すべては子どもとお母さんの笑顔のためにー岩塚久案子(NPO法人飛騨高山わらべうたの会 代表理事)

 

いつだって笑顔でパワフル!「NPO法人飛騨高山わらべうたの会」を立ち上げ、子育て支援を展開される岩塚久案子(いわつかくみこ)さん。

子どもたちへのエネルギーはどこから湧いてくるの?どうして「ひだのわらべうた」を広めているの?? 岩塚さんの底知れない魅力に迫ります

 「自然」と「お祭り」で高山に惚れ込みました。

福井県敦賀市で生まれました。父が転勤族で、幼少期は滋賀県、山口県、群馬県に転々と住む生活。昔から子どもは好きだったのですが、大きなきっかけは小学校4年生から大学生の間も通っていた英語教室です。英語の絵本を使って劇をするおもしろい教室で、最初は習う側だったのですが徐々に小さな子どもたちを相手に、どう英語の世界で楽しませるかプロデュースしていく立場になったんです。その経験が大きくて、学校の先生になるために群馬大学教育学部に進学しました。

 

しかし卒業後は大学で学んだ事やこれまでの経験を活かすために、日本へきた外国人に日本語や日本文化を教える仕事や、人材育成やカウンセリングなどの仕事に就きました。それでまた福岡や東京など、全国を転々としていたのですが、30代後半の頃にたまたま高山に仕事で来たときに旦那と出会い、結婚を機に定住を決めました。

 

正直、最初に高山に来た時は馴染めなかったんです。食べ物は美味しいけれど雪が降って寒いし、都会と比べての不便さも感じていました。 でも子どもが生まれて、どういう環境で子どもが育ったら一番良いのだろうと思った時に、高山の魅力をものすごく感じたんです。それは大きく二つ、「自然」と「お祭り」です。

 

もともと「自然」は好きで、山にキャンプに行ったり、スキーやアウトドアも大好きなんです。高山で子どもを遊ばせようと思ったときに、例えば四十八滝に連れて行ったり、せせらぎ街道を通ってパスカル清見で川遊びをしたり、あとは原山公園でソリで芝生スキーみたいに滑ったり。また春も夏も秋も冬も、高山の風景は際立って綺麗ですよね。子どもたちがのびのびと五感で四季を感じながら、自然と触れ合って大きくなっていける環境に感動しました。

 

もう一つは「お祭り」です。小さな頃からいろんなまちを転々としていたので、お祭りの記憶がないんです。でも高山には笛や獅子舞が昔から地域に伝わっていて、子どもたちがそれぞれの役割で関わっていますよね。お祭りの日は小学校も幼稚園もお休みになる。お祭りが生活に根付いていて、子どもたちが一員として関わっているから、大人たちはみんな地域の子どもたちを知っているわけですよ。「あれ、あんたんとこの子はもう笛吹けるようになったんか!」とか「上手に獅子舞踊れるようになったやんか」みたいに、近所の人がみんな子どものことを知っていて、お祭りを通してその成長ぶりを喜んでくれる。そんな地域って素敵だと思うんです。

 

 

仕事としては、子どもの英語教室を10年近くやっています。もともと大手のところでやっていたんですけど独立しました。半分ボランティアみたいな感じでやってますが、3年後の英語教育大改革にも対応できるように、アメリカの小学生が使っているテキスト等を用いて本格的にやっています。天気が良かったら古い町並みに行って、外国人に直接話しかけて折り紙をプレゼントしたりと、コンセプトは『楽しく自由に』です。今は教え子が幼稚園から小学6年生まで30人ぐらい、常に子どもたちと関わり続けています。

偶然が重なり出会った「飛騨のわらべうた」

前に福岡で仕事をしていた時に、プライベートで子どもたちの合唱団のお手伝いをしていたんです。そこの先生がプロのオペラ歌手で、小学校で童謡や唱歌を教えていたんですね。その先生が高山に旅行に来てくれた際に、「岩塚さんの知っている子どもたちに、自分が小学校でやっているような講習をやりたい。」と言ってくださり、実際に講習していただいたら素晴らしい時間だったんです。

 

子どもたちの想像力を膨らませ、感性を磨く講習で、「さぁ、これから赤とんぼを歌いますよ。まず、赤とんぼが飛んでいる風景をピアノで弾いてみますね。秋の空と赤とんぼが飛んでいる風景をイメージできたかな。じゃあ一緒に歌いましょう。」そうしたら子どもたちが心を込めて、目をキラキラさせて歌って、その姿に心を奪われました。

 

その後、先生はこの高山旅行を大変喜ばれ、翌年も講習してくださることになったんですね。これは、自分の知り合いの子どもたちだけが受けるのはもったいないと思い、市の企画課に行きまして、「高山中の子どもたちにこの機会を知ってほしい。」と相談したんです。そうしたら市役所の方に、「岩塚さん、ぜひ市民団体を作ってください。そうしたら会場費やチラシ印刷費を補助できます。」と言われたので、「わらべうたの会でいいですか?」とその場でとっさに団体名をつけて提出しました。2007年の夏の出来事ですね。その時は子どもたちが200人集まってイベントを開催できまして、年に一回これを開催できればという軽い気持ちだったんです。

 

そうしたら秋に市役所の生涯学習課から電話が来まして、「飛騨のわらべうたの講習をやってもらえませんか?」と言われたんです。私はよそからお嫁に来たため、飛騨のわらべうたは1曲も知らないので断ろうとしたら、「じゃあ地元の方に教わってください。」と言われました。そこでまずは図書館に行って調べたら、昭和37年に絶版になっている飛騨のわらべうたの歌詞集を見つけたんです。しかし歌詞のみの収録でメロディや遊び方が分からない。そのため仲間たちと協力し、友達のお母さんが知っている、そのお母さんの友達が・・と、歌えて遊べる人を探す日々が始まりました。

 

FAXで「私はこういう歌を知ってますよ」と連絡がきたらすぐにビデオカメラを持って会いに行き、おばあちゃんがお手玉などで遊ぶ様子を撮影する。飛騨オリジナルのわらべうたって100曲以上もあるんです。例えば別院の近くの愛宕神社(東山神明神社)の歌は、赤ちゃんの頭から顔、胸、お腹と優しく触れてあげて、最後にお腹をコチョコチョとくすぐる歌なんです。そうした子どもへの愛に満ちた飛騨のわらべうたに衝撃を受けました。

 

 

親御さんが飛騨のわらべうたを生かして、子どもの目を見て触れながら自分の声で遊んであげてほしい。残すだけじゃなくて伝えなきゃという熱い気持ちが湧きました。子育て中のお母さんたちでお年寄りを訪ねて、撮影したビデオを一コマ一コマ止めて図解して、飛騨のわらべうたをまとめていく作業は本当に大変だったけど、楽しい共同作業でした。

 

ようやく完成した歌集を、まずは手刷りで印刷して、希望する人には差し上げていたら、あるおばあちゃんが泣かれたんです。そのおばあちゃんのお父様が、先ほどお話しした愛宕神社の氏子だったらしく、「愛宕神社の歌は、父が毎日自分の顔を撫でながら歌ってくれたんや」と。お父さんに愛されていた記憶が蘇ったんですね。

 

またある方からは「わらべうたをまた思い出す機会を作ってくれてありがとう。自分の孫に教えとるよ。」という感想をいただいたり、あるおばあちゃんは、「今度孫が東京から来るので、お手玉を教えてあげたいからこの本を買いたい。」と言ってくださったり。おじいちゃん・おばあちゃんたちが飛騨のわらべうたを一つのツールとして孫と遊んだり、親にこんなに愛してもらってたんだと思い出したり、生きる活力を温かく湧き立たせる働きがあるんですね。

NPO法人として、いろんなお母さんに寄り添いたい。

出来上がった歌集を、児童センターや保育園・幼稚園、小学校にも配ったんです。そうしたら直接講習に来てほしいと依頼があり、出張講座が始まりました。今度はお母さんたちから「月に一回でいいからわらべうたの講習会を開催してほしい」との要望で定例会が始まり、ついには「いつでも教えてもらえる場所がほしい」となりました。

 

ちょうどその頃、まちの交流スペースとして「NPO法人まちづくりスポット飛騨高山(以下まちスポ)」が設立されるという時でした。県から「高山の商業施設に、親子で立ち寄って遊べる場所がないから、まちスポさんの中に作りませんか?」と連絡があり、私たちは喜んで色々備品を買い込んだんですけど、途中で予算がつかなくなったと言われて自費運営するしかなくなったんです。それでも週に3日、10時から15時まで一面にマットを敷き詰めておもちゃを置いて、フリードリンク付きの利用料200円で「キッズパーク」を運営していました。

 

ですが、スタッフはほとんど無償ボランティアでしたので、皆、次々と他の仕事に移り、毎回の準備、撤収も本当に大変。運営の難しさを感じて閉めるしかないかなとなった時に、まちスポ代表の竹内さんが「キッズパークは絶対になくしてはいけない。」とおっしゃってくださりました。

 

実際に利用されたお母さん達へのアンケートでは、「買い物帰りに親子で寄って遊べるところがあるとありがたい。」との意見が圧倒的多数だったんです。でもそれ以上にキッズパークではいろんなお母さんと出会いました。子育てに疲れちゃった方、子どもの発達に悩んでいる方、よそからお嫁に来たけど知り合いがいなくて孤独な方。そうした親子でもふらっと遊びにこれる場所の尊さを私自身も感じていました。

 

竹内さんからショッピングモールの「ピュア」を紹介していただき、市から委託事業を受注するため2015年に「わらべうたの会」を任意団体からNPO法人化しました。そうしてピュアの中で新たにキッズパークを始めて、リニューアルに合わせて木のおもちゃを導入したら、お母さんたちが木のおもちゃがあるからという理由でたくさん遊びに来てくださったんです。ちょうどその頃、森林組合や家具メーカーさんから飛騨地域の山が今どれほど深刻かというお話を伺っていました。

 

高山市は面積の92パーセント以上が森林ですが、林業の後継者問題など課題が山積していて森が荒れ放題なんです。木のおもちゃは、子どもの五感を豊かに刺激します。ぬくもりあふれる木のおもちゃに触れると、子どもたちの反応も違うんです。そうして飛騨の森にもっと親近感と関心を持って育ってほしいです。

すべては子どもとお母さんの笑顔のために。

10年以上、よく活動が続いたと自分でも思います。市民団体から法人化した私たちは活動資金の捻出に本当に苦労しています。現状、委託金や助成金の対象事業以外は、自腹を切って活動しているため、もっと活動への市民の理解が深まり、地域や街ぐるみで地元のNPOや市民団体を応援する流れが生まれたら良いなと思っています。もちろん、私たち自身も。この活動自体が子育て中のお母さん達のお仕事として成り立つような、労働対価が生まれる組織体制を作らないといけません。

 

でも私たちが活動を始めた10年前に比べると、格段に市民活動の裾野は広がってきていますよね。今、お母さんたちで起業される方や、団体がどんどん生まれているんです。飛騨に住むお母さんたち向けに情報発信サイトを作成したり、ママ向けのイベントをおこなったり。受益者の立場から、私たちも子育てママの為に活動していこう!と、手を挙げる方が増えていくのは素晴らしいですよね。

 

私が活動する上で一番の想いは、「子どもの笑顔が未来をつくる」ということです。子どもが笑顔でいられる環境は、周りの大人も笑顔でないといけない。この地域全体にいろんな課題がありすぎると、大人が笑顔になれません。子どもたちも地域に魅力がないなあと思いながら育っていきますよね。子どもは未来そのものであり、何を体験して、どういう人たちと出会って、どういう環境の中で育っていくのかは大人の責任だと考えています。

 

私は子どもの笑顔のためだったら24時間臨戦態勢です。いつもバックの中に、子どもが楽しめるいろんなおもちゃを持っているので、今目の前で知らない子どもが泣いてもすぐにあやせますよ。

 

 

どんな時でも子どもを笑顔にしたいのはもちろんですが、私たちが親御さんにとって「寄り添える存在」として知ってもらえたら嬉しいです。悩んでいるお母さんがいたら、「岩塚さん、お話聞いてもらえんかな」と言ってくださり、「大丈夫ですよ!」と一人でも多く返したいです。お母さんと子どもの笑顔のためにできることがもっともっとあるんじゃないかな。愛着形成の時期にお子さんとたっぷり触れ合って過ごせるように、まだまだできる限りの挑戦をしていきたいです。

 

いつだって飛騨の子どもたちとお母さんたちのために走り続ける岩塚さん。

いつか子どもが生まれたら岩塚さんに抱っこしてもらい、一緒に飛騨のわらべうたで遊ぶことが僕の夢の一つになりました。

飛騨のお母さんである岩塚さん、愛情溢れる日々はまだまだ続きます!

連絡先

岩塚久案子(いわつか くみこ)

Facebook:https://www.facebook.com/kumiko.iwatsuka.5

NPO法人 飛騨高山わらべうたの会 公式サイト

Facebookページ :https://www.facebook.com/hida.warabeuta/

団体メールアドレス hida_warabeuta@yahoo.co.jp

 

取材協力:NPO法人まちづくりスポット飛騨高山

この記事を書いた人

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丸山純平

丸山純平(まるやま じゅんぺい)
高山市出身。株式会社ゴーアヘッドワークス 企画/ライター
ヒダストのほぼ全ての記事を書いています。
最近は飛騨ジモト大学の事務局も担当。
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