上手くやれなくて悩んでいた際に、私がアドバイスしたらしいんです。その方に去り際にいただいた言葉が衝撃でした。「長田さんにとってはたくさんの産婦の一人かもしれんけど、<strong>私にとっては忘れられない助産師さん。</strong>これからも仕事を続けてください」</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>自分はこんなにたくさん<strong>受け取って、生かされていた</strong>んだ。それまでは一方的に、教えてあげている感覚が強かった私にとって、大きな大きな気づきでした。そこから一人の「長田直子」として、生きるってなんだろう？できることはなんだろう？模索し始めました。私が<strong>生まれ変わった瞬間</strong>の一つです。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>とはいえ病院での勤務は忙しく、休日のボランティアなら怒られないだろうと思い立ち、学校や保健施設などで助産師の仕事についてお話しする<strong>「命の講座」</strong>活動を始めました。高山赤十字病院の一助産師ではなく、長田直子として動き始めた大きな一歩でした。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p><img loading="lazy" class="aligncenter wp-image-1307" src="https://hida-st.com/wp-content/uploads/2018/10/nagatanaoko05-1024x712.jpg" alt="" width="540" height="375" srcset="https://hida-st.com/wp-content/uploads/2018/10/nagatanaoko05-1024x712.jpg 1024w, https://hida-st.com/wp-content/uploads/2018/10/nagatanaoko05-300x208.jpg 300w, https://hida-st.com/wp-content/uploads/2018/10/nagatanaoko05-768x534.jpg 768w, https://hida-st.com/wp-content/uploads/2018/10/nagatanaoko05.jpg 1278w" sizes="(max-width: 540px) 100vw, 540px" /></p>
<h2>トントン拍子で開業した「助産院なお」</h2>
<p>今の事業の相方であり、看護学校の同級生だった<a href="https://www.facebook.com/miho.nakatani.564" target="_blank" rel="noopener">中谷美穂</a>さんが、先に助産院を開業しているんです。</p>
<p>ある日職場で上手くいかないことがあり、中谷さんへ電話したら<strong>「腹をさっさと決めて動かんとな、だんだんと気づかせることが大きくなるんやよ」</strong>と言われました。なるほど、次のステージへ進めということかと独立を考え始め、とはいえ親をどう説得するか悩み始めたところ、「自分の好きにやったらいいじゃん」とあっさりGOサインが出まして、あれよあれよという間に助産院の開業へと進みます。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>助産院の開業にあたっては病院と提携契約の必要があり、その許可を得るのも難しいのですが、人事異動のタイミングも重なってトントン拍子で決まったんですよね。そうした不思議な流れに助けられ、2016年10月、国府町宇津江に<strong>「助産院なお」を開業</strong>しました。自宅出産のお手伝いが特徴ですが、実際は産後のお母さんの授乳や育児に関するご相談、ノウハウを学びに来られる方が多いです。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p><img loading="lazy" class="aligncenter wp-image-1346" src="https://hida-st.com/wp-content/uploads/2018/10/nagatanaoko16-1024x581.jpg" alt="" width="540" height="306" srcset="https://hida-st.com/wp-content/uploads/2018/10/nagatanaoko16-1024x581.jpg 1024w, https://hida-st.com/wp-content/uploads/2018/10/nagatanaoko16-300x170.jpg 300w, https://hida-st.com/wp-content/uploads/2018/10/nagatanaoko16-768x435.jpg 768w, https://hida-st.com/wp-content/uploads/2018/10/nagatanaoko16.jpg 1076w" sizes="(max-width: 540px) 100vw, 540px" /></p>
<p>&nbsp;</p>
<p>実は助産師学校に入学した当初に「いつかたくさんの人が集まってホッとできる、<strong>お家みたいな助産院</strong>を開くのが夢です」と公言していたらしく、夢が叶ったねと同級生から祝われました。私は覚えていないのですが(笑)。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>あの頃の私の想いと同じで、「助産院」という枠やイメージには囚われたくありません。どんな世代の人でも集えて、<strong>みんなに役割と居場所がある拠点</strong>を作っていきたいです。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p><img loading="lazy" class="aligncenter wp-image-1337" src="https://hida-st.com/wp-content/uploads/2018/10/nagatanaoko13-1024x541.jpg" alt="" width="536" height="283" srcset="https://hida-st.com/wp-content/uploads/2018/10/nagatanaoko13-1024x541.jpg 1024w, https://hida-st.com/wp-content/uploads/2018/10/nagatanaoko13-300x159.jpg 300w, https://hida-st.com/wp-content/uploads/2018/10/nagatanaoko13-768x406.jpg 768w, https://hida-st.com/wp-content/uploads/2018/10/nagatanaoko13.jpg 1262w" sizes="(max-width: 536px) 100vw, 536px" /></p>
<p>&nbsp;</p>
<p>そういえば独立後に「看護学校の非常勤講師をやりませんか？」とお誘いをいただいたんです。音楽ではありませんが、<strong>高校生の頃の夢だった学校の先生</strong>も経験できました。本当に人生は不思議です。</p>
<h2>「のくとまりマーケット」が「mamameparty」へ</h2>
<p>私は物作りが得意じゃないけれど、マルシェに出店することは憧れの一つでした。古川町にある雑貨・花を取り扱う「<a href="https://itabasi.hida-ch.com/" target="_blank" rel="noopener">いたばし生花</a>」さんでそんな話をしていたら、たまたま商品を卸しに来ていた作家さんとも大盛り上がり。向かいの<a href="https://www.hida-kankou.jp/spot/3827/" target="_blank" rel="noopener">円光寺</a>さんにその勢いで行ったら「ちょうどお寺に人が集まるイベントをやりたいと思っていた」と巡り合わせ・・じゃあやっちまうか！と「のくとまりマーケット」が始まります。</p>
<p><img loading="lazy" class="aligncenter wp-image-1300" src="https://hida-st.com/wp-content/uploads/2018/10/nagatanaoko01-1024x579.jpg" alt="" width="539" height="305" srcset="https://hida-st.com/wp-content/uploads/2018/10/nagatanaoko01-1024x579.jpg 1024w, https://hida-st.com/wp-content/uploads/2018/10/nagatanaoko01-300x169.jpg 300w, https://hida-st.com/wp-content/uploads/2018/10/nagatanaoko01-768x434.jpg 768w, https://hida-st.com/wp-content/uploads/2018/10/nagatanaoko01-1920x1085.jpg 1920w" sizes="(max-width: 539px) 100vw, 539px" /></p>
<p>&nbsp;</p>
<p>円光寺さんの境内をお借りして、不定期で開催しています。ハンドメイド雑貨が中心のフリーマーケットですが、助産院と同じくホッとできる、心がのくとまる雰囲気づくりを大事にしています。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>学生時代に自転車で古川の塾に通っていて、<strong>当時の賑わっていた街中</strong>をよく覚えていました。結婚してから古川に住むようになりましたが、昔と比べたら寂しい人通り。活性化とまではいかないけれど、もっと人が集まれるように。そんな<strong>古川の町への思い入れ</strong>もありました。</p>
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<p><img loading="lazy" class="aligncenter wp-image-1299" src="https://hida-st.com/wp-content/uploads/2018/10/nagatanaoko02-1024x540.jpg" alt="" width="540" height="285" srcset="https://hida-st.com/wp-content/uploads/2018/10/nagatanaoko02-1024x540.jpg 1024w, https://hida-st.com/wp-content/uploads/2018/10/nagatanaoko02-300x158.jpg 300w, https://hida-st.com/wp-content/uploads/2018/10/nagatanaoko02-768x405.jpg 768w, https://hida-st.com/wp-content/uploads/2018/10/nagatanaoko02.jpg 1536w" sizes="(max-width: 540px) 100vw, 540px" /></p>
<p>&nbsp;</p>
<p>企画・準備に奔走しますが、ほぼボランティアの活動です。独立してからはなかなか続けられないから、違う形にしようかなと考えていた時に「<a href="https://hidamommy.com/" target="_blank" rel="noopener">Hidamommy</a>」の二人に出会ってしまいました。代表の<a href="https://www.facebook.com/makiko.uehara.73" target="_blank" rel="noopener">周真紀子</a>ちゃんとは、初めて出会ったその場で意気投合。副代表の<a href="https://hida-st.com/2018/09/12/nakanomasako/" target="_blank" rel="noopener">中野雅子</a>ちゃんは一年前、のくとまりマーケット当日のなぜか撤収後に遊びに来てくれたんです。出店者さんみんな帰っちゃったから、とりあえず私が買ったパンをあげたご縁です(笑)。</p>
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<p><img loading="lazy" class="aligncenter wp-image-1305" src="https://hida-st.com/wp-content/uploads/2018/10/nagatanaoko07-1024x554.jpg" alt="" width="540" height="292" srcset="https://hida-st.com/wp-content/uploads/2018/10/nagatanaoko07-1024x554.jpg 1024w, https://hida-st.com/wp-content/uploads/2018/10/nagatanaoko07-300x162.jpg 300w, https://hida-st.com/wp-content/uploads/2018/10/nagatanaoko07-768x415.jpg 768w, https://hida-st.com/wp-content/uploads/2018/10/nagatanaoko07-1920x1038.jpg 1920w" sizes="(max-width: 540px) 100vw, 540px" /></p>
<p>&nbsp;</p>
<p>そうして「のくとまりマーケット」を一つの母体に、Hidamommyの二人と<a href="https://hidawarabe.org/" target="_blank" rel="noopener">NPO法人飛騨高山わらべうたの会</a>代表の<a href="https://hida-st.com/2018/07/04/iwatsukakumiko/" target="_blank" rel="noopener">岩塚久案子</a>さんの4人で「<a href="https://www.facebook.com/events/237100790302047/">mamameparty</a>」を10月13日に開催します。</p>
<p><strong>飛騨地方最大級の子育てママ応援イベント</strong>です。もちろんお子さんも主役として、楽しめる仕掛けやコンテンツを準備しています。今回は飛騨市での開催ですが、高山市・下呂市・白川村と、飛騨地方をどんどん巻き込むためにも、ママたちの本気を見せたいと思います！どうぞお気軽にお越しくださいね。</p>
<h2>競争じゃなくて、共存がいい。</h2>
<p>古川と国府の境、線路と堤防の川向かいの農免道路から見える景色が大好きです。すごく空が広く感じて、天気が良いと御嶽を望める。不安や迷いがある時は朝に行くんです。靄の中に朝日が射して、稲の匂いが浮かぶ。<strong>大丈夫やさ</strong>って包んでくれるような、私のパワースポット。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p><img loading="lazy" class="aligncenter wp-image-1341" src="https://hida-st.com/wp-content/uploads/2018/10/nagatanaoko04-1.jpg" alt="" width="539" height="355" srcset="https://hida-st.com/wp-content/uploads/2018/10/nagatanaoko04-1.jpg 780w, https://hida-st.com/wp-content/uploads/2018/10/nagatanaoko04-1-300x198.jpg 300w, https://hida-st.com/wp-content/uploads/2018/10/nagatanaoko04-1-768x506.jpg 768w" sizes="(max-width: 539px) 100vw, 539px" /></p>
<p>&nbsp;</p>
<p>助産師仲間と描いた、理想の村構想があるんです。その村では自分が得意なことが各々の生業で、物や畑などの財産は、誰の所有でもなく<strong>みんなで共有</strong>するもの。村の中心に産屋があって、赤ちゃんが生まれたらみんなで喜ぶ。空から生まれて土に還っていくような、生も死も自然な形。そんな<strong>自給自足で循環型のコミュニティ</strong>。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>何が言いたいかって、<strong>競争じゃなくて共存がいい</strong>。医療でもまちづくりでも、保身・エゴ・プライドから対立したり蹴落とし合ったり・・<strong>目指しているところは一緒</strong>なのにね。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>きっと次の時代は違う。今の子どもたちと関わる中で感じますが、競争心が少なく、互いに認め合うような優しい価値観ですよね。でも私たち40代以上はガチガチの昭和(笑)。競争社会を生き抜き、勝ち抜いてきた気合いと根性みたいな。そんな<strong>大人の意識や思い込み</strong>を変える方が深刻ですね。<strong>子育て支援よりも親育て支援</strong>なんだろうな。親が自己否定感が強くて満たされていないと、子どもに求めて依存しちゃうよね。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>独立して助産院を始めたことも、「mamameparty」の開催もいつかのための練習なのかな。長田直子として生き始めてから、<strong>「こりゃまんだまんだ、だちかんな～」</strong>って、自分を客観的に感じられる瞬間が増えました(笑)。まあまだ45歳だから仕方ない。試されながら、手放しながら、生きているうちに叶えたいですね。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p><img loading="lazy" class="aligncenter wp-image-1340" src="https://hida-st.com/wp-content/uploads/2018/10/nagatanaoko03-1024x770.jpg" alt="" width="540" height="406" srcset="https://hida-st.com/wp-content/uploads/2018/10/nagatanaoko03-1024x770.jpg 1024w, https://hida-st.com/wp-content/uploads/2018/10/nagatanaoko03-300x226.jpg 300w, https://hida-st.com/wp-content/uploads/2018/10/nagatanaoko03-768x578.jpg 768w, https://hida-st.com/wp-content/uploads/2018/10/nagatanaoko03.jpg 1518w" sizes="(max-width: 540px) 100vw, 540px" /></p>
<p>&nbsp;</p>
<blockquote><p>幾たびも尊い命の誕生に立ち会い、過去から未来へと<strong>命の連鎖</strong>を紡いできた長田さん。慈愛に満ちた長田さんだからこそ、みんなが<strong>心の底からのくとまる、共存し合う飛騨</strong>を力強く描いていきます。</p></blockquote>
<h2>連絡先</h2>
<p>長田直子(ながたなおこ)<br />
<a href="https://www.facebook.com/naoko.nagata.775">https://www.facebook.com/naoko.nagata.775</a></p>
<p><strong>助産院なお</strong><br />
住所：高山市国府町宇津江2243<wbr />番地14<br />
営業時間：9時〜16時(土日祝日定休・完全予約制)<br />
TEL：090-3307-0826 (ショートメール可)<br />
LINEID：「josaninnao」</p>
<p>助産院なお　公式ホームページ<br />
<a href="https://josaninnao.com" target="_blank" rel="noopener">https://josaninnao.com</a></p>
<p>助産院なお　公式Facebookページ<br />
<a href="https://www.facebook.com/josaninnnao/">https://www.facebook.com/josaninnnao/</a></p>
<p>助産院なお　公式ひだっちブログ<br />
<a href="https://josaninnao.hida-ch.com/">https://josaninnao.hida-ch.com/</a></p>
<p>「mamameparty」<br />
10月13日(土) 9:30〜16:00@飛騨市文化村<br />
<a href="https://www.facebook.com/events/237100790302047/">https://www.facebook.com/events/237100790302047/</a></p><p>The post <a href="https://hida-st.com/2018/10/10/nagatanaoko/" target="_blank">尊い命が、共存し合う飛騨へ ー 長田直子 ( 助産院なお 代表 / 助産師 )</a> first appeared on <a href="https://hida-st.com/" target="_blank">ヒダスト</a>.</p>]]></content:encoded>
					
		
		
			</item>
		<item>
		<title>がんサバイバーとして、誰かのために生き続ける ー 三井祐子 ( がんサークル Owls 代表 )</title>
		<link>https://hida-st.com/2018/09/26/mitsuiyuuko/</link>
		
		<dc:creator><![CDATA[丸山純平]]></dc:creator>
		<pubDate>Tue, 25 Sep 2018 15:04:54 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[高山市]]></category>
		<category><![CDATA[40代]]></category>
		<category><![CDATA[サバイバー]]></category>
		<category><![CDATA[医療]]></category>
		<category><![CDATA[市民活動]]></category>
		<category><![CDATA[飛騨高山高校]]></category>
		<guid isPermaLink="false">https://hida-st.com/?p=1103</guid>

					<description><![CDATA[<p>「がんサークルOwls」の代表として、高山でがん患者・当事者の居場所をつくる三井祐子さん。その半生は様々な困難が続く、生きる意志を試され続ける日々でした。そんな三井さんが誰かのために活動し始めた大きなきっかけとは？ 凛と [&#8230;]</p>
<p>The post <a href="https://hida-st.com/2018/09/26/mitsuiyuuko/" target="_blank">がんサバイバーとして、誰かのために生き続ける ー 三井祐子 ( がんサークル Owls 代表 )</a> first appeared on <a href="https://hida-st.com/" target="_blank">ヒダスト</a>.</p>]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<p><img loading="lazy" class="aligncenter wp-image-1118" src="https://hida-st.com/wp-content/uploads/2018/09/mitsuiyuuko04-1024x630.jpg" alt="" width="540" height="332" srcset="https://hida-st.com/wp-content/uploads/2018/09/mitsuiyuuko04-1024x630.jpg 1024w, https://hida-st.com/wp-content/uploads/2018/09/mitsuiyuuko04-300x184.jpg 300w, https://hida-st.com/wp-content/uploads/2018/09/mitsuiyuuko04-768x472.jpg 768w, https://hida-st.com/wp-content/uploads/2018/09/mitsuiyuuko04-1920x1180.jpg 1920w" sizes="(max-width: 540px) 100vw, 540px" /></p>
<blockquote><p>「がんサークルOwls」の代表として、高山でがん患者・当事者の居場所をつくる<strong>三井祐子</strong>さん。その半生は様々な困難が続く、生きる意志を試され続ける日々でした。そんな三井さんが誰かのために活動し始めた大きなきっかけとは？<br />
凛としなやかに生き続ける、一人の<strong>がんサバイバー(生存者)</strong>の半生をご覧ください。</p></blockquote>
<h2>極貧だった子ども時代</h2>
<p>高山市緑ヶ丘町で生まれました。祖父母と両親、二つ下の弟の6人家族。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>小学校1年生の時に、父親が事業に失敗して多額の借金を抱えたんです。我が家の生活は一変、家も引き払って無一文になりました。家族総出で昼も夜も働く生活。私は学校から帰ったら、家事や弟の面倒を見なくちゃという<strong>責任感</strong>でいっぱい。なにか買って欲しいとか、遊びに連れて行って欲しいとか、言いたいのを我慢して育ちました。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>飛騨高山高校の普通科に進学する頃には、ようやく借金を完済する目処が立ってきたのですかね。それでも高校を卒業するときに、大学進学するなんて選択肢を選べなかったです。もともと勉強熱心ではなかったので、どうしてもこれを学びたいという気持ちもなく、目的も夢もないのに進学するのはいろんな意味で気が引けました。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>そうして高校卒業後は「JAひだ」に就職させていただき、3年くらい勤めました。職場の先輩方にも恵まれて楽しく働いていたのですが、3年目の異動先があまり私には合わず転職。その後は建材メーカーの高山支店に勤めました。5年ほど務めた頃に今の夫と結婚し、出産を機に仕事を辞めます。ここから現在進行形で、様々な困難と直面していくとは夢にも思いませんでした。</p>
<h2>夫が病に倒れた新婚生活</h2>
<p>子どもが生まれてからすぐ、<strong>夫が病に倒れてしまい長い闘病生活</strong>に入ります。子どもも幼く手のかかる時期です。思うように働けなくなってしまった夫の看病もしてあげたいけれど、子育てと家族が生きるのに精一杯の日々。当然経済的に大変なので、上の子を2歳から保育園に預けて働き始めました。結婚当初に医療事務の勉強をしていたおかげで、現在も病院や診療所でお仕事をさせてもらっています。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>夫の容体が安定してきて平穏な日常生活を取り戻した頃、二人目の子どもが生まれたんです。またそのタイミングで<strong>夫の病が再発</strong>してしまい、再び入退院の日々が始まります。上の子もまだ目が離せない時期だから、ギリギリの生活でした。家族のために働けず、必死に闘病している夫も辛かったと思います。<strong>当事者の辛さを全ては理解できない</strong>。だからこそぶつかり合ってしまうのが、情がある家族の難しいところですよね。そんな新婚生活でした。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>夫が病状の関係で富山の総合病院に入院していたんです。夫の通院に付き添っていたある時、ふと<strong>自分の胸にシコリがある</strong>ことに気づきました。その富山の病院に乳腺外科があり、すぐに受診したのが32歳の時。検査の結果は良性のシコリで一安心でしたが、「嚢胞(のうほう)」と呼ばれる水みたいな無数の影がレントゲンに映っていたんです。経過観察として年に一回は検査を受けることになり、真面目に毎年受診していました。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p><img loading="lazy" class="aligncenter wp-image-1131" src="https://hida-st.com/wp-content/uploads/2018/09/mitsuiyuko06-1024x616.jpg" alt="" width="542" height="326" srcset="https://hida-st.com/wp-content/uploads/2018/09/mitsuiyuko06-1024x616.jpg 1024w, https://hida-st.com/wp-content/uploads/2018/09/mitsuiyuko06-300x181.jpg 300w, https://hida-st.com/wp-content/uploads/2018/09/mitsuiyuko06-768x462.jpg 768w, https://hida-st.com/wp-content/uploads/2018/09/mitsuiyuko06.jpg 1914w" sizes="(max-width: 542px) 100vw, 542px" /></p>
<p>&nbsp;</p>
<h2>39歳、「乳がん」になりました。</h2>
<p>毎年検査を受けるようになって7年目、「三井さん、今年は大丈夫って言えない。精密な検査を受けてください。」と、唐突に主治医から告げられました。いくつかのさらなる検査を受けて、<strong>右胸に乳がん</strong>があることが発覚します。当時はショックすぎて号泣し、病状説明も全然聞けませんでした。高山までの２時間の帰り道、どうやって運転してきたのかも覚えていません。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p><strong>「三井さんの選択肢は右胸の全摘出しかありません。」</strong>初期だけど乳房の全体に広がるガンだから、選択肢がなかったみたいです。胸を失くす喪失感は、私はあまりなかったから素直に受け入れました。ありがたいことに手術の2ヶ月前に、乳房の再建術が保険適用になったんです。全摘出を経たものの乳房を再建したので、一見乳がん患者には見えないと思います。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>手術当時上の子は小学校6年生、下の子は1年生。大人でもショックなのに、ましてや子どもは<strong>「がん＝死」</strong>としかイメージできないですよね。悪い想像が膨らむ中で手術後、いろんな管に繋がれた痛々しい母の姿は相当堪えたでしょう。初期で発見できたので、抗がん剤の必要もなく手術だけで終わりましたが、そのショックは引きずっていました。<strong>30代でがんになった人なんて高山にいるのだろうか。</strong>自分だけじゃないかな。<strong>患者会を探して、当事者と話したい。</strong>日が経つにつれてそんな思いが強くなります。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>まずは富山の乳がん患者の会に行ってみたんです。越中のおばちゃんたちに可愛がってもらえたけど、当時39歳の私が一番若い。高山でも市民時報で見つけた、<a href="https://www.facebook.com/profile.php?id=100010810863109" target="_blank" rel="noopener noreferrer">蒲池和子</a>さんが主催する「ひだまりの会」に参加してみました。地元の当事者と出会える場はありがたかったけれど、やっぱり若い人はいなかった。その時は自分でそうした場を創る発想はありませんでしたが、自分が乳がんサバイバーであることを周りに隠してはいなかったんです。私と話がしたいという方には積極的に出会い、できる限りの情報提供をしていました。</p>
<p>&nbsp;</p>
<h2>がんの再発と親友との別れ</h2>
<p>日常生活を送りながら、定期検診を受ける日々がそれから4年ほど続きました。しかし去年の11月、今度は<strong>左胸に怪しい影がある</strong>と言われて精密検査となります。なにが辛いかって結果が出るまでに一週間かかるんですよ。針のむしろの一週間を耐えた結果は、またも<strong>乳がん。左胸も全摘出</strong>とのことでした。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>今度は泣き崩れることはなかったです。この数年で知識が付いていたので、病理の結果を見て「有効な治療法のあるがんだ！」と分かったからです。その時はすごく元気で闘争心に満ちていたのですが、すぐに落ち込んできます。手術前にもたくさんの検査があって、結果が怖いし時間がかかる。そうすると悪い方向へ想像が止まらなくなって<strong>「今度こそ死ぬんじゃないかな。他にも転移している？また再発する？」</strong>最後は寝られなくなりました。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p><img loading="lazy" class="aligncenter wp-image-1132" src="https://hida-st.com/wp-content/uploads/2018/09/mitsuiyuko05-1024x765.jpg" alt="" width="541" height="404" srcset="https://hida-st.com/wp-content/uploads/2018/09/mitsuiyuko05-1024x765.jpg 1024w, https://hida-st.com/wp-content/uploads/2018/09/mitsuiyuko05-300x224.jpg 300w, https://hida-st.com/wp-content/uploads/2018/09/mitsuiyuko05-768x574.jpg 768w, https://hida-st.com/wp-content/uploads/2018/09/mitsuiyuko05.jpg 1152w" sizes="(max-width: 541px) 100vw, 541px" /></p>
<p>&nbsp;</p>
<p>手術の直前に、<strong>同じ乳がんと闘っていた歳も近い親友と死別</strong>しました。その昔親友から「今すぐお家に行っていい？」と突然電話がかかってきたこと、今でも鮮明に覚えています。家に来た親友が「三井さん、胸を触って欲しい。」と言って、恐る恐る触った感触が忘れられません。すごく大きなしこりがありました。</p>
<p>それから親友は半年間の抗がん剤治療と手術を経験し、その後も定期的に抗がん剤治療を続けながらも、気丈に振る舞い元気に働いていました。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>私の2回目の再発の際、親友に連絡したら「私もあまり調子が良くなくて。」と言われたんです。親友の初めて吐いた弱音に、いつもの明るい姿とギャップを感じながらも「私の手術が落ち着いたら会いに行くね。」と伝えました。そう連絡した矢先、親友は亡くなってしまったんです。とにかく涙が止まりませんでした。亡くなる3日前まで連絡を取っていたのに、勝手に大丈夫、また会えると思っていたことが情けない。<strong>同じ当事者としてもっと寄り添えなかったのかな。</strong>ただただ悔しくて、親友のお葬式で<strong>「自分の手術を乗り切って、当事者が集まれる場を私がつくるね」</strong>と祭壇に向かって誓いました。</p>
<p>&nbsp;</p>
<h2>がんサークル Owlsとして動き出す</h2>
<p>無事に手術を終え、退院してすぐに<strong>「女性限定がんサークルOwls」</strong>を立ち上げました。一人で立ち上げたのですが、共に運営する相棒の<a href="https://www.facebook.com/profile.php?id=100015137741191" target="_blank" rel="noopener noreferrer">荒井里奈</a>さんとも運命的に巡り会えました。名前も顔も公表しているがんサバイバーで、新聞にコラムを連載していたんです。その記事を見て興味を抱いたら、なんと高山市在住と書いてあったためすぐに連絡しました。相棒も<strong>「高山にサバイバー仲間が欲しかったの！」</strong>と意気投合。相棒の存在なくしては活動できないくらい、私の心の大きな支えです。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p><img loading="lazy" class="aligncenter wp-image-1128" src="https://hida-st.com/wp-content/uploads/2018/09/mitsuiyuuko01.jpg" alt="" width="540" height="330" /></p>
<p>&nbsp;</p>
<p>サークル名の<strong>「Owls(オウルズ)」</strong>は文字通り<strong>「フクロウ」</strong>から名付けています。初めてがんを発症した年、ある検査に時間がかかって帰りが遅くなったんです。富山から高山までの帰り道、その日はなぜかいつもと違う41号線のルートを選んだんですね。峠に差し掛かり登る途中、車のヘッドライトの先に<strong>白いなにかが舞い降りて来た</strong>んです。寸前で止まってよく見たら、美しい野生のフクロウで大興奮。それ以来フクロウが好きで、自分の守り神なんです。</p>
<p>フクロウは世界中で<strong>幸運の鳥</strong>と言われていて、日本でも<strong>「不苦労」</strong>と当て字ができるため縁起が良いとされています。<strong>参加者が元気で幸せにいられるように</strong>と願いを込めて、フクロウの複数形で「Owls」と名付けました。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>2018年3月に、初めてOwlsとして座談会を開催します。最初は女性限定で、主に若年性乳がん・子宮頚がんサバイバーを対象にしていました。座談会を開催してみたら男性やご高齢の方からも問い合わせをたくさんいただいたんです。女性限定の安心できる場づくりだけじゃなくて、誰しもが参加できる会も主催しようと現在は隔月で交互に開催しています。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p><img loading="lazy" class="aligncenter wp-image-1127" src="https://hida-st.com/wp-content/uploads/2018/09/mitsuiyuuko03.jpg" alt="" width="541" height="299" /></p>
<p>&nbsp;</p>
<p>座談会では自己紹介から始めて、不安に思っていることや近況を順番に話していきます。辛かった当時を思い出したり、仲間を亡くしている方もいらっしゃるので、お話しされながら泣かれる方も多いですね。でも座談会の最後は、みなさん明るく笑顔で帰っていかれます。自分の本音を話せる場や共有できる仲間がいると、心強いだけじゃない。<strong>病気に対する受け入れ方も変わってきます</strong>よね。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>今後はOwlsとして座談会を続けながら、<strong>小児がんの支援活動</strong>も行いたいです。高山でも一年に一人くらい、小児がんに罹患する子どもたちがいます。しかし高山では治療できないケースが多く、子どもとお母さんが岐阜や名古屋に滞在して一年以上の闘病生活を送ります。そうした現状を多くの方に知ってほしいとOwlsに相談されました。<strong>当たり前に学校に行って、元気に遊べる子どもたちだけじゃない</strong>。まずは知っていただいて、善意をお寄せいただけたら嬉しいです。</p>
<h2>私は「がんサバイバー」として、強く生き続ける</h2>
<p>「がんになったら死んでしまう」というイメージ・先入観があるけれど、「いやいや違いますよ！」と言いたいです。<strong>「がん＝死」じゃない証</strong>として、まずはがんサバイバーの私たちが元気に活動し、日々を充実して生きること。それを発信することでできたら子どものうちから、<strong>「生きること・死ぬこと」に向き合う時間</strong>をつくってほしいです。だから私も様々な会に自分の子どもを連れて参加しています。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p><img loading="lazy" class="aligncenter wp-image-1129" src="https://hida-st.com/wp-content/uploads/2018/09/mitsuiyuko08-1024x638.jpg" alt="" width="540" height="336" srcset="https://hida-st.com/wp-content/uploads/2018/09/mitsuiyuko08-1024x638.jpg 1024w, https://hida-st.com/wp-content/uploads/2018/09/mitsuiyuko08-300x187.jpg 300w, https://hida-st.com/wp-content/uploads/2018/09/mitsuiyuko08-768x479.jpg 768w, https://hida-st.com/wp-content/uploads/2018/09/mitsuiyuko08.jpg 1750w" sizes="(max-width: 540px) 100vw, 540px" /></p>
<p>&nbsp;</p>
<p>積極的に情報発信をしていく中で、批判されることもよくあります。がんサバイバーだって友人と美味しいごはんを食べたり、お洒落をして外出したい。自分の病気をどう受け入れているか、捉え方が違う人たちがいるから社会なのかもしれないけれど、全部を否定されたくはないです。<strong>じゃあがんは可哀想な病気なのかな？決してそうじゃない</strong>と思うからこそ、私たちは立ち上がりました。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>これを読んでいるあなたもがんになるかもしれない。私たちだってがんで死ぬとは限らない。病気に限らず、様々な困難を一人で乗り越えるなんて難しいですよ。自分だけで抱え込まずに、いろんな人の助けをもらえるネットワークをつくることが大事ですよね。「Owls」がその一助になれたら嬉しいです。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>「生きていくこと、命とはなにか？」私が好きなある方の言葉では、<strong>「自分のために生きる時間じゃなくて、誰かのために使う時間の長さが命なんだよ」</strong>と語られています。私もこれからの人生は、誰かのために生きていこうと決意しました。それは親友との約束でもあります。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p><strong>「私、がんサバイバーよ！」</strong>と胸を張って言いたいんです。「がん患者」と呼ばれるよりは、今後も困難を乗り越えていけそうな気がする。<strong>誰かのために生き続けたい意志</strong>が、私にはあります。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p><img loading="lazy" class="aligncenter wp-image-1130" src="https://hida-st.com/wp-content/uploads/2018/09/mitsuiyuko07-1024x837.jpg" alt="" width="541" height="442" srcset="https://hida-st.com/wp-content/uploads/2018/09/mitsuiyuko07-1024x837.jpg 1024w, https://hida-st.com/wp-content/uploads/2018/09/mitsuiyuko07-300x245.jpg 300w, https://hida-st.com/wp-content/uploads/2018/09/mitsuiyuko07-768x628.jpg 768w, https://hida-st.com/wp-content/uploads/2018/09/mitsuiyuko07.jpg 1152w" sizes="(max-width: 541px) 100vw, 541px" /></p>
<p>&nbsp;</p>
<blockquote><p>強さを秘めた眼差しで、真っ直ぐに生きる意志を語る三井さん。その姿は<strong>人間の素晴らしく、美しい生命力</strong>に満ち溢れていました。平均寿命が100年を超えると言われる今後の日本社会、ますます多くのがんサバイバーが生まれます。Owlsの活動は飛騨に貴重な居場所を創り続け、<strong>生き続ける意志と尊厳を分かち合う</strong>ことでしょう。</p></blockquote>
<h2>連絡先</h2>
<p><strong>三井祐子(みついゆうこ)</strong></p>
<p><a href="https://www.facebook.com/profile.php?id=100007859107762">https://www.facebook.com/profile.php?id=100007859107762</a></p>
<p>携帯：090-7697-3783 (三井)</p>
<p>Mail：yu.mu.pu.1014@gmail.com</p>
<p>※Owlsの活動にご興味を持っていただいた方、上記よりお気軽にご連絡ください。</p>
<p>&nbsp;</p><p>The post <a href="https://hida-st.com/2018/09/26/mitsuiyuuko/" target="_blank">がんサバイバーとして、誰かのために生き続ける ー 三井祐子 ( がんサークル Owls 代表 )</a> first appeared on <a href="https://hida-st.com/" target="_blank">ヒダスト</a>.</p>]]></content:encoded>
					
		
		
			</item>
		<item>
		<title>もう誰も、不幸にさせない飛騨地域へ  ー 垣内無一 ( 須田病院 精神科医 )</title>
		<link>https://hida-st.com/2018/07/25/kaitomuichi/</link>
		
		<dc:creator><![CDATA[丸山純平]]></dc:creator>
		<pubDate>Wed, 25 Jul 2018 08:40:47 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[高山市]]></category>
		<category><![CDATA[40代]]></category>
		<category><![CDATA[医療]]></category>
		<category><![CDATA[医者]]></category>
		<category><![CDATA[斐太高校]]></category>
		<category><![CDATA[福祉]]></category>
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					<description><![CDATA[<p>&#160; 須田病院で精神科医として働く、垣内無一(かいとむいち)さん。 飛騨地域の心の闇や閉塞感と向き合い続ける中で、気づいた人間の弱さと優しさの本質。垣内さんがこの地域で成し遂げたい志とは？ 全ての優しくなりたい飛 [&#8230;]</p>
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										<content:encoded><![CDATA[<p><img loading="lazy" class="aligncenter wp-image-446" src="https://hida-st.com/wp-content/uploads/2018/07/kaitosann4-1024x375.jpg" alt="" width="539" height="197" srcset="https://hida-st.com/wp-content/uploads/2018/07/kaitosann4-1024x375.jpg 1024w, https://hida-st.com/wp-content/uploads/2018/07/kaitosann4-300x110.jpg 300w, https://hida-st.com/wp-content/uploads/2018/07/kaitosann4-768x282.jpg 768w, https://hida-st.com/wp-content/uploads/2018/07/kaitosann4-1920x704.jpg 1920w" sizes="(max-width: 539px) 100vw, 539px" /></p>
<p>&nbsp;</p>
<blockquote>
<p class="p1"><span class="s1">須田病院で精神科医として働く、垣内無一(かいとむいち)さん。</span></p>
<p class="p1"><span class="s1">飛騨地域の心の闇や閉塞感と向き合い続ける中で、気づいた<strong>人間の弱さと優しさの本質</strong>。垣内さんがこの地域で成し遂げたい志とは？</span></p>
<p class="p1"><span class="s1">全ての<strong>優しくなりたい飛騨人、必読</strong>です。</span></p>
</blockquote>
<h2 class="p2"><span class="s1"><b>「人助けをする仕事」そんな意識が育んだ正義感。</b></span></h2>
<p class="p3"><span class="s1">幼少期を高山市の森下町で過ごし、小学１年時に上岡本町に引っ越しました。「医療法人生仁会</span> <span class="s1">須田病院」を創ったのが母方の祖父で、小さい頃から祖父の家に遊びに行くたびに「将来は頼むな」と言われました。いずれは医師として病院内で貢献することを、期待されていたのを覚えています。</span></p>
<p class="p4"><span class="s1"> </span></p>
<p class="p3"><span class="s1">自分で言うのは恥ずかしいけど、そういうこともあって小さい頃から<strong>正義感の強い子</strong>でした。だから喧嘩もそんなに強い方ではなかったのですが、意地の悪い子たちとは衝動的によく喧嘩していましたね。</span></p>
<p class="p4"><span class="s1"> </span></p>
<p class="p3"><span class="s1">中学校で一心不乱にハンドボールに取り組み、斐太高校に進学した後も勉強と両立しながら打ち込んで、キャプテンも務めました。ところが、そこまでは順調だったんですけど、高校</span><span class="s2">3</span><span class="s1">年の時に好きな子ができたんですね。そうしたら一つのことに突き進むタイプが仇になってしまって、いっぱい遊んじゃいました。それで目指していた大学に行けなくなっちゃって、私立の金沢医科大学に入ったんです。挫折を味わいましたがその分、<strong>大学ではめちゃくちゃ勉強しました</strong>ね。</span></p>
<p>&nbsp;</p>
<p class="p4"><span class="s1"> </span><span class="s1">医学部で学ぶことのほとんどは人間の身体の勉強です。</span><span class="s2">100</span><span class="s1">あるとしたらその中で精神科の勉強って５くらいかな。だから学術的に没頭していく中で、途中からもっと内科学のことも学びたいと思うようになって、気づいたら精神医学にも精通する<b>「神経内科学」</b>を専攻していました。今では中枢神経</span><span class="s2">(</span><span class="s1">脳・脊髄</span><span class="s2">)</span><span class="s1">から末梢神経まで、人間の神経系というものがどう人間の精神系に影響しているのかに興味が移り、その学びが今の僕を形成しています。</span></p>
<p class="p4"><span class="s1"> </span></p>
<p class="p3"><span class="s1">無事に大学を卒業してからは、</span><span class="s2">10</span><span class="s1">年くらい金沢の大学病院に勤めました。そして神経内科の専門医として働きながら、傍らで脳梗塞の研究をして博士号を取得しました。さあこれから本番だ！という気持ちで、高山に戻ってきたのが</span><span class="s2">8</span><span class="s1">年前ですかね。今は須田病院で働きながら、金沢で大学の講義を受け持ったりしています。最近では<b>脳科学も発展してきて、心の病気も脳の病気だと認識されてきていますので、神経内科学と精神医学はより身近な診療科になってきました。</b>僕は神経内科にもいたから、より論理的に心の病気を診れたりするのは強みですかね。</span></p>
<p>&nbsp;</p>
<p class="p4"><span class="s1"><img loading="lazy" class="aligncenter wp-image-532" src="https://hida-st.com/wp-content/uploads/2018/07/kaitosensei4-1024x768.jpg" alt="" width="423" height="318" srcset="https://hida-st.com/wp-content/uploads/2018/07/kaitosensei4-1024x768.jpg 1024w, https://hida-st.com/wp-content/uploads/2018/07/kaitosensei4-300x225.jpg 300w, https://hida-st.com/wp-content/uploads/2018/07/kaitosensei4-768x576.jpg 768w, https://hida-st.com/wp-content/uploads/2018/07/kaitosensei4-1920x1440.jpg 1920w" sizes="(max-width: 423px) 100vw, 423px" /> </span></p>
<h2 class="p2"><span class="s1"><b>普通に生活して人生を終えていける地域を。</b></span></h2>
<p class="p3"><span class="s1">認知症患者は少子高齢化でとても増えてきていて、僕は神経内科の経験もあるから<b>認知症疾患専任医師</b>を任されています。僕が大事にしている考え方は<b>ノーマライゼーション</b></span><span class="s2"><b>(</b></span><span class="s1"><b>高齢者も障がい者も健常者と同様の生活ができるように支援すること</b></span><span class="s2"><b>)</b></span><span class="s1">です。認知症になっても普通に<b>生活して人生を終えていける</b>ような姿が理想ですよね。しかしそんなに簡単な話ではありません。</span></p>
<p class="p4"><span class="s1"> </span></p>
<p class="p3"><span class="s1">ちょうど昨年、『渡る世間は鬼ばかり』でも有名な脚本家の橋田壽賀子さんが『安楽死で死なせて下さい』という著書をお書きになりました。その中で<b>「認知症になって、みんなに迷惑をかけるくらいなら死にたい。」</b>と発言して、そうしたらそこに共感した人が予想以上に多かったんですね。でもその発言は、一生懸命に認知症患者さんをサポートしているご家族や我々スタッフからすると、<strong>否定</strong>されているようで正直不快だったりします。</span></p>
<p>&nbsp;</p>
<p class="p3"><span class="s1">だって人間は<b>社会的な生き物</b>なんだから、そういうときこそ<b>支え合って生きていくのが大事</b>じゃないですか。それに、そうした思想が過ぎると<b>優生思想</b></span><span class="s2"><b>(</b></span><span class="s1"><b>障がいの有無や人種などを基準に人に優劣をつけようとする思想</b></span><span class="s2"><b>)</b></span><span class="s1">に行き着いてしまう恐れもあります。</span></p>
<p>そういう意味で、近年は人間は老いて生きていくことの意味とか、<b>高齢者を敬うことの意味とか、あるいは死生学</b>とか、そういうスピリチュアルな事も、ある程度は考えないといけない時代になってきたのだと思います。<span class="s2"> </span></p>
<p>&nbsp;</p>
<p><img loading="lazy" class="aligncenter wp-image-531" src="https://hida-st.com/wp-content/uploads/2018/07/kaitosensei5-990x1024.jpg" alt="" width="338" height="350" srcset="https://hida-st.com/wp-content/uploads/2018/07/kaitosensei5-990x1024.jpg 990w, https://hida-st.com/wp-content/uploads/2018/07/kaitosensei5-290x300.jpg 290w, https://hida-st.com/wp-content/uploads/2018/07/kaitosensei5-768x794.jpg 768w, https://hida-st.com/wp-content/uploads/2018/07/kaitosensei5.jpg 1320w" sizes="(max-width: 338px) 100vw, 338px" /></p>
<p>&nbsp;</p>
<p class="p3"><span class="s1">認知症患者にはまだまだ根強い偏見もあるけど、昭和の初期までは「座敷牢」に隔離されていた時代もあった。それと比べたら今は在るべき姿に近づいていて、そこに貢献できているのは嬉しいし、やりがいがあると思いますね。</span></p>
<p class="p4"><span class="s1"> </span></p>
<p class="p3"><span class="s1">認知症の啓発活動もどんどんおこなっています。ただ、認知症の人たちやその周りでサポートする人への知識・情報提供も大事だけど、本質的には一般の人たちの健康こそが優しい社会につながると考えています。一般の人が<b>不健全で余裕がないと、社会的弱者に優しくできない</b>ですからね。</span></p>
<p class="p4"><span class="s1"> </span></p>
<h2 class="p2"><span class="s1"><b>「人間は自分勝手で弱い生き物」だと思っている。</b></span></h2>
<p class="p3"><span class="s1">僕はギスギスした社会は嫌いです。でもここ最近、<b>世間は寛容じゃなくなっている</b>と思いませんか。一方の寛容を許容して、もう一方を社会的な正義を盾にして隅に押しやっている。もちろん人を傷つけるような犯罪は別にして、人間は時にミスを犯すものです。</span></p>
<p>&nbsp;</p>
<p class="p3"><span class="s1">それなのに<strong>「なぜこのニュースをここまで大げさに取り上げるのか？」</strong>と言いたくなるような、過大報道されているニュースが多い。そうすると不倫でも未成年飲酒でもなんでもそうだけど、加害者側がまるで殺人を犯したかのようにマスコミや世間に叩かれますよね。</span></p>
<p class="p4"><span class="s1"> </span></p>
<p class="p3"><span class="s1"><b>それって大人の社会的なイジメ</b>だと思うんです。叩かれている人の気持ちを想って苦しくなる。<b>一方は助けるけど、一方は追い詰める。</b>それって<b>本質的にはマスコミが加害者側と同じ</b>ことをしているようなものですよ。どっちも同じ人権なのにね。</span></p>
<p>&nbsp;</p>
<p><img loading="lazy" class="aligncenter wp-image-530" src="https://hida-st.com/wp-content/uploads/2018/07/kaitosensei6-1024x922.jpg" alt="" width="374" height="337" srcset="https://hida-st.com/wp-content/uploads/2018/07/kaitosensei6-1024x922.jpg 1024w, https://hida-st.com/wp-content/uploads/2018/07/kaitosensei6-300x270.jpg 300w, https://hida-st.com/wp-content/uploads/2018/07/kaitosensei6-768x691.jpg 768w, https://hida-st.com/wp-content/uploads/2018/07/kaitosensei6.jpg 1503w" sizes="(max-width: 374px) 100vw, 374px" /></p>
<p class="p4"><span class="s1"> </span></p>
<p class="p3"><span class="s1">つくづく思うけど、<b>人間は自分勝手で弱い生き物</b>。僕からしたら<b>けったいなことをいう人間にも、それぞれの原点や正義がある</b>訳です。価値観だって千差万別。その人たちも巻き込んで、平和を目指すためにはどうすればいいんだろう？って考えないといけない気がする。少なくとも人間に優しくなるってことは、<b>その相手にも寄り添わないといけない</b>と思うんです。</span></p>
<p class="p4"><span class="s1"> </span></p>
<p class="p3"><span class="s1">理想論を語り過ぎたら現実が見えなくなる。合理化に走り過ぎると、全体主義で個人の幸せは感じられなくなる。どっちにも傾きすぎてもいけないから、やっぱり最終的な結論は<strong>バランス</strong>なんですよ。</span></p>
<p>&nbsp;</p>
<p>それに人間には<b>無駄なものを大事にしたり、無意味なものに価値観を見出したり、合理化だけじゃ説明できない心の機微や人と人との絆</b>があります。弱い人がいて、価値観の違う人がいる。多種多様な人間同士がお互いを認め合って助け合ってきたからこそ人類は繁栄してきたんだから。</p>
<h2 class="p2"><span class="s1"><b>人間は弱いから、「安全基地」がないと。</b></span></h2>
<p class="p3"><span class="s1">まずは自分自身の精神が安定していないと、患者を助けることはできません。自身のメンタルを健全に保つためには、<b>今では何事にも感謝すること</b>が大事だと思うようになりました。嫌なことがあっても感謝の気持ちをもつ。それがなくなると辛くなってくるし、感謝できるかできないかで日々の心の健康状態も分かります。</span></p>
<p class="p4"><span class="s1"> </span></p>
<p class="p3"><span class="s1">もう一つ大事なのは、その人にとっての<b>「安全基地」</b>があること。「安全基地」があれば相手を尊重できる余裕が生まれます。定義は<b>「自分が</b></span><span class="s2"><b>100</b></span><span class="s1"><b>パーセント認められ、理解される場所」</b>です。例えば学校で暴れる子たちの中には、家庭が安全基地として機能していない場合がしばしばあります。家庭では厳しくしつけられているので、一見意外と</span><span class="s1">しっかりしていたりする。でも家の中で否定ばかりされていると、我慢して我慢して外（学校の中）で爆発しちゃうわけです。</span></p>
<p class="p4"><span class="s1"> </span></p>
<p class="p3"><span class="s1">うちに駆け込んでくる若い患者さんも、自身を否定されていると感じて生きている子がたくさんいます。自分が甘えたい場所で甘えられなかったり、どうしてよいかわからなくて自傷や犯罪に走ってしまう事がある。だからこそ<strong>無条件で自己を肯定されている、愛されていると感じられる安全基地が必要</strong>なんです。</span></p>
<p><b>人間は弱い生き物です。</b>でも無条件に認められて受け入れられる場があれば、他人を尊重できたり、誰かと本当の絆を築くことができるんではないでしょうか。</p>
<p class="p4"><span class="s1"> </span></p>
<p class="p3"><span class="s1">また同じ境遇でも、立ち上がれる人と立ち上がれない人がいます。その差はなんだろうってずっと考えてきたけど、その人自身の心の強さというよりは、<b>周りにメンター</b></span><span class="s2"><b>(</b></span><span class="s1"><b>師匠</b></span><span class="s2"><b>)</b></span><span class="s1"><b>がいること</b>が大事だと思いますね。適切な言葉を投げてくれて、良い方向へ引き上げてくれる人に恵まれているかどうか。</span></p>
<p class="p4"><span class="s1"> </span></p>
<p class="p3"><span class="s1">例えばシングルマザーの方で、周りに相談できる人が誰もいなくて、気がついたら追い詰められて潰れちゃう方は多いです。でも自分をポジティブにする発想や思考を投げかけてくれたり、愚痴や言葉を交わせる人がいると違う。些細な会話でも、誰かがボソッと漏らした前向きな言葉に救われることとかも結構あると思うんです。だから<strong>対話の場だったり自己開示できる場づくりには、尊い価値</strong>を感じています。</span></p>
<p>&nbsp;</p>
<p><img loading="lazy" class="aligncenter wp-image-449" src="https://hida-st.com/wp-content/uploads/2018/07/kaitosann1.jpg" alt="" width="456" height="257" srcset="https://hida-st.com/wp-content/uploads/2018/07/kaitosann1.jpg 960w, https://hida-st.com/wp-content/uploads/2018/07/kaitosann1-300x169.jpg 300w, https://hida-st.com/wp-content/uploads/2018/07/kaitosann1-768x432.jpg 768w" sizes="(max-width: 456px) 100vw, 456px" /></p>
<h2 class="p2"><span class="s1"><b>「自殺者</b></span><span class="s3"><b>0</b></span><span class="s1"><b>」の飛騨地域へ</b></span></h2>
<p class="p3"><span class="s1">僕が高山で好きな景色・場所は、宮川朝市ですね。どちらかといえば陣屋前の朝市の方が良いかな。おばあちゃんの健気で一生懸命な姿をみると、感動します。小さな体で朝早くから頑張って<b>周りと協調しながら働く姿を見ると、飛騨の山奥で暮らしてきた人の生活感や底力</b>みたいなものを感じる事ができるから<b>です。</b></span><span class="s2"> </span></p>
<p>&nbsp;</p>
<p class="p3"><span class="s1">ある方が飛騨地域を<b>「すり鉢の中で生きていく世界」</b>だと表現していました。山々に囲まれた、冬は大雪に閉ざされる狭い盆地で、支え合いながら生きていく世界。だから対立構造をなるべくつくらないように、折衷案を重ねて先人たちは生きてきました。</span></p>
<p class="p4"><span class="s1"> </span></p>
<p class="p3"><span class="s1">でもね、<b>飛騨地方って自殺率が高いんですよ。</b>岐阜県内でもダントツで高い。すり鉢の世界だから、一度生き辛さを感じると逃げ場がないんですね。飛騨の精神医療を一手に担う、須田病院で働く人間としては大変不名誉なことです。だから僕の目標の一つは<b>「飛騨地域の自殺者を０にする」</b>こと。伝統文化があって、素敵な人がたくさんいて、美味しいご飯がある良い土地なのに、自殺率が高いって、やっぱダメでしょ！！</span></p>
<p class="p4"><span class="s1"> </span></p>
<p><img loading="lazy" class="aligncenter wp-image-536" src="https://hida-st.com/wp-content/uploads/2018/07/kaitosensei8-1024x673.jpg" alt="" width="355" height="233" srcset="https://hida-st.com/wp-content/uploads/2018/07/kaitosensei8-1024x673.jpg 1024w, https://hida-st.com/wp-content/uploads/2018/07/kaitosensei8-300x197.jpg 300w, https://hida-st.com/wp-content/uploads/2018/07/kaitosensei8-768x505.jpg 768w, https://hida-st.com/wp-content/uploads/2018/07/kaitosensei8.jpg 1890w" sizes="(max-width: 355px) 100vw, 355px" /></p>
<p>&nbsp;</p>
<p class="p3"><span class="s1">マイノリティ</span><span class="s2">(</span><span class="s1">少数派</span><span class="s2">)</span><span class="s1">の声は絶対大事です。<b>田舎では「剛に入っては郷に従え」といった慣習や思想</b>が今でも根強く残っていますけども、<b>同調意識で守るだけだと「排他」の文化</b>になってしまいます。弱い人たちに優しくあれる社会を、田舎だけどグローバルな価値観を持った地域を創りたいんです。</span></p>
<p class="p4"><span class="s1"> </span></p>
<p class="p3"><span class="s1">この歳になってようやく気が付いたことは、自分の人生で身を賭してできることってほんの僅かしかないってこと。だからこそ様々な分野の志が近い仲間たちと協働し合って、<b>物事を成し遂げていく</b>こと。<b>小さな歯車</b>になることが大事。</span></p>
<p class="p4"><span class="s1"> </span></p>
<p class="p3"><span class="s1"><strong>人間は優しくもあるし卑怯でもある、曖昧な生き物。</strong>だからこそお互いが支え合い、ポジティブな意思を紡いでいかないといけない。僕も日々、優しくなりたいと思っています。みんな平和に、心穏やかに過ごせる地域にしていきたいですね。</span></p>
<p>&nbsp;</p>
<p class="p4"><span class="s1"> </span></p>
<blockquote>
<p class="p3"><span class="s1"><b>「優しくなりたい。」</b>取材中、何度もそう呟く垣内さんの志は、日々多くの悩みや葛藤と立ち向かっています。それでも実現させたいのは、もう<strong>誰も不幸にさせない飛騨地域</strong>。今日もその志が、尊い生命に寄り添い続けています。</span></p>
</blockquote>
<p class="p4"><span class="s1"> </span></p>
<h2 class="p2"><span class="s1"><b>連絡先</b></span></h2>
<p class="p3"><span class="s1"><b>垣内無一</b></span><span class="s2"><b> ( </b></span><span class="s1"><b>かいとむいち</b></span><span class="s2"><b> )</b></span><span class="s1"><b>　</b></span></p>
<p class="p3"><span class="s1">医療法人生仁会須田病院</span><span class="s2"> / </span><span class="s1">認知症疾患医療センター長</span></p>
<p class="p3"><span class="s2"><a href="https://www.facebook.com/profile.php?id=100009752738696">https://www.facebook.com/profile.php?id=100009752738696</a></span></p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p><p>The post <a href="https://hida-st.com/2018/07/25/kaitomuichi/" target="_blank">もう誰も、不幸にさせない飛騨地域へ  ー 垣内無一 ( 須田病院 精神科医 )</a> first appeared on <a href="https://hida-st.com/" target="_blank">ヒダスト</a>.</p>]]></content:encoded>
					
		
		
			</item>
		<item>
		<title>「迷ったらマイナーへ」 生涯学問が「変態」を育む ー 益田大輔 ( 須田病院 / ウルトラメンタルクリニック 精神科医)</title>
		<link>https://hida-st.com/2018/07/11/masudadaisuke/</link>
		
		<dc:creator><![CDATA[丸山純平]]></dc:creator>
		<pubDate>Wed, 11 Jul 2018 09:09:20 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[高山市]]></category>
		<category><![CDATA[40代]]></category>
		<category><![CDATA[医療]]></category>
		<category><![CDATA[医者]]></category>
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					<description><![CDATA[<p>&#160; 須田病院とウルトラメンタルクリニックで精神科医として活躍する、益田大輔(ますだだいすけ)さん。精神科医が天職だと話す、その人生の軸となったのは「演劇」との出会いでした。 信念を持ち自身の道を進み続ける、益田 [&#8230;]</p>
<p>The post <a href="https://hida-st.com/2018/07/11/masudadaisuke/" target="_blank">「迷ったらマイナーへ」 生涯学問が「変態」を育む ー 益田大輔 ( 須田病院 / ウルトラメンタルクリニック 精神科医)</a> first appeared on <a href="https://hida-st.com/" target="_blank">ヒダスト</a>.</p>]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<p><img loading="lazy" class="aligncenter wp-image-364" src="https://hida-st.com/wp-content/uploads/2018/05/S__14917858-e1530607455118-738x1024.jpg" alt="" width="355" height="493" /></p>
<p>&nbsp;</p>
<blockquote><p><em>須田病院とウルトラメンタルクリニックで精神科医として活躍する、<span class="s1">益田大輔(ますだだいすけ)さん。</span></em><em><strong>精神科医が天職</strong>だと話す、その人生の軸となったのは<strong>「演劇」</strong>との出会いでした。</em></p>
<p><em>信念を持ち自身の道を進み続ける、益田さんの半生に迫ります</em><em>。まもなく舞台の幕開けです。</em></p></blockquote>
<p>&nbsp;</p>
<h2><span class="s1">第一幕：<strong>「周りと違うということは重要であろう」 子ども時代からの価値観。</strong></span></h2>
<p class="p1"><span class="s1">福岡県福岡市に生まれました。小さい頃から大人びていたというか、精神年齢がおじいちゃんでした。幼稚園の時もアニメとか全く興味がなくて、毎日15時から大相撲を観ていましたね。幼稚園の誕生日プレゼントは九州場所のチケットでした。</span></p>
<p class="p1"><span class="s1">　</span></p>
<p class="p1"><span class="s1">小学校の時に学級委員をやっていたのですが、某募金活動に対して「これは意味がない。偽善だ。」と反対運動を仕掛けたり、高校の時も文化祭の総評を学級で出せと言われて、「うちのクラスでは総評はありません。総評がないということも尊いことである。」とまとめたり、<strong>予定調和では終わらせないタイプ</strong>でした。</span></p>
<p>&nbsp;</p>
<p class="p1"><span class="s1"><strong>「周りと違うということは重要であろう」</strong></span><span class="s1">小さい頃から、そうした価値観が根底にありましたね。まあ当然、担任の先生は嫌がっていましたけれど。思い返せばこの頃から、<strong>人間の精神や心の機微</strong>に興味がありました。</span></p>
<p class="p1"><span class="s1">　</span></p>
<p class="p1"><span class="s1">実家が漢方を扱っていたため</span><span class="s1">、小さい頃から「薬剤師になれ」と言われて育ったんです。九州大学の薬学部を目指していて、薬学だから必要だろうと高校で生物の科目を選択したら、まさかの高3の夏に薬学部受験には物理科目が必須だと発覚したんですよ。今さら親に言えないよね。それでスマートな言い訳を考えた結果、「僕は薬剤師ではなく、医者になるんだ」と宣言して医学部を目指すことにしました。それで一浪して愛媛大学の医学部に進学したんです。</span></p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<h2><span class="s1">第二幕：<strong>「君たちにこの芝居は無理だった</strong>」 衝撃的な演劇との出会い。</span></h2>
<p class="p1"><span class="s1">大学に入学してから、自分の<strong>人生の軸となる「演劇」</strong>に出会いました。僕の人生で唯一の師匠である、演劇部の<strong>団長</strong>との出会いもその時です。団長は僕の学部の二つ上の先輩でした。</span></p>
<p>&nbsp;</p>
<p class="p1"><span class="s1">僕が大学一年の夏に、当時演劇部ではなかったのですが、ある芝居のお手伝いをしていたんです。それは4人芝居で、一ヶ月みっちり練習していました。団長は厳しい演出家なので、上手く演じられない役者のセリフはどんどんカットしていたんです。そうしたら本番の一週間前、プレッシャーからか主役の人の声が出なくなってしまいました。</span></p>
<p>&nbsp;</p>
<p class="p1"><span class="s1">それでもやるしかないので公演に臨んだら、最終公演の後半から声が出始めたんです。</span><span class="s1">演者も裏方もみんなが本番に強くて、僕も側から見ててこれは良いと思った。圧倒的に一番良くて、みんな手応えがあったんです。そうしたら公演後、最後にみんなが集まったところで団長が一言</span><span class="s1"><strong>「君たちにこの芝居は無理だった</strong>」と言いまして・・。そりゃ一同「エェー！」ってなるよね。今日は最高に良かったと思ったら、それでもダメかと。最終日くらい褒めればいいのに「君たちに任せた僕が悪かった。」なんて言い出すから、衝撃的でした。</span></p>
<p>&nbsp;</p>
<p class="p1"><span class="s1">でも逆に僕はその<strong>団長の言葉と姿勢に、信頼を感じた</strong>んです。そんなに奥深い世界なら、僕も芝居をやってみたいと決意しました。</span><span class="s1">そうして</span><span class="s1">芝居をやり出した時、下積みから始まると思ったら最初から主役をやらせてもらったんです。理由を聞いたら、「脇役をやると脇役の演技が身につくから」と言われて、そういうものかと腑に落ちました。主役に限らず脇役でも裏方でもそうなんでしょう。演劇に打ち込んだ大学生活でした。</span></p>
<p>&nbsp;</p>
<p><img loading="lazy" class="aligncenter wp-image-367" src="https://dear-hida.com/wp-content/uploads/2018/05/20180625_180703_0067.jpg" alt="" width="452" height="319" srcset="https://hida-st.com/wp-content/uploads/2018/05/20180625_180703_0067.jpg 750w, https://hida-st.com/wp-content/uploads/2018/05/20180625_180703_0067-300x212.jpg 300w" sizes="(max-width: 452px) 100vw, 452px" /></p>
<p>&nbsp;</p>
<p class="p1"><span class="s1">大学を卒業するとき、<strong>医者になるのか役者になるのか悩みました</strong>。その時ちょうど2000年で、「21世紀の石原裕次郎を探せ！」オーディションがあったんです。主催事務所の石原プロモーションは高学歴が好きで、おそらく受験者の中で医師免許を持っているのは僕しかいない。手応えはあったのですが、残念ながらオーディションには通りませんでした。そこで潔く役者の道を諦めて、医者の道を選びました。</span></p>
<h2><span class="s1">第三幕：「昨日は眠れましたか？」 演劇的な駆け引きが精神科。</span></h2>
<p class="p1"><span class="s1">岐阜県には縁もゆかりもありませんでしたが、例の団長が岐阜で働いていたこともあり、卒業後は精神科医として岐阜大学病院に来ました。</span><span class="s1">当時は大学で医学を学ぶ中で、内科とか神経科といったいろんな科を回って勉強するんです。どの科も診るのは一部の臓器であったり特定の部位であったりする中で、</span><span class="s1">その人の<strong>人生や背景、人間模様を見るのが精神科</strong>だったんです。目に見えないものを見る世界なので演劇と親和性が高く、圧倒的に面白さと奥深さを感じました。<strong>天職</strong>だったね。</span></p>
<p>&nbsp;</p>
<p class="p1"><span class="s1">その後、高山市への派遣を頼まれて、断る理由もなかったから二つ返事で移住したのが27歳頃。そこからはあっという間だね。</span><span class="s1">高山に来てから5年くらいは高山赤十字病院にいました。その後は須田病院に移ってもう10年ほどでしょうか。週に何日かはウルトラメンタルクリニックでも働いています。</span></p>
<p>&nbsp;</p>
<p class="p1"><span class="s1">精神科の仕事では目に見えないところを見るのですが、<strong>答えがないところにやりがい</strong>を感じます。患者の放つ言葉の内容と、実際に思っていることが決してイコールではない。裏腹な訳ですよ。例えば僕が「昨日は眠れましたか？」と聞いて、患者さんが「はい、眠れました。」と答える。その信憑性を考えるんです。実際は眠れているのか、眠れていないのか。</span></p>
<p>&nbsp;</p>
<p><img loading="lazy" class="aligncenter wp-image-349" src="https://dear-hida.com/wp-content/uploads/2018/05/masudasan8.jpg" alt="" width="496" height="372" srcset="https://hida-st.com/wp-content/uploads/2018/05/masudasan8.jpg 960w, https://hida-st.com/wp-content/uploads/2018/05/masudasan8-300x225.jpg 300w, https://hida-st.com/wp-content/uploads/2018/05/masudasan8-768x576.jpg 768w" sizes="(max-width: 496px) 100vw, 496px" /></p>
<p class="p1"><span class="s1">極端な例ではありますが、つまり<strong>言葉は情報量が一番少ない</strong>んです。その言葉を発した人の表情や姿勢で実際はどうだったかを推定する。最初から<strong>駆け引き</strong>で、ある種の化かし合いに近いから演劇的なんですよ。</span></p>
<p class="p1"><span class="s1">飛騨地域の患者さんは良い人ばかりですが、<strong>アルコール依存の方が多い</strong>ので、みなさん飲み過ぎには気をつけてくださいね。今はメンタルヘルス(精神の健康)がとても重要視されてきているから、須田病院への偏見の目も多少は和らいできている気はします。心の不調を感じたら、お気軽にご相談に来てください。</span></p>
<h2>第四幕：「<span class="s1">ストイックな練習で手加減がない</span>」演劇の学びと触れ合い。</h2>
<p>高山でも演劇活動は続けたいと思い、移住してきてすぐに高山で<strong>「劇団コスモアタック」</strong>を立ち上げました。高山市出身の俳優である中田裕一さんに出会ったのも大きかったですね。<span class="s1">ストイックな練習で手加減がないんですよ。そうして演劇に関わりながら、年に数本ペースで舞台に立ったり、演出側に回ったりしています。</span></p>
<p class="p1"><span class="s1">最近では<strong>「お化け屋敷」</strong>に注力しています。遊園地などでも体験ミッション型のお化け屋敷が流行っていますが、劇団が本気で演じる方が絶対に怖いですからね！劇団員からやってみたいとの声が上がりました。それで「ゴーストアクターズ」という15人規模の劇団が</span><span class="s1">立ち上がって、毎年夏にお化け屋敷を開催しています。今年も開催しますよ。</span></p>
<p>&nbsp;</p>
<p><img loading="lazy" class="aligncenter wp-image-272" src="https://dear-hida.com/wp-content/uploads/2018/05/masudasan2-e1530085005369.jpg" alt="" width="457" height="360" srcset="https://hida-st.com/wp-content/uploads/2018/05/masudasan2-e1530085005369.jpg 719w, https://hida-st.com/wp-content/uploads/2018/05/masudasan2-e1530085005369-300x237.jpg 300w" sizes="(max-width: 457px) 100vw, 457px" /></p>
<p>&nbsp;</p>
<p class="p1"><span class="s1">高山からでもこうした文化を生み出していけるのは面白いですし、地元の中高生といった若い子に楽しんでいただけるのは嬉しいよね。演劇に限らずですが、高山は<strong>人口規模に反比例して非常に文化度が高い</strong>ですよ。</span></p>
<p>&nbsp;</p>
<p><span class="s1">そうした演劇や市民活動を通した<strong>出会いと学びが、日々の業務にも還元</strong>されています。精神科の場合は特に、業務外で<strong>多様な人間と触れ合うことが大事</strong>ですから。もちろん患者さんと触れ合う中で成長していくこともあるけれど、圧倒的に業務外の時間に学んだことを還元していくほうが良いね。</span></p>
<p>&nbsp;</p>
<p><span class="s1">実際に治療しているときは、学ぶというよりは凌ぐに近くなる。一日に何十人もの患者さんを診る中で、一人一人とお話しできる時間には限界がありますからね。PKでシュートを打たれるゴールキーパーの立場。<strong>その瞬間にいかに、今ある能力を出し切れるかどうか。</strong>振り返って学ぶことはもちろんあるけれど、オフの時間にどれだけ知見を蓄積できるかが大事ですね。</span></p>
<h2>第五幕：<span class="s1"><strong>「迷ったらマイナーへ。」 </strong></span>生涯学問が「変態」を育む。</h2>
<p class="p1"><span class="s1">高山の好きな景色は、いろんな場所から一望する高山の街並みです。パークボウル、飛騨・世界生活文化センター、位山の頂上。挙げればキリがありません。また高山インターチェンジから降りてくると、美しい山々がお出迎えしてくれますよね。僕はこの<strong>山々に抱かれた高山の地で、これからも生きていきたい</strong>です。</span></p>
<p>&nbsp;</p>
<p><span class="s1">だからこそみんな、もうちょっと<strong>街のことを考えないとやばい</strong>よ。配偶者や子どもがいる人は特にね。もはや安定社会ではないし、これからも人口が減り続けるのは間違いない。すでに労働生産人口は少なくなっているから、観光資源がなかったら消滅可能性都市に指定されてもおかしくはない。</span><span class="s1">でも高山市はこれからの<strong>地方の在るべき姿を全国に提示できる</strong>、モデルケースとなる土壌があると思う。</span></p>
<p>&nbsp;</p>
<p class="p1"><span class="s1">先日も<strong>「変態学」</strong>という講座名でお話しさせていただきましたが、<strong>多様な生き方を尊重することが豊かさに繋がる</strong></span><span class="s1"><strong>時代</strong>になっています。誤解されないように、僕の中での「変態」の定義は、<strong>「自分らしさや、個性を表に出す度合いの高めな人」</strong>です。日本は法治国家なので法に触れることは許されませんが、可能な限り誰しもが自分自身を解放して、のびのびと生きられる街が良いですよね。</span></p>
<p>&nbsp;</p>
<p><img loading="lazy" class="aligncenter wp-image-353" src="https://dear-hida.com/wp-content/uploads/2018/05/masudasan.jpg" alt="" width="466" height="261" srcset="https://hida-st.com/wp-content/uploads/2018/05/masudasan.jpg 750w, https://hida-st.com/wp-content/uploads/2018/05/masudasan-300x168.jpg 300w" sizes="(max-width: 466px) 100vw, 466px" /></p>
<p>&nbsp;</p>
<p class="p1"><span class="s1">そうして自身の変態性に気づいて個性を伸ばしていける人は、<strong>他人の変態性にも寛容</strong>です。同調圧力の強い、同質性の高い集団・地域は衰退していく時代です。<strong>少数派に厳しい街では、チャレンジは生まれない</strong>ですから。</span></p>
<p>&nbsp;</p>
<p class="p1"><span class="s1">そのためには<strong>生涯学問のすゝめ</strong>ですね。老若男女関係なく、みなさん常に学びましょう。みんなで一緒に学びましょう。あなたが少しでも賢くなることが、街を良くすることに繋がります。</span><span class="s1">もう<strong>感情的な対立をしている時代じゃない</strong>ですし、そんな余裕は地方にはないです。</span><span class="s1">生涯学習を肝に銘じて、好きなだけ勉強をして、好きなだけ研鑽を積む。そうしてもっとみんなが活躍できる街であってほしい。</span></p>
<p>&nbsp;</p>
<p><img loading="lazy" class="aligncenter wp-image-355" src="https://dear-hida.com/wp-content/uploads/2018/05/20180625_180627_0053.jpg" alt="" width="467" height="533" srcset="https://hida-st.com/wp-content/uploads/2018/05/20180625_180627_0053.jpg 750w, https://hida-st.com/wp-content/uploads/2018/05/20180625_180627_0053-263x300.jpg 263w" sizes="(max-width: 467px) 100vw, 467px" /></p>
<p>&nbsp;</p>
<p><span class="s1">この街に生きる人々の<strong>心の健康をサポート</strong>しながら、まずは僕自身が率先して学び、個性を表現していきたい。<strong>「迷ったらマイナーへ。」</strong>を合言葉にどんどん変態が生まれて、誰もが輝ける高山がいいね。そんな街に僕は住み続けたいな。</span></p>
<p>&nbsp;</p>
<blockquote><p><em>地域を変えるのは<strong>「よそもの・わかもの・ばかもの」</strong>だとよく言われます。まさに異端児として活躍し続ける益田さんの想いが、</em><em><span class="s1">この街を心から元気に、健康に、蘇らせていくことでしょう。</span></em></p>
<p><em><span class="s1">益田さんの舞台は多くの観客を魅了しながら、まだまだこの地で続きます。</span></em></p></blockquote>
<h2 class="p1"><span class="s1">連絡先</span></h2>
<p class="p1"><strong><span class="s1">益田大輔(ますだだいすけ)</span></strong></p>
<p class="p1"><span class="s2"><a href="https://www.facebook.com/profile.php?id=100009615757906">https://www.facebook.com/profile.php?id=100009615757906</a></span></p>
<p class="p1"><span class="s1">劇団太陽</span></p>
<p class="p1"><span class="s2"><a href="https://www.facebook.com/gekidantaiyou/">https://www.facebook.com/gekidantaiyou/</a></span></p>
<p class="p1"><span class="s1">お化け屋敷プロデュースチーム『GhostAct presents』</span></p>
<p class="p1"><span class="s2"><a href="http://xn--t8jo618xoyhpql.xyz/">http://xn--t8jo618xoyhpql.xyz/</a></span></p><p>The post <a href="https://hida-st.com/2018/07/11/masudadaisuke/" target="_blank">「迷ったらマイナーへ」 生涯学問が「変態」を育む ー 益田大輔 ( 須田病院 / ウルトラメンタルクリニック 精神科医)</a> first appeared on <a href="https://hida-st.com/" target="_blank">ヒダスト</a>.</p>]]></content:encoded>
					
		
		
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