飛騨高山出身、シンガーソングライターとして活動の幅を広げる杉山修(すぎやましゅう)さん。
20代半ばにして輝かしいステージに立つ彼の半生には、人知れず抱えた闇と運命を変えた数々の出会いがありました。杉山さんのストーリーをどうぞご覧ください。
対人恐怖症を抱えていた少年時代と転機。
山王保育園の川向かい、高山市名田町1丁目で生まれました。小さい頃はすっごくおしゃべりで、親からは「吉本入れ」と言われるくらいハツラツな男の子。でも中学生になり、新入生代表挨拶をさせてもらったりする中で、真面目に優等生で在り続けなきゃと囚われてしまったんです。誰もが多感な時期ではありますが、特に僕は過敏なくらいでした。周りを気にして人と話すことを避けるようになり、中学を卒業する頃はどん底でしたね。今思うと、一種の対人恐怖症でした。
高校に進学してからは部活の野球に打ち込み続けて、平日も土日もバタバタ。周りとの距離感を意識できないくらい忙しい日々を過ごしたから、もう対人恐怖症を克服したと思っていたんです。でも埼玉県の大学に進学して一人暮らしを始めた時、一から友達を作ろうとしたけど上手くいきませんでした。対人恐怖症が治っていなかったんですね。ホームシックにもかかり孤独で、大学1年生からの2年間は人生で一番落ち込んでいました。
大学2年生が終わって就活を意識し始めるときに、この状態で就活に挑むのは無理だと自身でも気づいていたんです。何か趣味でも始めなければと、バイト先の先輩に色々連れて行ってもらった中で、一番楽しいと思ったのがカラオケでした。今ほど堂々と歌えずに上手でもなかったけれど、これだという手応えがあったんです。
そんな時、今日はちょっと苦しいなって調子の悪い日があり、気晴らしに大好きな曲である森山直太朗さんの「さくら」を聴いていました。正直、森山直太朗さんの他の曲は全く知らなくて、「さくら」以外にどんな曲があるんだろうと探している中で、偶然出会ったのが「日々」という曲です。
「長い人生の中でありふれた日々の一部をただ生きているだけだ」といった内容を歌っている曲で、悩んでる時間は辛いけど、長い人生からみればたったの数年で大したことないなと、救われるような気持ちになってめちゃくちゃ泣きました。自分も誰かのためになるような人間になりたい。せっかくなら同じように歌を通して挑戦してみたい。そう思った大きなきっかけです。
衝動から20歳で始めたギターと初ライブ。
バットと鉛筆しか握ったことのない僕が、その衝動からすぐにギターを買いに行って、独学で弾き始めました。その日から「就活」は頭から消えましたね。大学を卒業するまでに曲を作れるようになろうと覚悟して、必死で練習する音楽漬けの日々が始まったんです。もちろん音楽業界のことなんて全く知らないですよ。自分の作った歌が正解か不正解かも分からない。それならライブハウスで歌ってみようと思いつき、弾き語りを募集しているライブハウスを見つけたのが運命の出会いでした。
ギターを手にして4ヶ月目、人生初ライブ。ライブハウスのスタッフや師匠のプロデューサー曰く「笑えるくらい下手くそだった」らしいです。それでも「よく一人で飛び込んできたな」と受け入れてもらえた。このライブハウスとの出会いが、今の活動に全て繋がっています。
毎月定期的に歌わせてもらえるようになり、いよいよCDを作ってみたいとライブハウスのオーナーに話したら「うち、レーベルもやってるよ」と言われて、制作のプロデューサーになっていただけたんです。ここから僕の師匠となるオーナー兼プロデューサーとの、二人三脚の歩みが始まります。
自分で録音した音源をプロデューサーに送ってアレンジをお願いしたら、ピアノとバイオリンの音が入って返ってきました。自分の曲がこんな風にアレンジされるのかとものすごく感動して、これは早く次のシングルをリリースするぞと次の扉が開いた瞬間です。親には就活を頑張っていると誤魔化しながら、音楽活動に励んだ1年目でした。
あるとき「せっかく飛騨高山という素敵な故郷があるなら、それを歌にしてみないか」とプロデューサーに言われたんです。新しいみちしるべをいただき、リリースしたのが3rd single 「高山~故郷へ贈る歌~」です。岐阜県人会や岐阜県東京事務所でも取り上げてくださり、高山市役所広報情報課からも取材していただき、人生初めての新聞にも載せてもらいましたね。年の終わりに初のアルバムも無事にリリースし、自分の想像を超える音楽活動1年目が終わりました。
「花」でブレイク、保育園から飛騨を駆け巡った2年目3年目。
東京と高山を往復する日々が始まり、高山ではいろんなところを営業で回らせていただきました。たくさんの出会いに恵まれ、快く応援していただける中で、日に日に故郷への感謝が高まっていきます。「どうしたらもっと故郷へ貢献できるんだろう?」と考えた結果、30代・40代の世代が子育てを機に高山へ戻ってくる人も多く、故郷を歌った曲が一番響くのではと思ったんです。
子育て世代なら、子どもも歌える曲が良いですよね。なにより子どもがおうちで楽しく歌ったら、必ず家族が明るくなる。そこで「保育園で歌わせてください!」とお願いをして回り、僕の実家近くの山王保育園をスタートに保育園・幼稚園ツアーが始まりました。最初の頃はグダグダのMCで、今思い返すと恥ずかしくなります。でも今では、朝のお片づけの時間に僕の曲が流れるんです。実家に居ても聴こえてきて、その度に初心を思い出させてくれます。
大きなターニングポイントは6th singleの「花」という曲です。
実は花里小学校をイメージして作った曲なんです。小学1年生が歌えるようにシンプルな曲で、手を使った振り付けを考えたら、これが保育園でもめちゃくちゃウケました。「テレビのリモコンをマイクがわりに毎日歌っています」「おじいちゃんと孫で一緒に歌っています」そんな声をたくさんいただいて、本当に嬉しかったですね。そうして保育園・幼稚園ツアーがどんどん加速していった2年目でした。
3年目は大学を卒業して、両親にも活動を応援してもらっての大きな一歩。2年目の終わりにリリースしたアルバムを引っさげて、年間30本以上ステージに立ちました。それも高山だけではなく、岐阜市・中津川市・下呂市とチャンスの場がどんどん広がっていったんです。夢中で駆け抜けたとっても濃い3年間でした。
「いってきます。」 音楽活動3年の集大成アルバムリリース。
そうした密度の濃い3年間を締めくくる上で一つ、大きな区切りとして全国デビューのアルバム制作に昨年末から取り組みました。アルバムのコンセプトは「故郷」。特に最初と最後の曲がテーマを表現しています。
最初の1曲目は「青春は、生きること。」という曲で、青春時代は人生そのものだと歌っているのですが、サビのフレーズが「あんきに寄ってな 待っとるでな」なんです。僕自身が対人恐怖症に悩んで苦しかった当時から、故郷ではありふれた言葉だったはずなのですが、いろんな人に支えられて温かみを知ったからこそようやく聞こえてきたんですね。「やっと聞こえたよ」という僕の想いも込めて、方言で歌いたいと曲にしました。
アルバムのタイトルが「いってきます。」なのですが、それは僕が全国デビューのアルバムを抱えて、地元飛騨からいろんなところに行ってきますというイメージで名付けました。そんな旅の途中、何回か地元に帰ってくることを歌にしたのが、アルバムの最後の曲の「ただいま、おかえり。」です。
「ただいま」も「おかえり」も自分だけでは成立しません。伝え手と受け手のやりとりがあって、初めて意味を成す言葉ですよね。いろんな人に支えられて、活動できていることへの感謝が詰まっています。また飾りがないシンプルな歌詞にすることで、飛騨高山が故郷ではない人でも色が付けられるような、余白がある曲になりました。
歌詞の表記にもこだわっていて、例えば漢数字で「一人」といった部分をひらがなで「ひとり」にするなど、文字数を増やして奥行きを持たせることで、より多くの人に出会ったことを表現しています。このアルバムも、クラウドファンディングでたくさんの方に支援していただいたおかげで制作できました。そうした言葉選びの一つ一つにも意味があるので、想像を膨らませながら聴いていただけたら嬉しいですね。3年間の集大成、等身大のアルバムです。
初心を忘れず、野望は持ちつつ。これからも歌う。
僕をここまで育ててくださったプロデューサーは、広島県福山市出身で故郷の曲を歌いながら、僕と同じように地元の学校を回っていたような人なんです。僕と同じ年だった頃のプロデューサーの歌を聴くと、不思議と声がめちゃくちゃ似ているんですよ。
「僕の10年後まで見える」と常におっしゃっていて、レコーディングや曲制作では僕が泣く寸前まで怒ります。ボコボコに叱られるんですけど、一番良い声が出る瞬間が見えるみたいで「次、絶対いけるぞ!」と乗せてくれる。プロデューサーとは阿吽の呼吸で、いやまだ一方的にやられていますが、偶然門を叩いたライブハウスでプロデューサーと出会えたのは、なるべくしてなったのかもしれないですね。
僕が歩んでいる道は特殊で不安もあります。でも誰も正解を知らないのに、これでよいのかと悩むことは無駄な気がするんです。初心を忘れず、野望は持ちつつ。そのバランス感覚は難しい。だけど僕は厚かましさが武器なので、一人で動いている以上は折れずにめげずに頑張ります。4年目の今年はとにかくアルバムを広げたいです。今までは高山市をメインに動いていたけど、全国を飛び回って地上波にも出たいですね。
2019年2月17日(日)には東京からバックバンドを連れて、高山市民文化会館でワンマンコンサートを予定しています。もう戻れない、引けないです。この3年間で気づいたことは、情熱を持ってぶつかっていけば誰かが手を差し伸べてくれること。今は振り向いてくれない方も、10年後には僕のステージの一番前の席で応援してくれるかもしれない。そういう気持ちで今日もたくさんの人に出会い、歌い続けています。僕がこのインタビューを10年後に読み返したら、爆笑しているかもしれないですけどね。
このインタビューも数年後にはとっても貴重な記事になる・・。
そんな確信を抱くほどに、強い意志で突き進む杉山さん。
彼の歌声は飛騨高山から全国へと響き始めています。
連絡先 / SNS
杉山修(すぎやましゅう)
Facebook:https://www.facebook.com/yamasugisss
Twitter:https://twitter.com/shu_sugiyma
公式ブログ:https://ameblo.jp/earth77777777
ディスコグラフィ / CDの購入情報
1st single 「涙なら雨がいい」
2nd single 「いつものように」
3rd single 「高山~故郷へ贈る歌~」
4th single 「夏の口笛」
5th single 「最後にこの歌を歌おう」
6th single 「花」
7th single 「季節を春にして」
8th single 「風」
1st album 「はじまり」
2nd album 「みちしるべ」
3rd album 「いってきます。」
<高山市内でのCDの購入>
・コサカ楽器カルパティオ店(高山市岡本町2丁目41)
・飛騨高山アンテナショップまるっとプラザ(高山市本町2丁目60番地)
・吉村ミュージック(高山市朝日町24)
<通販でのCDの購入>
『杉山修ちびっこコンサート〜1.2の3で手をたたけば〜 vol.1』
■2019年2月17日(日) 開演13:00 (開場 12:30)
■高山市文化会館小ホール
■『杉山修ちびっこコンサート 〜1.2の3で手をたたけば〜 vol.1』
■ 一般入場料: ¥500 (15歳以下 入場無料)
■チケット購入
①高山市民文化会館
TEL:0577-33-8333
②杉山修 (お問合せ)
TEL:080-1562-5421
MAIL:shu19940914@gmail.com
ワンマンライブ開催決定!「杉山修の故郷コンサート」
■2019年9月29日(日)
■高山市民文化会館大ホール
■杉山修 -故郷コンサート-
■FAAVO飛騨でクラウドファンディング開催中!
「【大合唱】地元の大ホールで1300人と一緒に歌を歌いたい!by杉山修」