再び、故人の命を灯す。亡き親友と息子が導いてくれた天職は、優しい魔法の「絆画作家」 ー 大村順 ( 株式会社ゴーアヘッドワークス / 絆画作家 )

故人とご遺族の絆を描く絵画 「絆画 (きずなえ)。繊細な筆遣いと鮮やかな色合いで描くのは、これまで14万人以上の似顔絵を描いてきた株式会社ゴーアヘッドワークス所属のイラストレーター 大村順 さん。

似顔絵を希望する人は、幸せな日々を送るカップルや家族がほとんど。その中でなぜ、故人とご遺族にフォーカスしたグリーフケア事業「絆画」を始めたのか。

遺族の悲しみに触れていく中で湧き上がった大村さんの想い、そして絆画作家として生涯をかけて描き続けることを決意したきっかけに迫りました。

親友の突然の死が、絆画を始めたきっかけ

絆画を始めたのは、突然に親友を亡くしたことがきっかけでした。親友とは中学生の時に出会い、意気投合してよく一緒に遊んでいたんです。大人になってからも友情は続き、僕が描いた似顔絵を引っ越し先にも必ず持って行ってくれて、僕の絵の技術を「魔法だ!」と自慢してくれていたらしいです。でも親友とは地元を離れたこともあり、なかなか会うことも少なくなっていました。

そうして27歳の時、親友は不慮の病で突然亡くなってしまったんです。親友の実家に行き、仏壇の前で手を合わせて初めて「もうこの世にはいないんだな」と実感しました。お母さんから「順くんに会いたがっていたんだよ」と話を聞いて、もっと遊んでおけばよかったと凄まじい後悔の念が湧いてきたんです。

 

それから命日には、可能な限り親友の実家にお参りしてお母さんとお話していました。ずっと「なにか力になれないかな」と思いながら月日が経った2017年の命日、「家族写真を撮りたかったなあ」と、お母さんが呟いたんです。その瞬間にこれだなと直感しました。

僕は高校を卒業してからは似顔絵師として、これまで14万人以上の似顔絵を描いてきています。その技術と経験の蓄積から、5年経って32歳になった親友の顔を想像して描いて、その周りに現在の家族の姿を描きました。亡くなっていたとしても、共に生きて流れている時間を表現したかったんです。そうして描き上がったのが「絆画」の一枚目になります。

絆画をご家族に見せた瞬間、お母さんは言葉が出ないまま、わーっと泣き崩れました。「生きているみたいだ。描いてもらってよかった」 そう言いながら10分ぐらい泣かれて、僕ももらい泣きです。

泣き崩れるくらい喜んでいただけるのであれば、悲しみを背負ったままのご遺族の方々の願いや想いを描いていくべきじゃないのかな。親友が「魔法」と褒めてくれた僕の絵の技術で、「絆画を描け」と言ってくれているんじゃないかな。これから僕が進むべき、道標を贈ってもらった気持ちになったんです。

絆画を通して、故人ともう一度出会う

もう一度、故人とご遺族の絆を描いて紡ぎ直したい。そんな想いから「絆画(きずなえ)」と名付け、2017年の9月から本格的に「絆画作家」として活動を始めました。

 

そうしたら似顔絵の常連のお客様からすぐに連絡がありました。婚約指輪をもらって幸せの絶頂だった矢先、不慮の事故で婚約者が亡くなってしまったそうなんです。「結婚式を挙げることができなかった。せめて彼が大好きだった海の浜辺でウエディングドレスを着て、彼にお姫様抱っこされている絆画を描いて欲しい」そんなご依頼でした。

いつもお世話になっている方にそんな出来事があったのかと衝撃を受けながら、心を込めて描きました。遠方にお住まいのため直接お渡しはできなかったのですが、「胸がいっぱいで、しばらく動けなくなりました。本当にありがとうございます」とメッセージをいただけました。

 

また5年前に娘さんを15歳で亡くされたご夫婦へ、そのご友人からのご依頼もありました。お父さんが娘さんの成人式に「お姫様抱っこをしてあげたかった」そうなんです。 成人式を迎えた5年後の娘さんをイメージして、晴れ着で華やかにご家族を描かせていただきました。

お渡ししたときにお父さんは膝が崩れて叫ぶように泣かれて、心の底から喜んでいただけました。こうして絆画を描いてお渡しするたびに、ご遺族の方の慟哭に近い心の叫びに触れます。ご遺族の方にとって、絆画を通して故人とまた出会うことが、明日を生きる元気になればと願って描いています。

絆画の中には、故人の意思や願望も生きている

おばあちゃんと猫の絆画を描いてから、少し心境の変化がありました。大好きだったおばあちゃんと猫を亡くした娘さんへ、お母さんからのご依頼でした。

おばあちゃんはもう一度大好きな猫と、庭でお散歩して日向ぼっこすることを夢見て、闘病していたそうです。ですが猫が先に亡くなってしまい、おばあちゃんも後を追うように亡くなりました…..。そこでおばあちゃんが猫と笑顔で、お庭をお散歩している絆画を描きました。

描きながら「亡くなったおばあちゃんが元気だったら、いつかきっとやりたかったことも叶えてあげられているのかな」おこがましいかもしれないけど、そう思えたんです。  きっと絆画の中には、ご遺族の方の願いや想いだけではなくて、故人の意思や願望も生きています。

 

絆画を描くときは、依頼者の想いやご遺族・故人の細かい情報をお伺いします。正直、精神的には辛い時間です。依頼者やご遺族の心を鷲掴みにして、傷を抉っているのではないのかと罪悪感があります。それでも出来上がる絆画のために、故人の身長・体型・性格はもちろんですが、家族が記憶している故人のエピソードも取材します。写真もたくさんお借りします。

そうして故人の人物像をイメージして膨らませることで、亡くなられてから数十年経っていたとしても、遺族と同じ年月を重ねた故人を描き出します。出来上がった絆画を見た瞬間に再び、故人の命が灯って輝くならば、こんなに嬉しいことはないですね。

 

故人が亡くなられた事実や、過去は変えられません。しかし、訪れるはずだった幸せや未来までもが、奪われてしまうのは違うと思うんです。絆画の中だけでも生きていると感じてもらえたら、遺された人たちにとっても少し救いになるのかな。そう信じながら描くことで、故人の命を灯してもう一度、ご遺族との絆を結びたいです。

僕の中にたくさんの人が生きている。絆画は天職

「遺族の方に少しでも元気になってほしい」「故人の方の果たしたかった願いや夢を叶えてあげたい」そんな気持ちでこの2年間、絆画に取り組んできました。

「自分にしか描けないことってなんだろう?」そう問いかける日々の中で、やっぱりいろんな人の痛みや悲しみに寄り添って、励ますような絵を描きたい。まさに絆画が天職だと思えてきたのです。

そんな中、2019年の6月に妊娠中の妻が前期破水をします。「助かる確率は低いけれど早産で産むか、中絶して死産にするか」お医者さんに告げられ、とても悩みましたが死産を選びました。最初は誰にも言いたくなくて、秘密にしておこうと思いましたが、息子の命を悲しい思い出で終わらせたくもなかったのです。

 

わずかな可能性にかけるか中絶するかの選択を狭られている時、分娩室の外では赤ちゃんの泣き声がしていて、向かいのベットには産まれて間もない我が子をあやす夫婦や、明日我が子が産まれるであろう夫婦がいる。後日、死亡届を書いてる僕の隣で、出生届を書かれている夫婦がいる。

 

本来の僕であれば、生命の誕生を心からお祝いしたいはずなのに、誰もが幸せであってほしいはずなのに、心の隙間に生まれるモヤっとした感情がありました。その感情は膨れ上がると憎しみになって人を傷つけたり、自分を苦しめたり、争いを生んだりします。

僕は誰もがその感情を少しでも感じなくていいように、心穏やかに平和に過ごせるように、そんな願いも含めて絆画を描きたいんだなとあらためて気づきました。

 

絆画を描いていく過程で、僕の中にたくさんの人が生きています。僕と共に生きていく人たちに、恥じない生き方をしたいです。そして、親友と息子がこの世で生きた証を、親友が「魔法」と呼んでくれた僕の絵の技術で証明し続けていきます。

 

「絆画で大切な人と紡いでいける未来があるから、大丈夫」そう現実や言葉では救いきれない、伝えきれない部分を絆画で埋めていきたいです。

故人とご遺族の絆をもう一度蘇らせる「絆画」。大切な人を亡くした悲しみは言葉にはできません。だからこそ言葉にできない気持ちや願いを形に描く、絵には大きな力があります。

大村さんの優しい魔法が描く希望は、多くの人の悲しみに寄り添い、明日へと向かう勇気を生み出します。大村さんは人生を懸けて今日も誰かのために、親友と息子のために、未来を描き続けます。

連絡先

大村順 (おおむらじゅん)

絆画ホームページ
http://www.kizunae.jp/

「絆画展〜今を生きること〜」絆画作家 大村順 の初個展

この記事を書いた人

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丸山純平

丸山純平(まるやま じゅんぺい)
高山市出身。株式会社ゴーアヘッドワークス 企画/ライター
ヒダストのほぼ全ての記事を書いています。
最近は飛騨ジモト大学の事務局も担当。
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