高山市赤保木町で、「産業火薬」「包装資材・梱包材」「催事レンタル」事業を手がける「株式会社なべしま」代表取締役の鍋島晃典さん。
実は飛騨高山で圧倒的なシェアを誇る、鍋島さんの商売のこだわりは「スピード」「正直さ」「アナログ対応」の3つ?!秘訣は「小さなNo.1」を増やすこと?!
経営者としての大きな挫折を経験したことから、その商売のこだわりに至ったという鍋島さん。読んで納得のストーリーをご覧ください。
教師の道を目指した結果、自動車ディーラーになる
愛知県岡崎市で生まれました。岡崎と言っても田舎の集落で、4人兄妹の長男です。両親からは「教師になれ!」と育てられまして、僕も素直に目指していました。
人生で初めての挫折は大学受験ですね。東京の大学を10校ほど受けましたが全滅……。浪人生活の後、親から地元の大学を勧められて、中京大学 文学部に進学します。
大学では国語の教師を目指して、古文や漢文を勉強しました。教育実習も経験して準備万端。
しかし、教員採用試験の当日でした。早朝に祖父が急死してしまいます。僕は祖父が大好きだったので、試験を諦めて、ずっと祖父の近くで過ごしました。
その祖父が生前、僕の就職を心配していろんな会社に声をかけていたのです。その想いが通じたのかご縁があったのが「トヨタカローラ名古屋」の新車販売の仕事でした。
車も好きだったので面接を受けて、大学卒業後は豊田市の大きな営業所で働きます。
当時のセールスは訪問型営業が主体。苦手な方も多いかもしれませんが、僕は非常に性に合っていましたね。
何度もめげずにお会いするうちにお客様の本音が聞けて、そうして一から関係性を築いた方に購入していただけると感動します。当時のお客様とはいまだに繋がりがありますね。
高山に移住し、任された葬儀部門を撤退する苦い経験
4年半ほど働きましたが、ちょうど時代は店頭主体型の営業スタイルに変わる時期でした。
その頃、大学時代に知り合った彼女との結婚を考えていて、彼女の実家である高山に婿入りで来ないかと義父から誘われます。
会社の方針転換に加えて、知らない土地で自分を試したかったこと。一度は実家を出てみたかったこと。いろんなタイミングや要因が重なり、28歳で高山に移住しました。
妻の実家である「ナベシマ・グループ」の創業は明治41年、鍋島甚三郎が上一之町にてお茶の販売を手掛けたのが始まりです。その後、火薬・土木建設・化成品(食品トレーや工業製品出荷時の梱包材など)の業務を開始し、平成に入り分社化をしました。
移住した当初は地元スーパーを中心に、1年半ほど化成品の営業をしてました。友人がいなかったので「飛騨高山倫理法人会」や「高山青年会議所」に入会します。それなりに高山に馴染んで来た頃、32歳の時に大きな失敗を経験しました。
「苦戦しているから社長を変われ!」と義父から頼まれ、立ち上げから8年ほど経過した葬儀部門を任されます。寺院や公民館での葬儀の設営や手配を行う部門でしたが、ちょうど葬儀の形態が式場などに移行していく時代でした。高山中のお寺を走り回り、半年くらい頑張ったけれどどうにも改善できません。結局、催事レンタルの部門だけを残して、葬儀部門を畳む経験をします。事業撤退ですね。
時代の先を読めなかった。経営者としてあれだけ悔しい経験はありません。ノイローゼ寸前の本当に辛い時期でしたが、この失敗が次の転機で活きてきます。
小さなNo.1を増やす。「株式会社なべしま」での挑戦!
次の転機は11年前、「株式会社なべしま」の社長を父から引き継いだ時です。この時も業績は超ピンチでした(笑)。
当時の「なべしま」では、「産業火薬」「包装資材・梱包材」「催事レンタル」の3事業がありました。僕が引き継ぐ前までは高速道路の開発が盛んで、トンネルの掘削に使う火薬の受注が大きかったのです。利益の4割ほどを火薬に依存していたため、工事終了後の業績低迷は明らかでした。
僕には忘れられない苦い経験がありますので、即座に手を打っていきます。
力を入れたのはイベントや縁日の催事レンタル事業です。それまでは例えば、ポップコーンの製造機械を貸して終わりの事業でした。しかし、お客様が求めていることは違いますよね。
そこで材料の仕入れや作り方の指導、ポップの作成までトータルで関わるスタイルに変えたんです。ご注文いただいたお客様が安心して格好をつけれるように、裏でトータルサポートします。
「なべしまに縁日を任せたら間違いない」そうやって他社とのわずかな差をつくり、小さなNo.1を増やすとお客様との関わりが濃くなります。最初の2年は苦しい時期でしたが、顧客の幅がグッと広がりましたね。ここから今の主力事業である包装資材・梱包材の卸売に繋げてきました。
スピード、正直さ、アナログ対応が3つのこだわり
今の、商売で重視しているのは「スピード」「正直さ」「アナログ対応」の3つです。
1つ目の「スピード」に関して、注文を受けたその日に届けられなかったらダメですね。
なぜかと言えば、当日配送ができなかったらネット販売に勝てないからです。このご時世、ライバルは地元の同業者じゃないんですよ。だから弊社は絶対に在庫を切らさない。お客様は困っているから電話をくださる訳で、すぐに応えられなかったら存在意義がないですからね。
また、2つ目は「正直さ」を大事にしています。扱ってる商材の値段は変動があるのですが、「値上げ」があれば「値下げ」となる時期もあります。値上げしたままずっと据え置きする会社がよくありますが、それは売る側の勝手であって、買う側からしたら嫌ですよね。正直に反映するのが長く続けるための秘訣だと考えています。
3つ目の「アナログ対応」ですが、スタッフにはお客様へのおハガキやお礼状を書くように徹底しています。
お客様が困った時に「顔が思い浮かぶ人」になってほしいのです。それも一番最初に顔が思い浮かばないとダメです。この一位と二位との差は大きい。
このアナログな手法には理由があって、おハガキやお礼状を書く中で、お客様の下のお名前まで覚えます。そもそも、こちらがまずはお客様に興味を示さないと、顔が思い浮かぶ関係性はつくれないですよね。
僕自身、「高山一の人気者」になりたいと思っています。チヤホヤされたいんじゃなくて、「困ったら鍋島に相談してみよう!」と思い浮かぶ存在になりたい。
AIやIoTの技術を駆使した業務の短縮化は、伝票や在庫管理、社員の勤怠管理に導入しています。だけど、血の通った商売にするために、意地でも続けたい僕のこだわりが「アナログ対応」なのです。
あなたのワクワク応援します!裏方から飛騨高山の発展をサポートする
高山に移住してショックだったことの一つが賃金の安さです。経営者が搾取し過ぎなんですよね。
なべしまでは、僕が社長になってからの11年間、毎年社員全員の給料を上げ続けています。卸売の業界で賃金UPを続けるのは、至難の技です(笑)。だけど、そこを工面するのが経営者である僕の仕事。
社員の家族も顔見知りなので、みんなの生活がステージアップできるように「社員ファースト」の考え方が大事ですね。その結果、働き甲斐があって離職率も低い職場になっているから良いよね。
株式会社なべしまでは、「あなたのワクワク応援します!」をキャッチフレーズにしています。
僕らの仕事のほとんどは裏方です。食品スーパーのトレイや袋、工業企業の手袋や包装材を卸したり、子ども会や車屋さん、住宅の展示場などで配られる駄菓子の詰め合わせや福袋をつくっています。
お取引先を通して、高山市にお住まいの方は、日々の暮らしの中でなべしまの商品に必ず出会っています。ですが、一般の方には「なべしまの商品」だとは伝わりません。それで良いのです。
飛騨地方のいろんな会社さんを裏から支えて、皆さんが発展していくことで僕らも発展する。そして実は、飛騨高山で圧倒的なマーケットシェアを築いている。これが密かな自慢であり、僕らの誇りなんです。
だからこれからも、お客様の「ワクワク」をどんどん応援して、みんなが豊かに潤う飛騨高山にしていきたいですね。困ったら鍋島まで、ご連絡ください!
「あんた、高山の人じゃなかったんか?!」
地元出身かと見間違うほど、たくさんの人に囲まれ、誠実な商売を続ける鍋島さん。
高山一の人気者を目指して、今日も鍋島さんは真っ直ぐに、飛騨人の困りごとに応えます。
連絡先
鍋島 晃典 ( なべしま あきのり )
https://www.facebook.com/akinori.nabeshima
【株式会社なべしま】
住所:岐阜県高山市赤保木町233
TEL:0577-34-3200
HP:http://www.nabesima.co.jp/info/nabesima_co.html