一瞬一瞬の今を楽しみながら、思い浮かぶのは飛騨高山のたくさんの笑顔 ー 瀬ノ上紗帆 (名古屋外国語大学2年)

高山市出身。名古屋外国語大学で語学とビジネスを学ぶ、大学2年生の瀬ノ上紗帆さん。

高校時代は、内閣府の留学支援制度「トビタテ留学Japan」の2期生として二週間の海外留学を経験したり、飛騨地方の高校生のフリーペーパー制作団体「HIDAKKO PROJECT.」の代表を務めたりと活発に活動してきました。

そんなアクティブな瀬ノ上さんですが、進路や将来像に悩み、模索する日々が続きます。

等身大の「ひだっこ」がどんな成長を遂げていくのか、どうぞご覧ください。

「応援団」と「CA」との出会いが人生の転機となる

高山市下岡本町で育ちました。小さい頃は人見知りで、いつも母の後ろに隠れて挨拶もできないくらいでした。でも活発ではあって、男の子と外で遊ぶことが多かったですね。

小学校でも変わらずでしたが、5年生の時に応援団に立候補したことが第一の転機になります。応援団の先輩の姿がすごくカッコよくて、人前に立つことは苦手だったわたしが挑戦することになります。それからクラスの係決めでも、班長や学級長を任されることが増えていきました。

5年生の時に転機がもう一つ、家族旅行で飛行機に初めて乗った時に客室乗務員(CA)さんに出会い、スマートな佇まいに憧れを持ちます。

実は、英語教室には保育園の頃から通っていました。しかし当時は習わされている感覚で行きたくなくて、授業直前に泣きながら宿題をしたり……(笑)。でもCAへの憧れと、中学生になってからは自然と英語が得意科目になったことで高校3年生まで続けることとなります。

高校生活は勉強を頑張りたくて、斐太高校に進学します。1年生はひたすら勉強しましたね

通っていた英語教室の一個上の先輩が、「トビタテ留学Japan」という内閣府の留学支援制度に選抜されまして、英語教室の先生から勧められてわたしも選考に応募することとなります。

ニュージーランドのオークランドに2週間の語学留学

応募する際に考えた留学のテーマは二つ。一つ目は、英語に囲まれた環境で生活してみること。二つ目は、異文化交流をすること。初めて一人で行く海外だから安全な場所で、かつ留学生にも人気な街はどこだろうか。留学エージェントさんにも相談して、ニュージーランドのオークランドを第一志望にしました。

そうした計画で応募したところなんと合格しまして、トビタテ留学Japanの2期生として二週間の語学留学に行きます。オークランドの語学学校に通いながら、現地でホームステイも経験しました。

語学学校に通ったので、社会人留学の方も大勢いらっしゃり、アジア各国の方も多くて異文化交流としては良かったかもしれないですね。

と言いながらも実は、前半一週間はひどいホームシックになりまして「帰りたい」以外の感情はなかったです……(笑)。後半はクラスにも生活にも慣れて来て、ようやく留学を楽しめた気がします。前半と後半でギャップがあり過ぎる留学体験でした。

留学から帰って来てからは、自分でいろいろと解決できるようになったのかなと思います。行く前は、分からないことをすぐに聞いちゃう人でした。聞く力も大事だけれど、まずは自分で調べてやってみること。語学力だけじゃない成長がありましたね。

トビタテで行ったからこそ得られたものが多かったです。同じトビタテの友人が日本全国にできて、すごく刺激を受けました。

なにかに打ち込んだり、志をもって挑戦している同世代はいっぱいいる。また、勉強は大事ではあるけれど、自分の外の世界や社会のことは分からない。課外活動にもどんどん力を注いでいこうと決めました。

青春の1ページは、「HIDAKKO PROJECT.」

留学後に関わり始めたのが、飛騨の高校生でフリーペーパーを制作する学生団体「HIDAKKO PROJECT.」です。

留学から帰って来てすぐに取材や編集作業、協賛の営業に回る毎日でした。発足メンバー4人でつくった最初の1冊目は、一瞬に時が過ぎ去ったような感じです。それだけ夢中だったのかもしれません。

1冊目を発行した際に新聞やYahoo!ニュースに載るくらい注目してもらえて、2冊目をつくる時のメンバーは一気に人数が増えました。わたしが団体の代表を務めることとなり、個性が強いメンバーを自分がまとめられるのか不安でしたが、やっぱり大変でしたね(笑)。

だけど、みんなで本気で意見をぶつけ合って、形として残るものを作れたことは一生の思い出です。それと、高校生が主体となっての活動ですが、本当にたくさんの地元の大人たちにお世話になりました。この経験がなかったら、地元に素敵な大人や生き方があること、そうした繋がりもないままに地元を離れていたのだと思います。

3年生になってからは引退し、受験勉強に専念していきます。いろんな課外活動を通して、自分のやりたいことが定まらなかった時期です(笑)。それでもCAを目指したい想いはありましたので、名古屋外国語大学を受験します。

長期休みのインターンシップで、社会の厳しさを知る

現在は、愛知県日進市に位置する「名古屋外国語大学 現代国際学部 グローバルビジネス学科」で、語学や経済を学んでいる大学2年生です。

1年生の夏休みはインターンシップ(就業体験)でセントレア国際空港に行き、「ドリームスカイ」というJALの便を主に取り扱っている会社にお世話になりました。客室乗務員などのグランドスタッフのお仕事は想像ができたので、航務部という裏方事務の部署を選びます。

飛行機が出発するためには必要な書類がたくさんあり、航務部はそうした書類を作成してパイロットに共有する作業がメインなのですが、二週間のインターンを終えてなにかしっくりこなかったのです。上手く言語化できないのですが、飛行機や空港は好きだけどずっとこの職場で働くイメージがつきませんでした。

目指すべき目標を見失ったものの、長期休みはなにかに挑戦したい。総務省が主催する「ふるさとワーキングホリデー」のチラシを校内で見つけて、1年生の春休みは白川郷に3週間滞在します。

滞在期間中は村内の喫茶店で働き、他参加者と一緒にシェアハウスで過ごしました。

けっこう忙しくて、朝から夜まで働く日々でしたが、一日の終わりの美味しいごはんは幸せでしたね。白川郷での観光サービスをリアルに実感する経験でした。

昔は「早く大人になりたい!」と思っていたけれど、今では大人は大変だなとただただ尊敬します。社会の厳しさを日々学びながら、生きてく上で必要な知識を身に付けていきたいです。

一瞬一瞬の今を楽しみながら、思い浮かぶのは飛騨高山のたくさんの笑顔

このまま飛騨高山に戻らずに死ぬのは違和感があります。今すぐではなくてもいずれは帰りたい。

大学でも「わたしの地元は飛騨高山です」と言うと、「行ったことあるよ!」と多くの同級生が答えてくれて、あらためて良い街で生まれたんだなと思います。

なにより、みんなが笑っている顔が思い浮かびます。家族や友達もそうだし、HIDAKKOでお世話になった方々、地域の大人たち。いろんな人の笑顔が、わたしの故郷の姿です。

正直、今は「絶対にこの仕事をやりたい!」なんて夢があるわけじゃないです。今までは夢がないことが怖くて、CAを目指して頑張れていたし、そんな自分に安心していたのかもしれません。

でも、やりたいことってなんだろうと迷い始めて、不安な気持ちもありながら一方で、なんだってチャレンジできる余裕が生まれたなと感じます。

2年生になってからは語学(英語・中国語)の授業と並行して、ビジネス・経済の授業が増えてきました。そして今年の10月からは、オーストラリアのタスマニア島に10か月間の留学予定です。長期の留学を終えたわたしはどんな変化を迎えているのでしょうか。不安もありますが、楽しみでドキドキしています。

最近、時間が経つのは早いなと感じます。気がついたらもう二十歳の大学2年生。「まだこれからでしょ(笑)」って思うかもしれないけれど、一瞬一瞬の今を楽しめるような自分で在り続けたいです。

等身大で、今できる挑戦を続ける瀬ノ上さん。

実際の現場に飛び込み、自分自身で確かめながら歩んでいった先で、瀬ノ上さんはどんな道を見つけるのでしょうか?地元の飛騨高山とどうリンクしていくのでしょうか?

無限の可能性を秘めた、瀬ノ上さんの笑顔は眩しかったのでした。

連絡先

瀬ノ上紗帆 (せのうえさほ)
https://www.facebook.com/saho.senoue

この記事を書いた人

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丸山純平

丸山純平(まるやま じゅんぺい)
高山市出身。株式会社ゴーアヘッドワークス 企画/ライター
ヒダストのほぼ全ての記事を書いています。
最近は飛騨ジモト大学の事務局も担当。
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