「穂高を耕す、穂高に生きる」 標高3000mの山小屋で日々を営み続けるー 今田恵 (有限会社 穂高岳山荘 代表取締役)

大正14年創業、標高3000mに位置する山小屋「穂高岳山荘」を経営する今田恵さん。大学を卒業してすぐに家業を継ぎ、1年の半分を険しい山の上で営みます。

標高3000mの山小屋で働くとはどんな日常なのでしょうか?また、今田さんが信条と語る「穂高を耕す、穂高に生きる」とは?

山々に囲まれた飛騨の地に生きる飛騨人にこそ読んでいただきたい、山に生きる今田さんのストーリーをご覧ください。

大学を卒業してすぐに、家業である「山小屋」を継ぐ

高山市で生まれました。大正14年に祖父が「穂高岳山荘」という山小屋を創業しまして、わたしも小さな頃から夏休みには必ず一週間以上、多い年には一月丸々、山の上で過ごすのが当たり前でした。

今田恵さん提供

山小屋といっても、標高日本第3位(3,190m)の奥穂高岳と標高日本第8位(3,110m)の涸沢(からさわ)岳の間である、「白出(しらだし)のコル」(2,996m)に位置しています。麓から片道9時間くらいかかるため、相当頑張って登山した方しか泊まれません(笑)。

赤い屋根が穂高岳山荘 ー 今田恵さん提供

親からは「やりたいことやればいい」と言われていたものの、一人娘なのでいずれ山小屋を継がなければならない意識は少しありました。「一度は都会に出なさい」との親の勧めから、早稲田大学政治経済学部に進学します。

大学は自由闊達で過ごしやすい場所でしたね。登山やスキーのサークルに入ったり、学園祭の運営で広報局を務めたりと大学生活を満喫しました。

やがて就活の時期に入るのですが、小さい頃からMac使いだったわたしは、Apple Japanの選考を受けていました。まだiPhoneが世に出る前でしたので、先見の明があったかもしれません(笑)。ですが、就活中に父親の体調が悪くなりまして、「卒業してすぐに入社してくれたらうれしい」と父から直接請われました。選考途中で辞退しまして、家業への就職を決断します。まあ、そんな父は今も健在なんですけどね(笑)。

前衛峰「ジャンダルム」と雲海 ー 今田恵さん提供

大学時代も夏に家業のお手伝いはしていたので、そこまで変わらない日々だったかもしれません。忙しくない時期は都会に出ていいよと言われていたので、山がシーズンオフの冬場は東京に滞在し、「広報」や「PR」の研究室で学んでいました。ただの宣伝だけではないファンづくりに興味があったのですが、今の山小屋の広報面でも大きく役立つ学びでしたね。

社会人2年目で結婚したのですが、彼は東京の通信会社に勤めていたので一緒に関東へ住み、わたしが山小屋に働きにいく「単身赴任」生活でした。2012年に父の跡を継いで代表取締役に就任し、拠点が飛騨市神岡町になります。

標高3000mの山小屋の1日

穂高岳山荘は、4月から11月までの営業となり、冬はシーズンオフで休みになります。登山のシーズンは夏ですので、7月から10月が繁忙期です。

4月の入山後。除雪して山荘を掘り起こす様子 ー 今田恵さん提供

日の出とともに出発したいお客様がいらっしゃる関係で、山小屋の朝はすごく早く、午前4時に起きて朝ごはんを準備します。ですので、スタッフは早番・遅番のシフト制です。早朝に出発して午後15時までに次の山小屋にたどり着くことで、日本の多くの山は安全を保っているんですね。

わたしの主な担当は、フロントでの受付と午前4時30分にオープンする売店でした。朝ごはんの提供が終わってからは休憩を挟み、お客様のチェックアウトが済んだら一斉にお部屋の掃除をします。のんびりする間もなく次のお客様が到着されるので、宿泊受付をしたり、お昼ごはんを出したり、忙しさのピークを迎えます。

今田恵さん提供

わたしたちは標高3000mに位置する山小屋なので、隣の宿までは歩いて半日の距離となります。人命に関わるため、飛び入り宿泊のお客様を断ることはできません。最近は通信がかなり発達しているので電話予約はできるのですが、天候や体調の関係もありますので仕方ない部分もあります。宿泊定員は250人なのですが、土日の混雑している日などは、「今日の部屋割りどうする?!」とシビアな調整をその場でしていきます。

4月の入山時の霜が張った山荘内 ー 今田恵さん提供

食料品や燃料などの物資は、月に2回、ヘリコプターで運んでいます。天気によってお客様の数が大きく増減するため、発注の数の調整はもちろん、運んだ物資をきちんと管理する技術が求められます。資源には限りがあるので、掃除の時間・炊事の時間を調整したりと効率良く、かつ人工的な音をなるべく立てないように工夫していますね。スタッフの経験や腕に頼ってしまう部分ですが、少しずつマニュアル化していけるように頑張っています。

山荘内の様子 ー 今田恵さん提供

相当な山好きが集まる場所ですので、接客をしていても楽しいですね。とても好きな仕事なのです。

登山の魅力は「シンプルに楽しい」ところ

登山の魅力は「シンプルに楽しい」ところですね。もちろんある程度の技術は必要なのですが、基本的には目的地まで登り歩いて、到着したらすごく楽しい(笑)。とくに、山で食べるごはんは意味が分からないくらい美味しいです。

今田恵さん提供

それと景色は見たことないくらい綺麗ですよ。山で10年以上働いているわたしも、「こんなの見たことない」ってほど綺麗な景色に出会う時が今でもあります。またそれが、写真やビデオに撮っても伝えられるのは1/100くらいなのですよね……肉眼には敵いません。

こんなに綺麗だと気づいた「新雪の日暮れ」ー 今田恵さん提供

都会や街の中で生活していると、身体の感覚や自然の中で生きるということが分からなくなっちゃうんです。災害時にだけ、自然の脅威ってクローズアップされがちですけど、普段から街やインフラが自然の中に人の居住空間を作っている。それが見えづらくなっていますよね。

ですので、衣食住をバックパックに詰め込み、自分の身一つで登山をすると、「自然ってやっぱり強いんだ。人間はなんてちっぽけなんだ」ってすごく感じるんです。こんなに大きい自然と小さいわたし。とっても気持ちが良い感覚ですよ。

今田恵さん提供

とは言え、登山の装備はすごく大事です。登山用の装備の有無で、快適さや安全性が全く違います。この10年でお洒落で機能的な製品がどんどん生まれていますよね。野外フェス文化の影響やメディアの努力のおかげで、登山界にもその流れが来ました。せっかく登るのであれば装備にも少しこだわっていただきたいです。

若い人にも登山の裾野が広がってきて嬉しいのですが、これから日本人全体の数は減っていくので、外国の方もどんどん受け入れていきたいです。実は標高3000mの山小屋でクレジットカード決済にも対応したのです!これは山小屋界隈では画期的なことなんですよ(笑)。通信がそもそもできない状況から、そんなに強くはないですがFree Wi-Fiも整備しました。海外から来たお客様にとっては安心ですよね。

標高日本第3位・奥穂高岳山頂 ー 今田恵さん提供

「穂高を耕す、穂高に生きる」

祖父とは直接話したことはないのですが、祖父が遺した言葉である「穂高を耕す、穂高に生きる」はわたしの信条です。その土地を借りて、耕して育てて、自分も生きさせていただいている。その土地を壊さずに少しずつ良くして、次の世代に託していく。そんな想いの込もった言葉なのです。

日本の多くの山は信仰の対象となり、修験者が修行の場として宗教登山をされていた歴史があります。ですが穂高はあまりに険し過ぎて、近代までは未開の地に近かったのです。簡単に言えば、人間の行くところではないとされていました。自分たちでも「なんでこんなところで住んでいるんだろう」と思う瞬間があるくらいです(笑)。

今田恵さん提供

そんな場所でわたしたちは、父が創り上げたインフラを管理して、祖父が発見した水源から水を引いて営んでいます。父はめちゃくちゃ考えて、ヘリコプターの尾部回転翼をもらって、自家製風力発電機をつくったくらいです(笑)。大工仕事や水道工事なども基本的には自分たちでやります。先代・先先代たちが耕して、引き継いできたおかげで暮らしができているわけです。

そしてそれは穂高に限ったことではなく、普段住んでいる飛騨の街も同じで、先人たちが一生懸命つくってきた積み重ねがあって、今の街の姿があるのだと実感します。

今田恵さん提供

これからの時代は街を成り立たせるのは難しくなっていくかもしれません。であるならば、新たな技術や思想で、少しずつ更新していくことが大事だと思うのです。一気に何かを変えてしまうと、誰かが痛い思いをしたりとか、否定される人がいたりとか、必ずどこかにしわ寄せがいきます。山小屋も少しずつ少しずつ変わってきました。

穂高岳山荘は去年に95周年を迎えたので、もうすぐ100周年です。わたしは三代目として、基盤をよりよくして次世代に渡していきたい。できたら、みんなで耕していけたらうれしいですし、飛騨の人はこんなに近くに山があるすごく贅沢な環境です。まずはこの夏、穂高に限らず、山に遊びに来てくださいね。

山々に囲まれた、人里離れた飛騨の地に住むわたしたち。

毎日目にする山のその頂を、登る人たちがいれば、迎え入れる人もいる。

「穂高を耕す、穂高に生きる」

標高3000mの山の上では、尊い営みが脈々と受け継がれているのでした。

連絡先

今田恵(いまだめぐみ)
https://www.facebook.com/imadameg

今田恵Twitter
https://twitter.com/imadameg

穂高岳山荘 公式ホームページ
https://www.hotakadakesanso.com/

この記事を書いた人

アバター

丸山純平

丸山純平(まるやま じゅんぺい)
高山市出身。株式会社ゴーアヘッドワークス 企画/ライター
ヒダストのほぼ全ての記事を書いています。
最近は飛騨ジモト大学の事務局も担当。
一緒に飛騨を盛り上げたい方募集中!好きな食べ物はチーズケーキ。