魅力的な文化や職人の技術を伝えられるデザイナーを目指して。ー 松見龍 ( 株式会社ゴーアヘッドワークス )

飛騨高山のデザイン事務所「ゴーアヘッドワークス」の新卒デザイナーとして、日々デザインに取り組む 松見龍(まつみりゅう)くん!

2000年生まれの飛騨の若者はなぜデザイナーを志したのか?地元に帰って来た理由とは?フレッシュで真っ直ぐな松見くんの想いに迫りました。

 

丸山純平(以下、丸山):早速ですが、松見くんがなぜデザイナーを目指したのか知りたいです。小さい頃はどんなお子さんだったんですか?

 

松見龍(以下、松見):僕は高山市朝日町(旧朝日村)の豊かな自然の中で育ちました。物心つく前から、ひたすら絵を描くのが好きな子どもだったそうです。母が木版画家で、僕も休日は木版画を掘って刷るのが日常でした。消しゴムはんこも好きだったんですけど、徐々にイラストを掘るというよりは、例えば車のメーカーやスポーツメーカーのロゴマークを模写するようになりました。

 

丸山:デザイナーの素質があったんですかね。仕事として意識し始めたのはいつ頃からでしたか?

 

松見:実は中学生の時に、ゴーアヘッドワークス代表の蒲優祐さんに出会ったのが大きな転機でした。蒲さんが主催されたデザインのセミナーがありまして、参加する母になんとなくついて行ったんです。内容はちょっと難しかったし、モヒカンのインパクトが強かったですが…。

 

丸山:朝日の中学生にとってはいろんな意味で刺激的な出会いでしたね(笑)。

 

松見:忘れられません(笑)。セミナー後に、蒲さんから『ジャパン・クリエイターズ』の本をいただきました。日本全国のデザイナーの制作実績が載っているのですが、めちゃくちゃ楽しくて何回見ても飽きなかったです。「デザイン」って世界中にあふれているんだなって知りました。

丸山:運命的な出会いがあったんですね。でも、他の仕事にも興味はなかったんですか?

 

松見:『13歳のハローワーク』も何度も読んでいて、グラフィックデザイナー、アートディレクターといった職業があることも分かったんですけど、ものづくりも好きだったので建築業界にも興味がありました。それで高山工業高校の建築インテリア学科に進学します。

 

丸山:どんな高校生活を過ごしたんですか?

 

松見:学校生活や授業も楽しかったですが、印象に残っているのはやっぱりデザインなんです。体育祭のTシャツのデザインや、顧問の先生からの依頼でバスケ部のロゴマークを作らせてもらったり、学校外でも母親の知人の名刺を作成させてもらったり……それが本当に楽しかったのでグラフィックデザイナーの道に進みたいなと思いました。

 

丸山:それで名古屋のデザインの専門学校に進学したんですね。朝日から離れて、都会の生活はどうでしたか?

 

松見:都会の良いところはお店がいっぱいあることですね。高級店から庶民派なお店まで、多種多様なデザインで溢れています。僕はデパートや雑貨店に売っている商品のロゴマークとパッケージを眺めるだけで一日を過ごせるので…..

 

丸山:薄々感じていましたが、松見くんはなかなかの変態なんですね。

 

松見:(まんざらでもない笑顔)

丸山:ですがそれなら、就職も名古屋にしようとか、もっと都会に行こうとは思わなかったんですか?

 

松見:地元に戻ろうと思ったきっかけは、高知県安芸郡馬路村の特集を見たことです。馬路村は朝日よりも人口が少ない村なのですが、「ゆずの村」として全国的に有名です。そのブランディングやデザインを仕掛けたデザイナーに憧れて……デザインには地域を活性化させる力があるんだなって魅力に感じ、じゃあ僕も地元でがんばってみたいなと思いました。

 

丸山:根本にあるのは、地元愛なんですね。それで高山に戻りたいなと考えたら、そういえばモヒカンのデザイナーがいたなと(笑)。

 

松見:そうです(笑)。蒲さんに連絡させていただいたらすぐに面接していただきました。実際にお会いするのは久しぶりだったのですが、すごく話しやすくて楽しい時間でしたし、「これは良い縁だね!」とおっしゃっていただけて嬉しかったです。ほかにも何社か面接を受けたことはあったのですが、蒲さんの魅力は圧倒的でした。

 

丸山:そうして高山に戻ってきて、初めての社会人生活はどうですか?

 

松見:仕事は覚えることがいっぱいで大変ですが、先輩のみなさんは話を聞いてくれて、親身にアドバイスをくれて、明るく接してくれる会社です。月曜日でも出勤するのが嫌じゃないですね。

丸山:それは素晴らしいことです!仕事をする中でどんな気づきがありましたか?

 

松見:学生の頃は自分の課題をこなして、自分の創りたいものをつくっていました。それが仕事となると当然、お客様がいて、お客様のことを知らないとデザインはできない。コミュニケーションがあってのデザインだと実感しましたし、もっと地元で仕事をしていきたいなとも思いました。

 

丸山:松見くんはこれからどんなデザイナーになりたいのですか?

 

松見:小さい頃から触れてきたロゴマークを一番の強みにしたいです。ロゴマークはグラフィックデザイナーの花形であり、会社や商品の顔となって長年活用されるデザインですので、これからはデザイン力だけでなくしっかりとお客様の想いを引き出せるコミュニケーション能力も身に付けたいですね。

 

丸山:地元との関わりに関してはどうですか?

 

松見:僕が不勉強な部分もあるとは思うのですが、飛騨には伝統工芸の作品や魅力的な文化がたくさんあるのに、あまり表に出ていなくて知られていないのが悔しいなって思います。僕は母親に連れられて、心が震えるくらいすごい!って思う作品にいっぱい出会いました。そんな魅力的な文化や職人の技術を伝えられるデザイナーになりたいです。

 

丸山:プライベートでの目標だったりはありますか?

 

松見:昔からアメ車が大好きなので、憧れの「ダッジ・チャレンジャー」を30歳までに買いたいです!あとは、僕自身もなにかを創り続けるクリエイターでも在りたいので、自分の作品づくりにも挑戦していきたいですね。

明るく前向きにチャレンジを重ねる松見くん!将来の飛騨のクリエイティブを支える才能が、高山の地で根を張り始めています。

 

この記事を書いた人

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丸山純平

丸山純平(まるやま じゅんぺい)
高山市出身。株式会社ゴーアヘッドワークス 企画/ライター
ヒダストのほぼ全ての記事を書いています。
最近は飛騨ジモト大学の事務局も担当。
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