次世代へ想いをつなぐ。若者の熱意に向き合える飛騨をつくる ー 尾上玄 (有限会社アクシア 常務取締役)

飛騨高山を中心に清掃業・飲食業を営む「有限会社アクシア」の若き経営者、尾上玄さん。高校3年生で父親と別れ、自暴自棄になった時期もあった中で、尾上さんが大きく成長したきっかけとは?

「次世代へ想いをつなぐ」
真っ直ぐに掲げる、飛騨を牽引する若き想いをどうぞ受け止めてください!

「父親」への想いから、バスケに打ち込んだ学生時代

高山市新宮町で生まれました。僕が2歳くらいの時に、両親が「有限会社アクシア」を創業します。朝早くから夜遅くまで働き詰めの両親に代わって、祖母や叔父に育てられました。特に、当時の社長である父親は、体格が大きく口数は少なく、親子ながら距離がありましたね。

これといった特技もなくぼんやりと日々を過ごしていたのですが、日枝中学校1年生の時に、父親から「松倉中に転校してバスケをやってみたらどうや」と言われて、2年生からは松倉へ転校してバスケットボールを始めます。

当時の松倉はバスケ部がすごく強くて、初心者の自分には練習についていくのが必死でした。父親もずっとバスケをやっていた経験があったんです。とは言え、今思い返すと転校理由としては無茶苦茶ですね(笑)。

「父親に認められたい」そんな想いから、一生懸命バスケに打ち込みます。3年生のバスケ部引退後にクラブチームが発足することになり、松倉中のバスケ部からは僕がクラブメンバーに声をかけてもらえました。その後の大会で、まさかのチームで1人しか選ばれない優秀選手賞を取ります。そのことを父親に報告した時の「よくやったな」は今でも鮮明に覚えています。

高校は岐阜県下で最も歴史のある伝統のあるバスケ部、父親の母校でもある本巣郡北方町の岐阜農林高等学校に進学しました。高山を離れて寮生活となりますが、寮生の8割はバスケ部員で、体育会系の集団生活を叩き込まれる日々……。1日に3回も点呼があったりと、とても辛かったですね(笑)。

父親からは「家を継ぐことは考えなくていいぞ」と言われており、食品科学科のコースに進んでいた僕は食品に関わる仕事がしたいと思い、料理人を目指します。進路に関しては、自衛隊を勧める両親と揉めたのですが、反対を押し切り、名古屋の調理師専門学校に進学することを決めた瞬間でした。高校3年生の8月、父親が急病で亡くなってしまいます。

父親が残した「家族」と「会社」を守れるようになりたい

高山に一時戻り、父親の葬式に参列しながら、自分が家業を継がなければという意識が芽生えました。父親が残した「家族」と「会社」を守れるようになりたい。ですが、新たに社長に就任した母親は「好きな道に進め」と言ってくれたので、まずは予定通り名古屋調理師専門学校に進学します。

専門学生時代は調理を学びながら、ひたすら飲食店でアルバイトをしていました。卒業後は名古屋のレストランで2年ほど修行したのですが、休みは少なく給料は安く、調理のプロの道は険しかったですね。

自分に向いているのか分からなくなり、一度、知り合いの工務店に転職します。1年ほど工事現場で働いたりもしました。待遇は良かったものの、やっぱりしっくりは来ない。

自分が本来目指していたことはなんだったのか?自暴自棄になりながらも問いかける中で、自分は父親が残した「家族」と「会社」を守れるようになりたかったんだと思い出しました。その頃、家業が忙しくなってきたこともあり、高山へ戻って有限会社アクシアに入社します。

戻って来た1年目は辛かったですね。一従業員として下っ端から始めて仕事を覚えていく日々です。それは今でも同じですが、少しずつ頼ってもらえる立場に成長しているのかなと思います。

「清掃事業」と「飲食事業」を展開する、有限会社アクシア

有限会社アクシアは「清掃事業」と「飲食事業」の2軸で展開しています。

「清掃事業」では、高山市内を中心に公共・民間問わず、大きな施設の清掃を請け負っています。みなさんが知っている施設でよく見かける、毎日掃除をしてくれているスタッフさんはアクシアのスタッフが多いと思います。

数十年勤めてくださっているベテランのスタッフが多数いらっしゃるのですが、どんな汚れでも効率よく落としたり、綺麗をより綺麗にする職人技術を持ち合わせています。

 

「飲食事業」ではさまざまな施設から委託を受けまして、食堂の運営や給食の提供をしています。「大量調理」に特化した事業体なのです。実は飛騨高山の民間企業で、日替わりメニューを変えながらの大量調理を毎日こなせる会社は少ないと思います。

幼稚園の給食の提供から一般のお客様もいらっしゃる食堂の運営と、幅広い年代に対応しているため、ノウハウやデータも蓄積しています。しかし、高山市内の施設の食堂を運営しているのは大手企業や北陸の企業が多いので、地元企業が担っていけるように成長していきたいです。

アクシアの事業はどちらも、なかなか一般の方の目に触れるお仕事ではありません。ですが、スタッフは一生懸命、誇りを持って仕事をしていますし、そんなスタッフを僕は誇りに思っています。そうした姿を今後は発信していけたらと常々考えています。

YEGで出会った先輩方のように、次世代の若者と向き合いたい

自分自身の変化としては、「YEG(高山商工会議所青年部会)」に入会したことが大きな成長のきっかけでした。YEGは20歳から45歳までの会員が、自企業の発展と共に地域社会の発展を目指す青年経済人の団体です。

高山に戻ってきてからは、僕が若いことを理由に「まだ若いから分からないんだ」と言われたり、対等に向き合ってくれる方がいませんでした。だけど、YEGの先輩方は若輩者の僕とも真剣に向き合ってくださり、時には厳しく注意してくださります。

そんなYEGの先輩方にお世話になって、僕はたくさんのことを学んで来ました。今の30代40代の先輩方は層も厚く、想いも熱く、たくさんの素敵な方がいらっしゃいます。じゃあ自分たちの世代はどうだろうか?さらに次の世代は飛騨に戻って来たいと思えるだろうか?

YEGは現在メンバーが約160人いますが、20代は僕を含めてたったの3人です。僕らの世代が熱い先輩方からたくさん吸収して、下の世代に繋いでいかないといけない。そんな使命感さえ抱いています。このままじゃ、20年後の飛騨地方にはパワーある若者は残らない。

僕はこの飛騨に、若者が活躍できる仕事をつくっていきたいです。やる気ある若者は全員採用するくらいの勢いで、次世代の熱意に向き合える地域にしていかないといけない。そう強く思っています。

次世代へ想いをつなぐ。若者の熱意に向き合える飛騨をつくる

僕は学校では落ちこぼれで、小さい頃から勉強ができなくて、人並みにできる何かも見つけられませんでした。そんな自分に何が残っているのか……ようやく見つけた僕の長所は「人見知りしない」ことと「アウェイな場が好き」の二つ。「あいつ誰だ?」と思われるのが好きなのです(笑)。

そんな僕がたまたま会社を経営する立場になり、たくさんの素敵な先輩方に恵まれて、飛騨の一若者としていろんな場に呼んでいただける。僕にできることがあるなら、なんだってやります

ですが、常に頭の中にあるのは「守破離」です。この飛騨を創ってきた先人たちをリスペクトしつつ、少しずつ自分たちの世代でリメイクして、次の世代へと託していく。どんな場所にも飛び込んで行きますが、敬意と素直さは見失わずにいたいです。

すごく悔しかった経験は、名古屋で働いている同級生から「飛騨に戻っても、金融機関か公務員じゃないと食べていけないでしょ」とメールが来た時です。企業側も発信する努力をしなくてはいけないですが、優良企業は飛騨にたくさんあります。

アクシアももちろん頑張りますが、もっと飛騨の企業は発展できます。自分一人では限界があるけれど、企業・行政・NPOや市民団体、子どもからお年寄りまで、みんなで協力してなんとかしないといけない。

数十年後の飛騨でも、僕が大好きな先輩方と次世代の熱い若者たちと、みんなで飲み明かしたいんです。次世代へ想いをつなぐために、若者の熱意に向き合える飛騨をつくるために。僕は最前線を走り続けます。

内閣府と経済産業省が提供する「地域経済分析システム(RESAS)」によると、飛騨地方3市1村の人口は約15万人(2019年)ですが、2045年には5万人の人口が減少し、残った約10万人の半数は65歳以上の高齢者という人口構造へ変化していきます。

今以上に若者が消えていく飛騨地方において、尾上さんは最前線を走りながら、次世代へと想いをつないでいきます。あの日と同じ、若者の熱意に向き合える飛騨の姿を目指して。

連絡先

尾上玄
https://www.facebook.com/gen.onoue.5

有限会社アクシア 公式ホームページ
http://axia-takayama.com/

住所:岐阜県高山市江名子町2177-6
TEL:0577-33-7956

この記事を書いた人

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丸山純平

丸山純平(まるやま じゅんぺい)
高山市出身。株式会社ゴーアヘッドワークス 企画/ライター
ヒダストのほぼ全ての記事を書いています。
最近は飛騨ジモト大学の事務局も担当。
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