人のためになることを。飛騨の「閉塞感」や「生き辛さ」に寄り添いたい ー 銅島裕子 (ひだ高山整形外科 / 公認心理師)

ひだ高山整形外科で「こころの相談室」を運営する、公認心理師でカウンセラーの銅島裕子さん。元々は広告営業のお仕事をされていましたが、あるきっかけからカウンセラーの道へ進み、飛騨へと移り住んで来られました。

飛騨のしがらみによる「閉塞感」や、周囲の目や評判を気にしてしまう「生き辛さ」に寄り添いたい。さまざまな価値観を認め合って、イキイキと自由に生きるためにメンタルケアを身近にしたい。そんな銅島さんの、飛騨で生きるすべての人に届いてほしい想いを伺いました。

広告営業の仕事から、心理カウンセラーの道へ

岐阜県美濃加茂市で生まれ、生後すぐに関東へ引っ越し、学生時代は千葉、社会人時代は東京で過ごします。小さい頃からピアニストを夢見て、音大進学を目指しましたが絶対音感がなく、高校2年生の時にこれ以上は上手くなれないと断念しました。そのまま大学まで一貫校の、いわゆる「お嬢様」女子大学の英文科に進学します。

 

学部は消去法で選び、無目的に進学したので、なにか頑張った経験もないまま大学生活が過ぎました。華やかな業界に憧れて、卒業後は広告代理店に「なんとなく」就職します。新しい広告を企画したり、スポンサーとの営業のやりとりはそれなりに面白かったのですが、ずっと続けようとは思っていませんでした。

ちょうど就職して3年目の時に、会社が統合されることになり、営業職ゆえに顧客にいつも商品を売り続けないといけないという状況に、一生続けられる仕事ではないと考え、仕事を辞めました。人生の大きなターニングポイントですね。

 

人から「ありがとう」と言ってもらえる仕事がしたいと悩んで、思いついた選択肢が、当時未経験大募集の「システムエンジニア」・社会人からでも学べる「看護師」・まだまだ未曾有?の業界「心理カウンセラー」の三択でしたが、結局、一番自分にしっくりきそうな、しかし最もお給料が低そうなカウンセラーの道を選びます(笑)。

 

専門学校に入学し「精神保健福祉士」という国家資格を取得しました。精神保健福祉士は「ソーシャルワーカー」とも呼ばれ、精神障がいがある方やその家族への日常生活の訓練や指導、就労のアドバイスを行うことで、自立へ向けた生活をサポートする仕事です。

 

卒業後は、都内にある精神科のクリニックで働き始め、「統合失調症」や「うつ病」や「アルコール依存症」といった精神障がいの方を支援するお仕事に就きました。社会復帰のプログラムやカウンセリングを通して、患者さんが元気になっていく様子がとてもうれしく、やりがいを感じましたね。

 

それまでの人生でほとんど勉強してこなかった私が「心理学をもっと学びたい」と、29歳で大学院受験に挑戦します。専門用語ばかりの論文もはじめは読むのに1か月かかりましたが、なんとか試験をクリアして筑波大学院カウンセリングコースに進学します。「うつ病を認知行動療法でなおしたい」と思い、自分がやりたいテーマの研究に没頭できるのはとても楽しく、深い学びとなりました。

 

大学院を卒業して「さあバリバリ働くぞ!」と思っていた矢先に、なんと32歳で結婚・妊娠・出産と一気にまたもやさらなる転機がきます。そのまま主人の出身地、高山市へと移住することになりました。

メンタルケアはもっともっと身近なもの

飛騨高山に住んでみて、お水が綺麗で美味しいことにびっくりしました。水道からあたりまえに美味しい水が出てくる。またお酒、お米、お野菜など水に関連するものがとても新鮮で美味しい。これらは飛騨の宝かと思います。

しかし逆に衝撃的であったのが、人間関係の濃さ・近さでした。ある高齢者に、「これ、そこのあんさまは、昔私の知り合いで……」とか「ご主人と同級生で昔は〇〇で……」と話しかけられた時は、「なんで他人の個人情報にここまで詳しいのか?」と驚きました。

 

関東では、人口規模の違いもあると思いますが、まずスーパーや飲食店で「知ってる人に会う」ことがめったにありません。また何処に住んでいるとか、家族関係とか、職業などの情報は遠慮して最初は聞かない。さらに大学院では、カウンセリングで話された個人情報や秘密を守るようにと、しつこいくらい指導を受けてきただけにかなり衝撃的でした。

でもこれって、飛騨流のあいさつ、気づかい、地域付き合いのマナーなのでしょうね。基本的に、飛騨の方は皆さん真面目で良い人ばかりだと思います。

 

そんな飛騨では3人の子どもを育てる日々でしたが、自身のキャリアを閉ざしたくない想いは強かったです。高山市役所で月一回の無料相談窓口を担当させていただきながら、心理学やうつ病に関する論文をいくつか執筆しました。でもやっぱり、思うように動けない環境下にモヤモヤは募るばかり……。

 

次の転機は38歳、2013年に主人と「ひだ高山整形外科」という医院を開業したことです。整形外科では、足腰の痛みや肩こり、打撲、捻挫、骨折などの怪我、関節の痛み、傷の治療を行い、お薬の処方や、MRIやX線撮影、骨密度などの検査、手術やケガの後の運動機能の回復のためのリハビリテーションも行ないます。

そんな整形外科に併設で『こころの相談室』を開きました。こころの相談室は「精神病が重い人」がいらっしゃるわけではなく、みなさん「少し話をきいてほしい」「ちょっと眠れない」「最近気分がブルー」「仕事がうまくいかない」「家族の人間関係を良くしたい」など、どちらかというと「こんな話でもいいの?」と戸惑いながら初回来談してくださります。

お気軽に相談にいらっしゃって良いんです!そもそも重篤な症状になってしまう前にカウンセリングを上手に利用することは、メンタルケアとしてとても大事かと思います。

飛騨の「閉塞感」や「生き辛さ」に寄り添いたい

私は悩める人の背中を押して、少しでも飛騨が活力のある町になるようなお手伝いをしたいと思い、日々カウンセリングを行っております。その際に大事にしていることは、患者さんに敬意を払いながらお話を伺うことです。

患者さんの歩まれてきた人生やストーリーに興味関心を最大限に傾けて、まるでひとつの映画を観るように内容を伺っていきます。最終的に、そのストーリーを客観視して、悩みを解決する糸口を見つけていくのです。患者さんが縛られている足枷を少しでも軽くすることができるか、患者さんと一緒に探していくイメージです。

飛騨地方では「アルコール依存症」の患者さんも多く、さらに「対人恐怖」を抱えた方もたくさんいらっしゃいます。表向きは明るく振る舞って、地域行事に参加はしているけれども、内心では恐怖感から外にも出たくない。人との繋がりが深い地域だからこそ、水面下で息苦しさを覚えている方、また無意識に苦しめられている方がたくさんいらっしゃる。

いかに世間の目に縛られて、逃げ場がなくなっているか。「●町の△さん」でその人が分かってしまう匿名性が保てない環境下では、治療の幅も広がっていかないのが現状です。

 

例えば、心理療法の一つに「グループカウンセリング」という治療法があります。これは同じ悩みを共有する人たちで集まり、「その気持ち分かる!」とか「私はこんな風に解決しました」といった当事者同士の共感・情報交換の場をつくる治療法です。これが非常に大きな治療効果を生むのですが、飛騨ではプライバシーが保てないためなかなか成立しません……。

やはり地域として、「多様性」への理解や配慮が深まっていくことが大事です。つまり人は他人と違っていても大丈夫で、その違いを共感はできなくても理解はする、許容できる地域になっていけば生き辛さが減っていくのかなと思います。

 

イキイキと自分らしく生きるために、メンタルケアはあなたにとって身近なものなはずです。ちょっとココロが風邪を引いたかな?いやココロの骨折かも?と思ったら、ぜひお気軽にご相談くださいね。

人口10万人あたりの自殺者数が、県や国の平均よりも高い高山市。

決して他人事ではなく、現代社会で生きている以上、誰もがココロを病んでしまう可能性があります。

安心して本音や事情を話せる場がある。知っていることで、救われる命がある。

自分自身も、自分の大切な人も、みんながイキイキと幸せに生きられる地域を目指して、今日も銅島さんは飛騨の「閉塞感」や「生き辛さ」に寄り添い続けます。

連絡先

銅島裕子(どうじまゆうこ)
https://www.facebook.com/yuko.dohjima

メールアドレス:yuko0114@msn.com

医療法人天照会 「ひだ高山整形外科」 公式サイト
http://www.hidatakayama-seikei.com/

 

この記事を書いた人

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丸山純平

丸山純平(まるやま じゅんぺい)
高山市出身。株式会社ゴーアヘッドワークス 企画/ライター
ヒダストのほぼ全ての記事を書いています。
最近は飛騨ジモト大学の事務局も担当。
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