地域の姿は、住民の選択の結果。今は亡き映画館と「さるぼぼコイン」が飛騨人の意志をつくる ー 古里圭史 (飛騨信用組合 常勤理事 / 総務部長 )

古里圭史さん提供

 

地域電子通貨「さるぼぼコイン」を始め、地域金融機関の枠を超えた挑戦を仕掛ける、飛騨信用組合の若き役員、古里圭史(ふるさとけいし)さん。

 

医学部受験の失敗、プロのミュージシャンを目指すも挫折、日雇い派遣で食いつなぐ日々・・そんなドン底から公認会計士に合格するものの、東京でのキャリアを捨てて飛騨の地に身を投じます。

 

「地域の姿は、住民の選択の結果」

 

地域の最前線で奔走する古里さんの熱い想いと、プレイヤーとしての誇り。

飛騨人の心震えるインタビュー記事となりました。長文ですがぜひご一読ください。

医学部受験に二度失敗、モヤモヤを抱えたまま飛騨から東京へ

飛騨市古川町で生まれました。「古里精肉店」を営む肉屋の長男で一人っ子です。

 

僕が保育園の頃に父が若くして病に倒れて、母は看病で付きっきりでした。祖父母や叔母に育てられて、寂しかった気持ちをいまだに覚えています。

 

「お前は好きなことやれよ」と父から言われて育ちました。安直なのですが、父が病気から復帰できたのは大きな体験で、「医者になりたい」と医療の道を志します。

 

斐太高校に進学してからは、サッカー部や応援団、また文化祭で音楽を披露したりと充実した高校生活でした。

 

斐太高校体育祭 ー 古里圭史さん提供

 

結局、勉強はさらさらで(笑)。現役では医学部に落ち、名古屋の学習塾で1年間の浪人生活を送ります。

 

でもいきなり都会に出て行くと、訳分からなくなるんですよ(笑)。徐々に集中できなくなって、浪人時も失敗。唯一受けた私立の「早稲田大学教育学部理学科」にのみ合格していました。しかし医学部への憧れは捨てきれない。

 

そんな折の家族会議で、「本当に医者になりたいのか?モヤモヤしているなら一回東京出てみろ」と祖父から言われました。僕も訳分からなくなっていたので、お言葉に甘えて方向転換します。自分の弱さに向き合い続けた時期でしたね。

メジャーデビューの道を挫折し、日雇い派遣で食いつなぐ

医学部を諦めたコンプレックスが残ったまま、東京で普通の大学生活を送ります。音楽はずっと好きで、学内でバンドを組んでいました。やがて一つのプロダクション事務所が引っかかり、レコード会社にプレゼンする「プリプロ(仮録音)」を作ることになりました。「目指すはメジャーデビューだ!」とのぼせちゃって、大学には行かずに何十曲も作ってはダメ出しされる日々です。

 

1年かけて絞った数曲をプロのアレンジで録音し、レコード会社にプレゼンしに行きました。しかし、自分で創作した作品と、最終的に出来上がる商品に大きな乖離が生まれるんですよ。レコード会社から「まずはメジャーアーティストの前座で地方巡業はどう?」と提案されたものの、熱量が乗っからずに断りました

 

今のままでは上手くいかないと思って大学に戻ったものの、新たに熱中することを探す気にもならなくて、そのうちプロダクションも潰れてしまいます。

 

ずっと不眠症だったのですが、やがて誰かと話すと蕁麻疹が出るようになりました。息ができないくらいで、自律神経がおかしいのか汗も止まらない。進行してアトピーになり、手や頬からただれた膿をタオルで拭き続けなきゃいけない。就職活動もままならないまま、人前に出るのが怖くて辛い状況が1年半くらいは続きましたね。

 

当時は日雇い派遣の会社がたくさんあり、派遣での肉体労働ばかりしていました。大学を一年留年しまして、卒業後も就職せずに半年くらいは日雇いで食いつなぎます。両親から「就職してくれ」と請われるものの、就職活動を一切していなかったから社会のことを何にも知りません。やりたいこともないのに就職する意義も見出せませんでした。

 

そんなある日、たまたま上場企業の派遣のお仕事を紹介されます。僕はいつも通りの茶髪にピアス、作業着で行ったら「古里くん、今日面接なんだけど?」と怒られました(笑)。まさかのゲームソフトの販売・開発を行う「株式会社スクウェア・エニックス」の総務部設備課の募集で、逆に作業着スタイルが気に入ってもらえたのか採用となります。

 

スクウェア・エニックスではひたすら社内の内線ケーブルの工事引越しを担当していました。なのでオフィス周りは僕に任せてください(笑)。上司にたくさん叱られながらも、やがて派遣から社員に登用されてラッキーでしたね。

スクウェア・エニックスから公認会計士の道へ

スクウェア・エニックスの総務部には、会社全体の事務や株式、ストックオプションなどを管轄する仕事もありました。人手が足りない時期にそちらをお手伝いする中で「株ってなんだろう?」と気になり、本を買って勉強し始めたのです。

 

やがて、企業の決算書を監査する公認会計士の方とやり取りすることもあり、簿記の知識の重要性を知ります。通信教育に申し込んで、お昼休みに問題を一つずつ解き、簿記3級から順番に取得しました。

 

会計士の資格にもしっかりチャレンジしようと思い、資格取得者の経理部長(現同社社長の松田洋祐さん)に相談したら「期間を決めてガッツリ勉強しないとダラダラする。一生引きずるよ」と言われ、本腰入れるためにスクウェア・エニックスを辞めます。失業保険をもらいながら半年間勉強しました。

 

一次試験に合格すると、監査法人が採用を始めるんです。就活をしながら二次試験の勉強を重ね、前職の「有限責任監査法人トーマツ」に内定するものの、二次試験に落ちてしまいます。一次試験合格の有効期限が2年間のため、ジュニアスタッフという期間限定の雇用になりました。

 

入社してからが大変でしたね・・。クライアントの現場に行けば、ジュニアスタッフかどうかなんて関係ありません。また同期はほぼ新卒の若い子ばかりで、27歳の僕はおっさん扱い。合格年次でヒエラルキーが決まる体育会系の社風で、トーマツは当時「軍隊」と呼ばれていました(笑)。

 

トーマツ時代送別会 ー 古里圭史さん提供

 

様々な会社の監査実務に追われる日々でしたが、みんな仕事のクオリティはすごいからビシバシ鍛えられます。そうして次の年の二次試験を再び迎え、「今回落ちたら諦めよう」そう思えるくらい頑張った結果、運良く合格しまして、会計士のキャリアが本格的にスタートします。トーマツでは6年ほど、バリバリ働きましたね。

飛騨信用組合は、地域の最前線のプレイヤーであるプライドを

地元は好きだけど仕事は楽しかったから、飛騨に帰るのは老後の話だと思っていました。

 

大きなきっかけの一つは「リーマンショック」です。取引先から監査の報酬がかなり下げられて、トーマツで希望退職者が募られた結果、僕の所属チームの一つ下の世代が全員辞めたんです(笑)。その時期は勤務時間が2倍になりました。普段からも忙しく、「この働き方はおかしい」と疑念は持っていたのです。

 

もう一つのきっかけは「東日本大震災」ですね。震災当時、僕はクライアントの高層ビルのオフィスで仕事していたのですが、死を覚悟するくらいに揺れて被災します。原発のこともありましたし、その後の情報も信用できない。東京に住み続けられるイメージがもうありませんでした。

 

そんな折、たまたま飛騨信用組合(以下ひだしん)から声をかけていただきまして、1年半ほど悩んだ末に転職を決断します。上司からは「キャリアを潰すなんて、お前はバカか?」と言われました。金融業界に転職するのであれば、メガバンクや大手地銀に転職するのが王道であったとしても、腹が立ちましたよね。

 

経済がワールドワイドに膨張していくのが資本主義の宿命ですが、リーマンショックを始め揺り返しが来ている感覚がありました。特に震災以降は、引き続き膨張しながらもより小さいコミュニティに意識が向けられ、収縮していくトレンドのようなものを肌で感じていました。「決して都落ちではない」そんな想いを胸にひだしんに入社し、融資部企業支援課に配属されます。

 

金融機関がお金を貸したり預かったりするだけではなくて、事業支援も担うことが重視されてきた時期でした。お客様のご要望に応じて3〜5年間の事業計画を書いて、計画に沿って伴走する日々です。すごく面白くていろんな気づきもありました。

 

「お客様の迷い悩みを上手く拾えていないんじゃないか?」そんな疑問から、静岡県富士市の産業支援センター「f-Biz」をロールモデルに、ひだしん内に「BizCon.HIDA」を開設しました。売上拡大のご相談から専門家の紹介、補助金申請のお手伝いなどを全て無償で提供しています。どんなご相談でも気軽に持ち込んでいただける、なんでも相談所です。

 

BizCon.HIDA ー 古里圭史さん提供

 

また、飛騨地域で利用できる資金調達のツールが少ないことも課題と認識していました。東京では様々な投資会社(VC)やファンドが存在し、銀行の提供する融資の仕組みもたくさんあります。事業の描く収益カーブと資金のキャッシュフローが合わない選択肢ばかりでは、新たなチャレンジが生まれません。そんな課題意識から、地域クラウドファンディングサイト「FAAVO飛騨・高山」をオーナーとして担うことを決めたり、地域活性化ファンドの組成を行ったりしました。どんな形であれ、地域の皆さまの資金調達のお手伝いをするのは地域金融機関の役割です。

 

 

この時期から考え方が変わり始めます。飛騨は地方の中でも人口減少高齢化を先取りしている地域であり、まさに資本主義の辺縁部分、そしてその端っこです。「信用組合」はそのような地域の中で、機能として必要とされた金融機関であり、ひだしんは高山市・飛騨市・白川村以外では営業することができません。つまり出資者も職員もサービスを届ける先も、ほぼ地元の人で構成されており、イコールで繋がる関係なのです。こんなに面白い組織で、地域課題の最前線に向き合える仕事ができる。金融機関の枠組みを飛び越えて、地域と共生する組織なのです。

 

Fresh Lab. ー 古里圭史さん提供

 

だからこそ僕は「支援する」って言葉が嫌いです。なぜ客観視をしているのでしょうか。地域の金融機関として長年培って来た信頼のもとに、地域の皆さまから「地元の経済を頼むぞ」って資金を託されたはずです。勘違いをして、預金や貸金が本業だという「金融機関」になってしまってはいけません。私達自身が主体的に動き、時には自らプレイヤーにならなくてはならない。地域が潰れたら僕らも潰れる。信用組合は相互扶助の組織で地域と一蓮托生なのですから、もっとプライドを持って仕事をするべきだと常々感じています。

なぜ、地域電子通貨「さるぼぼコイン」は使いにくいのか

そんな想いで満を持してリリースしたのが、電子決済の地域通貨「さるぼぼコイン」です。これだけ外国人観光客が訪れる地域なのですから、電子決済のインフラを整えることでもっと外資を効率的に取り込み、取り入れた価値を強制的に囲った地域経済圏の中で、より歩留まり高く回していけたら良いですよね。

 

さるぼぼコイン ー 古里圭史さん提供

 

導入に当たって綿密にヒアリングする中で、とにかく「初期導入コストを下げないと加盟店が増えない」ことが分かっていました。そのため禁断のアプローチである、店舗に付与されたQRコードをユーザー側が読み取る「利用者読み取り方式」を採用します。

 

ユーザー側が自身で金額を入力しなきゃいけないので、決済体験としてはかなりイケていません・・。しかし、加盟店側はQRの紙を貼るだけで導入できます。端末を必要とせず、初期導入コストを0にするにはそれしかありませんでした。

 

案の定、組合の中では「Suicaなど一瞬で支払いできる世の中で、金額を入力して提示させるなんてアホか」と、とても反対されます。しかし実証実験をしてみたら、思ったほどユーザーの拒否反応は出なかったのです。

 

たくさんの課題があることは認識しながらも、リリーススピードを優先したことが功を奏しました。数々の電子決済が生まれる中、さるぼぼコインは加盟店が爆発的に増えて、もうすぐ1000店鋪に到達します。飛騨地域では20%のシェアです。ただ、ここまで拡散した地域通貨の前例がないため、新たな領域に入っています。

 

加盟店が増えている理由は、導入コストの低さに加えて、「地元でお金を使い、回しましょう」という地域通貨のコンセプトへの共感が大きいです。しかし、地域通貨に賛同していた事業主さんがユーザー側に回った瞬間に「電子マネーの世界」に入ってしまい、他の決済手段を使用されます。「PayPayはキャッシュバック大きいよ」とか「Suicaの方が決済早いじゃん」と主張されるのです・・(苦笑)。立場が変わることで違う価値観に変わり、一貫しないのですね。

 

さるぼぼコインでは「お金の地産地消」がキーワードであり、一つの地域経済活性のアプローチになると考えています。しかし、この仕組みがしっかりと地域に定着し、地域経済の活性に寄与するためには、究極的には地域の皆さまが自分たちの消費行動をどう考えて、何を選択するかという「メンタリティ(意志)」の問題になってきます。

 

僕は過去に悔しい思いをしたからこそ、地域の皆さまに問いかけたいことがあるのです。

地域の姿は、住民の選択の結果。今は亡き、高山の映画館の後悔から問いかける

融資部に着任してしばらくの間、今は亡き高山の映画館の事業再建に携わっていました。僕らも、行政の方も、事業者さんも「地域のためになんとか映画館を残したい」そんな想いですごく頑張って、フィルム代を安く仕入たり、いろんなキャンペーンを打ってチラシを撒いたり・・一年半ほど奔走した頃、「もう限界です。ありがとうございました」と泣く泣く事業者さんが辞められました。

 

 

「高山旭座」閉館-飛騨唯一の映画館、30年の歴史に幕 (飛騨経済新聞 2014.09.03)

 

その半年後に「なんで高山の映画館がなくなったんや」「映画館もない地域なんて・・」と地域の方々からの声が聞こえてきました。「何十年も事業者さんが苦しんで営業されていた中、わざわざ岐阜や富山に行って映画を観ていたのは誰なのか。地域の中に映画館が必要だからと行動を起こした人は何人いたのだろうか」本当に悔しい思いを感じました。

 

もちろん僕らの力不足はあります。地域の事業者さんが、地域外の資本と戦えるレベルまで伴走できなかった。それは僕らの責任です。だけど結局は、地域に暮らす方々の選択の一つ一つが今の地域の姿であり選択の結果なのです。

 

PCを商店街の電気屋さんで買うのか、大手家電量販店で買うのか。日々の食材を地元のスーパーで買うのか、大手ドラッグストアで買うのか。さるぼぼコインに限らず、日常的に飛騨の各地で「ユーザー側のリテラシー」が試されているような気がします。

 

 

さるぼぼコインを使うのか、他の決済手段を使うのか。地域住民が主体的に「どの経済圏を選ぶのか?」その選択肢をさるぼぼコインは提示しています。これは「資本主義の膨張」に対する「田舎の最前線」からの挑戦であり、飛騨人の「メンタリティ」への一つのアプローチです。実現までの先は遠く、リターンは見えにくい話ですが、いかにみんなで信じて取り組むかで成否が決まります。

 

 

あの日の悔しさは忘れられませんが、それ以上に僕はこの地域に希望を抱いています。そのためには地域内で生まれるたくさんのチャレンジは互いに応援し合うべきです。専門家ぶった批評は必要ありません。批評して刺し合うのではなく、補い合って一緒に取り組んでいきたい。僕も一人のプレイヤーとして、誇りを持って最前線を走り続けます。

 

 

古里圭史さん提供

 

 

ドラックストア、ホテル、飲食店・・。地域外から多くの資本が投下され、新店舗ラッシュに湧いている飛騨地域。まさに「資本主義の膨張」に晒されている中で、飛騨人はこの地域の未来のために何を選択していくのでしょうか。

 

答えや正解はありません。古里さんが問いかけているのは「飛騨人の意志」であり、未来をつくる「選択は一人一人に委ねられている」こと。

 

いつかその目に映し出される光景が、地域のエンドロールとならないことを願い、古里さんは今日も地域の最前線で伴走し続けます。

連絡先

古里 圭史(ふるさとけいし)
https://www.facebook.com/fkc.schroeder

飛騨信用組合
https://www.hidashin.co.jp/

さるぼぼコイン
https://www.hidashin.co.jp/coin/

 

この記事を書いた人

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丸山純平

丸山純平(まるやま じゅんぺい)
高山市出身。株式会社ゴーアヘッドワークス 企画/ライター
ヒダストのほぼ全ての記事を書いています。
最近は飛騨ジモト大学の事務局も担当。
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