人は食べ物でできている。その人らしく幸せに生きられるよう大切な食をサポートしたい ー 大澤さゆり ( 料理研究家 )

料理研究家として個人で活動をしながら、「駿河屋魚一」さんの「FRESH LAB.TAKAYAMA」でもレシピ開発などの食のサポートをしている、大澤さゆりさん。

彼女の提供する料理は植物性(ビーガン)の材料で作る食事やお菓子。
美しく、心を隅々まで満たすお料理にはファンが多く、彼女のお料理を食べて、涙する人もいます。
今回は彼女自身の半生にスポットをあてました。
どうぞ、じっくり味わいながらお読みください。

大野郡白川村。大自然の中、のびのび育った幼少期

大野郡白川村に生まれました。
両親が「 白山館(はくさんかん) 」という旅館を家族経営していて、私は3人兄妹の真ん中。
自然豊かな場所に生まれたこともあって、山や川で思いきり遊んで育ちました。
両親は多忙でしたが、近所の優しい関わりにも助けられながら平瀬小学校、白川中学校へと進学します。


性格は元気で活発。
でも、身体は強くなくて、喘息持ちでした。
祖母がよく薬効のある棗(なつめ)や熊の胆(くまのい)を食べさせてくれて。
そのお陰もあってか、小学校4年生の頃には喘息は治りました。

「朴葉味噌作るよ」となったら朴葉を取ってくる、お味噌も自分の家で作るような環境に育ったことが自分の食のルーツになっていると思います。

楽しみを追いかけた学生生活と、運命を変えたベジタリアンフードとの出会い

都会に出たかった私は、岐阜市の富田高校啓明コースに進学し、その後は名古屋女子短期大学部生活造形コースに通います。振り返ると、今できる学びも遊びも全力で楽しんだ学生生活でした。

シンガー、映像クリエイター、DJ、ソファー職人など、様々なアンダーグラウンドカルチャーを作ってる人たちと出会ったのもこの頃です。
今思うと、学生時代の出会いが「私もこの人たちみたいに自分が好きなことを表現して生きていきたい」という自分の未来像に繋がったのだと思います。

大学を卒業してからは、名古屋の丸の内にある会社で営業事務の仕事をします。
その頃、運命的な出会いがありました。

名古屋で暮らし始めてからは頻繁に体調を崩し、しょっちゅう病院に通っていたのですが、ある時ベジタリアンの友達が料理を作ってくれたんです。
「なにこれ!野菜しか入ってないのにすっっごく美味しい!!」
その美味しさがまず衝撃的でした。

更に友達はこう言いました。
「今の食事じゃ身体治らないよ」
当時の食生活は、空腹が満たされればいいという感覚で手軽なもの。
ハッとしました。
「体調不良って、食事を変えたらどうにかなるの?」
それは身体の真ん中にズドーンと入るような気付きであり、今の仕事の原点と言える出来事でした。

生きてるだけで丸儲け。それを痛感したバックパッカーの経験

当時は21世紀を迎えるミレニアムに世の中も沸き立ち、野外パーティーが盛んな時期でした。
「タイで大きな野外パーティーがあるから行かない?」
と友人に誘われ、ふと、日本以外の国を知りたくなります。

パスポートを準備して、
「タイに行きます。仕事辞めました」
と両親に連絡し、旅立ちました。両親はびっくりしたでしょうが、もう辞めてしまっているから間に合いません(笑)。

せっかく仕事を辞めてまで海外に行ったし、見たことがないものを見たいという思いで、イベントが終わってからはタイ、ネパール、インドをバックパックひとつで一人旅をしました。

インドは人間というものをすごくリアルに感じられる国でした。
死体が道端に転がっていたり、生肉がぶら下がっていて匂いが漂っていたり。
人の営みが剥き出しで、すべて表に出ている感じがしました。
日本はそういった生々しいものは取り繕われているから、かなりの衝撃を受けました。

私はどこにでも順応できるみたいです。
インドのローカルな家庭に伺ったり、寺院でお手伝いをしながら長く滞在して、インドのベジタリアン料理を見よう見まねで覚えたり。
インドに直に触れてみたかったので、やりたいことは何でもやりました。
食事もインド人が美味しいと言う場所や、インド人しか行かない場所にアンテナを張って行きました。

旅の締めくくりには、生きてることへの感謝や感動が込み上げてきました。
「生きてるだけで丸儲けだから、私は好きなことしかしない」
自分が満たされるのを感じながら、そう心に決めます。

「料理」で自分の道が拓けていく

帰国した私は、アルバイトをしながら日本中を旅することにします。
「生きるってなんだろう?」
と思いながら、私の中にあるものを覗いていました。

北海道で温泉地を巡ったり、高知で漁師をしたり、群馬で中居さんをしたり、染め物して服を作ったり。
23歳でその旅を終えたあと、拠点を高山に据えました。

「料理」で自分の道が拓け始めたのもこの頃です。
当時はベジタリアンフードを食べられるお店がなかったので、食べたければ自分で作らなければならず、調理師免許も取得しました。


当時、マクロビオティック(食養生)の考え方が拡がっていたので、本を読みながらそのメソッドを学び、「美味しい」を支える基盤もできました。

マクロビオティックを学んで一番心に響いたのは、
「人の身体は食べたものから作られる」ということ。
自分の身体も「美味しい」「自分に合う」を基準に食べ物を選ぶうちに、どんどん活力を取り戻し、体質としてずっと悩んでいたアトピー症状も消えていきました。

イベントに誘われて出店すると、
「美味しいから作り方を教えてください」 と言われるようになり、
「じゃあお料理教室やってみようかな?」
といったように、流れは一気に「料理」へと進んでいきます。

食で最愛の命と生きていく

もうひとつの大きな転換期は27歳の頃です。
ひとつの命を授かりました。
その時のパートナーと結婚するかどうかをすごく考えた末、結婚の先に幸せな未来が見えず、ひとりで子どもと生きてゆく道を選択しました。

結婚しないで子どもを生むことを選択し、いちばん辛かったのは両親に心配をかけたことでした。
本当は自分の両親が安心するような形で報告をしたかった。
だけど、命を授かった場所ですごく神秘的な体験をしていたこともあり、何よりも私を選んで来てくれた命を手離すことはできなかったので、その選択で起こるすべてのことを受け入れる肚を決めました

「生むのであれば、きちんとひとりで育てなさい。手は貸さない!」
母は大きな愛をもって、ひとりで生きていく覚悟を私に問いかけてくれました。
「私が稼がなくちゃ。仕事に復帰しなくちゃ。食で生きていくんだ」
自分の頑張り次第で、きっとなんとかなると思いました。

photo by Ryuji Imamura

息子が生まれて3ヶ月で親元を出て、高山で暮らすようになります。
食で生きていこうと決めていた私は、自分を必要としてくれる場所にはどこでも行きました。
辛い時は今まで出会ってきた人や価値観が、私を支えてくれました。
なにしろ自分には、子どもがいる。
この命をどうにか守らなきゃ。それしか頭にありませんでした。

息子は現在小学5年生。気がついたら多角的な物の見方をするようになり、自分の頭で色々考え行動しています。
彼が私から自立し、自分をしっかり生き始めたなと感じるようになりました。
私はまた一歩下がって、彼が彼らしく最善の道を歩めるよう、足りないものだけをサポートしたいです。
自分らしく生きてほしいなと思っています。

食べ物には力がある。希望があるなら一度食に立ち返ってほしい

ずっとフリーで働いてきましたが、2017年から「駿河屋魚一」さんの「FRESH LAB.TAKAYAMA」でも勤め始め、協働する喜びを知りました。

photo by Ryuji Imamura

「より豊かな食卓と、一歩先のくらしをみんなで作る場」というコンセプトに共感し、メニュー提案や商品開発、お料理教室など食に関わる仕事をしています。

私が提供する料理は植物性(ビーガン)の材料で作る食事やお菓子です。
アレルギーや宗教上の理由で食事を断る事も少なく、皆で食卓を囲めるチャンスが増え、身体への負担が少なく楽しめる料理だと思っています。

私も厳格ではないながらベジタリアンですが、それは自分の身体が喜ぶし合っているから。
合う食事は人によって違いますので、選択はそれぞれでいいと考えています。

食べ物をジャッジしたり、押しつけるつもりはないですし、ここ数年は偏った食事を食べたとしても、それを元に戻す方法がある事を学びました。
あれこれを否定するのではなく一旦は受け入れ、自分が心地よいと感じる「中心」へと戻れば良いと考えられるようにもなりましたね。丸くなりました(笑)。

今はスーパーマーケットという、食卓に直結する場所にいるので、簡単に手に入るものでも人生は変わるよって伝えたいです。
台所漢方というお料理教室では、東洋医学的な見方で身体をサポートするものを学んでから、スーパーに並んでいるものを皆で見に行きます。そうすることで学びと実践がそのまま食卓に繋がっていきます。

かつての私のように、食べ物の選択によって体調不良が続いたりしている人は多いと思います。
食べることをないがしろにすることはいくらでもできますが、人生を楽しくしたい、現状を変えたい、病気を治したいと思ったら、私は一度食に立ち返ってほしいです。
食には弱った身体や心を挽回していく力があります。

豊かな食とは、食べる人を元気にし、人生も豊かにするもの。
私の作ったご飯を食べて、涙を流してくださる人もいます。
固まっていたものが、ほどけたんだなと嬉しくなりますし、それくらい食べ物には人を幸せにする力があるんです。

これからも、食を通して関わった人がその人らしく幸せに生きられるよう、サポートしていきたいです。

彼女がまっすぐに貫き、守り通してきた大切なものは、「食」という形で大きな愛とともに今日も誰かの心に伝わり、拡がっています。
その彼女の心と身体を支えているものこそ、食なのだと思いました。

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大澤さゆり
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この記事を書いた人

ライターMEGU

ライターMEGU

ライターMEGU (あかおめぐみ)
フリーライター、カウンセラー、中日新聞高山北部専売店記者、マリエクチュールスタッフ

高山生まれ高山育ち。文章を書くことと対話が大好きです。