「迷ったらマイナーへ」 生涯学問が「変態」を育む ー 益田大輔 ( 須田病院 / ウルトラメンタルクリニック 精神科医)

 

須田病院とウルトラメンタルクリニックで精神科医として活躍する、益田大輔(ますだだいすけ)さん。精神科医が天職だと話す、その人生の軸となったのは「演劇」との出会いでした。

信念を持ち自身の道を進み続ける、益田さんの半生に迫ります。まもなく舞台の幕開けです。

 

第一幕:「周りと違うということは重要であろう」 子ども時代からの価値観。

福岡県福岡市に生まれました。小さい頃から大人びていたというか、精神年齢がおじいちゃんでした。幼稚園の時もアニメとか全く興味がなくて、毎日15時から大相撲を観ていましたね。幼稚園の誕生日プレゼントは九州場所のチケットでした。

 

小学校の時に学級委員をやっていたのですが、某募金活動に対して「これは意味がない。偽善だ。」と反対運動を仕掛けたり、高校の時も文化祭の総評を学級で出せと言われて、「うちのクラスでは総評はありません。総評がないということも尊いことである。」とまとめたり、予定調和では終わらせないタイプでした。

 

「周りと違うということは重要であろう」小さい頃から、そうした価値観が根底にありましたね。まあ当然、担任の先生は嫌がっていましたけれど。思い返せばこの頃から、人間の精神や心の機微に興味がありました。

 

実家が漢方を扱っていたため、小さい頃から「薬剤師になれ」と言われて育ったんです。九州大学の薬学部を目指していて、薬学だから必要だろうと高校で生物の科目を選択したら、まさかの高3の夏に薬学部受験には物理科目が必須だと発覚したんですよ。今さら親に言えないよね。それでスマートな言い訳を考えた結果、「僕は薬剤師ではなく、医者になるんだ」と宣言して医学部を目指すことにしました。それで一浪して愛媛大学の医学部に進学したんです。

 

 

第二幕:「君たちにこの芝居は無理だった」 衝撃的な演劇との出会い。

大学に入学してから、自分の人生の軸となる「演劇」に出会いました。僕の人生で唯一の師匠である、演劇部の団長との出会いもその時です。団長は僕の学部の二つ上の先輩でした。

 

僕が大学一年の夏に、当時演劇部ではなかったのですが、ある芝居のお手伝いをしていたんです。それは4人芝居で、一ヶ月みっちり練習していました。団長は厳しい演出家なので、上手く演じられない役者のセリフはどんどんカットしていたんです。そうしたら本番の一週間前、プレッシャーからか主役の人の声が出なくなってしまいました。

 

それでもやるしかないので公演に臨んだら、最終公演の後半から声が出始めたんです。演者も裏方もみんなが本番に強くて、僕も側から見ててこれは良いと思った。圧倒的に一番良くて、みんな手応えがあったんです。そうしたら公演後、最後にみんなが集まったところで団長が一言「君たちにこの芝居は無理だった」と言いまして・・。そりゃ一同「エェー!」ってなるよね。今日は最高に良かったと思ったら、それでもダメかと。最終日くらい褒めればいいのに「君たちに任せた僕が悪かった。」なんて言い出すから、衝撃的でした。

 

でも逆に僕はその団長の言葉と姿勢に、信頼を感じたんです。そんなに奥深い世界なら、僕も芝居をやってみたいと決意しました。そうして芝居をやり出した時、下積みから始まると思ったら最初から主役をやらせてもらったんです。理由を聞いたら、「脇役をやると脇役の演技が身につくから」と言われて、そういうものかと腑に落ちました。主役に限らず脇役でも裏方でもそうなんでしょう。演劇に打ち込んだ大学生活でした。

 

 

大学を卒業するとき、医者になるのか役者になるのか悩みました。その時ちょうど2000年で、「21世紀の石原裕次郎を探せ!」オーディションがあったんです。主催事務所の石原プロモーションは高学歴が好きで、おそらく受験者の中で医師免許を持っているのは僕しかいない。手応えはあったのですが、残念ながらオーディションには通りませんでした。そこで潔く役者の道を諦めて、医者の道を選びました。

第三幕:「昨日は眠れましたか?」 演劇的な駆け引きが精神科。

岐阜県には縁もゆかりもありませんでしたが、例の団長が岐阜で働いていたこともあり、卒業後は精神科医として岐阜大学病院に来ました。当時は大学で医学を学ぶ中で、内科とか神経科といったいろんな科を回って勉強するんです。どの科も診るのは一部の臓器であったり特定の部位であったりする中で、その人の人生や背景、人間模様を見るのが精神科だったんです。目に見えないものを見る世界なので演劇と親和性が高く、圧倒的に面白さと奥深さを感じました。天職だったね。

 

その後、高山市への派遣を頼まれて、断る理由もなかったから二つ返事で移住したのが27歳頃。そこからはあっという間だね。高山に来てから5年くらいは高山赤十字病院にいました。その後は須田病院に移ってもう10年ほどでしょうか。週に何日かはウルトラメンタルクリニックでも働いています。

 

精神科の仕事では目に見えないところを見るのですが、答えがないところにやりがいを感じます。患者の放つ言葉の内容と、実際に思っていることが決してイコールではない。裏腹な訳ですよ。例えば僕が「昨日は眠れましたか?」と聞いて、患者さんが「はい、眠れました。」と答える。その信憑性を考えるんです。実際は眠れているのか、眠れていないのか。

 

極端な例ではありますが、つまり言葉は情報量が一番少ないんです。その言葉を発した人の表情や姿勢で実際はどうだったかを推定する。最初から駆け引きで、ある種の化かし合いに近いから演劇的なんですよ。

飛騨地域の患者さんは良い人ばかりですが、アルコール依存の方が多いので、みなさん飲み過ぎには気をつけてくださいね。今はメンタルヘルス(精神の健康)がとても重要視されてきているから、須田病院への偏見の目も多少は和らいできている気はします。心の不調を感じたら、お気軽にご相談に来てください。

第四幕:「ストイックな練習で手加減がない」演劇の学びと触れ合い。

高山でも演劇活動は続けたいと思い、移住してきてすぐに高山で「劇団コスモアタック」を立ち上げました。高山市出身の俳優である中田裕一さんに出会ったのも大きかったですね。ストイックな練習で手加減がないんですよ。そうして演劇に関わりながら、年に数本ペースで舞台に立ったり、演出側に回ったりしています。

最近では「お化け屋敷」に注力しています。遊園地などでも体験ミッション型のお化け屋敷が流行っていますが、劇団が本気で演じる方が絶対に怖いですからね!劇団員からやってみたいとの声が上がりました。それで「ゴーストアクターズ」という15人規模の劇団が立ち上がって、毎年夏にお化け屋敷を開催しています。今年も開催しますよ。

 

 

高山からでもこうした文化を生み出していけるのは面白いですし、地元の中高生といった若い子に楽しんでいただけるのは嬉しいよね。演劇に限らずですが、高山は人口規模に反比例して非常に文化度が高いですよ。

 

そうした演劇や市民活動を通した出会いと学びが、日々の業務にも還元されています。精神科の場合は特に、業務外で多様な人間と触れ合うことが大事ですから。もちろん患者さんと触れ合う中で成長していくこともあるけれど、圧倒的に業務外の時間に学んだことを還元していくほうが良いね。

 

実際に治療しているときは、学ぶというよりは凌ぐに近くなる。一日に何十人もの患者さんを診る中で、一人一人とお話しできる時間には限界がありますからね。PKでシュートを打たれるゴールキーパーの立場。その瞬間にいかに、今ある能力を出し切れるかどうか。振り返って学ぶことはもちろんあるけれど、オフの時間にどれだけ知見を蓄積できるかが大事ですね。

第五幕:「迷ったらマイナーへ。」 生涯学問が「変態」を育む。

高山の好きな景色は、いろんな場所から一望する高山の街並みです。パークボウル、飛騨・世界生活文化センター、位山の頂上。挙げればキリがありません。また高山インターチェンジから降りてくると、美しい山々がお出迎えしてくれますよね。僕はこの山々に抱かれた高山の地で、これからも生きていきたいです。

 

だからこそみんな、もうちょっと街のことを考えないとやばいよ。配偶者や子どもがいる人は特にね。もはや安定社会ではないし、これからも人口が減り続けるのは間違いない。すでに労働生産人口は少なくなっているから、観光資源がなかったら消滅可能性都市に指定されてもおかしくはない。でも高山市はこれからの地方の在るべき姿を全国に提示できる、モデルケースとなる土壌があると思う。

 

先日も「変態学」という講座名でお話しさせていただきましたが、多様な生き方を尊重することが豊かさに繋がる時代になっています。誤解されないように、僕の中での「変態」の定義は、「自分らしさや、個性を表に出す度合いの高めな人」です。日本は法治国家なので法に触れることは許されませんが、可能な限り誰しもが自分自身を解放して、のびのびと生きられる街が良いですよね。

 

 

そうして自身の変態性に気づいて個性を伸ばしていける人は、他人の変態性にも寛容です。同調圧力の強い、同質性の高い集団・地域は衰退していく時代です。少数派に厳しい街では、チャレンジは生まれないですから。

 

そのためには生涯学問のすゝめですね。老若男女関係なく、みなさん常に学びましょう。みんなで一緒に学びましょう。あなたが少しでも賢くなることが、街を良くすることに繋がります。もう感情的な対立をしている時代じゃないですし、そんな余裕は地方にはないです。生涯学習を肝に銘じて、好きなだけ勉強をして、好きなだけ研鑽を積む。そうしてもっとみんなが活躍できる街であってほしい。

 

 

この街に生きる人々の心の健康をサポートしながら、まずは僕自身が率先して学び、個性を表現していきたい。「迷ったらマイナーへ。」を合言葉にどんどん変態が生まれて、誰もが輝ける高山がいいね。そんな街に僕は住み続けたいな。

 

地域を変えるのは「よそもの・わかもの・ばかもの」だとよく言われます。まさに異端児として活躍し続ける益田さんの想いが、この街を心から元気に、健康に、蘇らせていくことでしょう。

益田さんの舞台は多くの観客を魅了しながら、まだまだこの地で続きます。

連絡先

益田大輔(ますだだいすけ)

https://www.facebook.com/profile.php?id=100009615757906

劇団太陽

https://www.facebook.com/gekidantaiyou/

お化け屋敷プロデュースチーム『GhostAct presents』

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この記事を書いた人

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丸山純平

丸山純平(まるやま じゅんぺい)
高山市出身。株式会社ゴーアヘッドワークス 企画/ライター
ヒダストのほぼ全ての記事を書いています。
最近は飛騨ジモト大学の事務局も担当。
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