「ママになったらHida mommy」を目指して、未熟な私の挑戦 ー 周真希子 ( Hida mommy 代表)

 

Hida mommy代表として、飛騨のママの情報サイト「Hida mommy」を運営する周真希子(しゅうまきこ)さん。しかしその半生は、数々の挫折と遠回りの日々でした。

愛媛から移住して奮闘する、周さんの「飛騨のママへの想い」をどうぞご覧ください。

牧場育ちの自由な気質

愛媛県西予市宇和町で生まれました、3人兄妹の末っ子です。両親が酪農経営をしているため、牧場で育ちました。田舎どころか、車で10分下るとようやく民家が見えるくらいの山奥です(笑)。

 

大自然の中で自由に遊んだり、一人で空想を広げる時間が好きでした。縛られたくない性格なのか、あんまり学校は好きじゃなかったな。目立ちたがり屋の元気な女の子で、中学校ではテニス部に入りました。だけどやっぱり楽しかった記憶はありません。

そんな斜に構えていた私でしたが、高校ではかけがえのない二人の友人に出会いました。後々、自身で人生を切り開いていった友人を近くで見ていたからこそ、私も自身の変化や挑戦を肯定できたのかもしれません。

 

当時は、将来やりたいことが思いつかなかったんですよね。親に相談したら「松山大学は就職率が良いし、いろんな人に出会えるから大学へ進学した方が良い」と言われて、推薦入試で松山大学経済学部に合格しました。

 

高校卒業まで時間ができたから、いろいろと読書していたんです。そんな折、父親から「これおもしろいけん」と勧められた本が『ユダヤ人大富豪の教え / 本田健』でした。ある大学生がユダヤ人のお宅でホームステイする中での学びが記された本なのですが、この一冊が衝撃的で、人生って自由に生きていいんだ!と思えたんです。

 

今までは決められたカリキュラム、枠組みの中で生きてきました。私は部活や勉強に没頭しているわけでもなかったから、人生はこんな感じで過ぎていくのか・・と、どこか諦めていたんです。だけど人生って、自分次第でいくらでも変えられる。それは大きな気づきでしたね。数年後に父親に薦めてくれた感謝を伝えたら、本人は全く覚えていませんでしたが(笑)。私の人生のバイブルです。

ボロボロ新入社員から専門学校へ入学

それまでは読書が好きではなかった私が、図書館でアルバイトするほど、読書へと傾倒していきました。大学生活で学んだことはたくさんあるけれども、要所要所で出会ってきた人や本に、私は救われてきましたね。

 

経営やビジネスに興味が湧いたので、直接的に携われる職種を探していたら「コンサルタント」という仕事があることを知りました。コンサル系の会社を中心に就活して、その名の通り「株式会社ビジネスコンサルタント」に就職します。私は東京の新宿営業所に配属が決まり、上京したい気持ちもあったので、それも叶いました。

 

だけど憧れの社会人生活はボロボロでした。仕事は営業担当だったので、毎日ひたすら新規の営業でテレアポです。ですが、怖くて電話を一件も掛けられない日もありました・・。

同期や先輩はすごく素敵な方ばかりで、配属されたチームにも恵まれたんです。上司も頭から怒るのではなく、失敗を一回一回丁寧に振り返ってくださる方々でした。しかし全然仕事ができないまま・・自分の心の弱さに負けてしまって、諸々事情もあって2年ほどで退社してしまいます。

 

実家に戻って「これからどうしよう?」と落ち込んでいた時に、親から「国家資格を取ってみないか?」と勧められたんです。実家から40分くらいのところに看護学校がありまして、受験したらまさかの合格をいただき、24歳で宇和島看護専門学校に入学しました。3年間の看護学生生活が始まったんです。

看護学校での学びと祖父の看病

私は決められた枠にハマることが苦手なので、楽しい思い出ってあんまりないです。看護学校は厳しい課題も多いから、なんとなく入ってしまうとキツイ世界。5人に1人は卒業までに辞めてしまいます。ほぼ周りは高校卒業したばかりの18歳たちの中で、私よりも年上な友人4人に巡り会えたことが一番の救いでした

 

石田彩松村玲奈橋本めぐみ松本光。今でもずっと連絡を取り続けている、かけがえのない親友たちです。この4人に出会わなければ私は確実に辞めていましたね・・(笑)。みんな私の5歳上くらいで人生経験が豊富。いろんな相談に乗ってくれて、なにより私にも対等に接してくれたのが嬉しかったです。

 

 

看護学校2年生の冬に、近くに住んでいた母方の祖父が身体に異変を感じて、精密検査をしたら末期の肝臓ガンだと判明しました。抗ガン剤の治療もしんどい中、祖父の意志を尊重して在宅での看取りとなります。看護実習の真っ最中でしたが、祖父の家に泊まって看病しました。学んだ知識を活かして、祖父の病状を少しでも和らげることができたのがよかったですね。

 

 

両親は今でも牧場を経営しています。生き物相手の仕事だから、365日家を空けることができません。私は両親に代わって牧場の仕事で祖父の葬式に出られなかったから、最後に関わることができてよかったです。同時に働くって本当に大変で責任あることなんだと痛感しました。

 

また看護師として患者さんのQoL(生活の質)を上げるのはもちろんですが、じゃあそのご家族はどうだろうか。どういう気持ちで看病に来ていらっしゃるのだろうか。祖父の看病を通して自身が当事者になったからこそ、見えてきた視点でした。

 

卒業後に看護師として働きましたが、患者と看護師という関係性だけではなく、一人の人間として尊重し合うことを意識していましたね。寝たきりで言葉を発せられない方でも、意識はあるから本質は変わりません。看護師だからといって20代の私が「〇〇さん大丈夫ー?」みたいな砕けた口調は、敬意がないかなと思うのです。私はなるべく丁寧な言葉遣いを心がけていました。

高山で感じた孤独から「Hida mommy」が生まれる。

地元が高山の主人との結婚を機に、仕事を辞めて移住を決意しました。高山に来た当初は、主人が経営する接骨院やエステの、スタッフのみなさんとの繋がりに助けられていました。

 

 

だけど出産して子育てをし始めた時に、すごく孤独を感じたんです。「子育てについて、誰に相談したらよいんだろう?」何が分からないのかも分からない状況でした。

 

そんなある時、出会ったママ友からいろんなイベントを教えてもらい、世界が大きく広がりました。外から高山へ来た人や初めての育児をする人たちは、同様にすごく困っているだろうな。ならば自分から発信してみようと思い、約1年前にLINE@を用いてイベント情報の発信を小さく始めました。

 

自分が集めたイベント情報を、主催者に問い合わせて確認し、丁寧に情報配信していました。そこまで多くは配信できなかったけれど、活動を始めたらいろんな方がどんどん人や情報を繋いでくれたのです。無料で情報配信する代わりに、LINE@の宣伝をお願いしていたら、あっという間に登録者が300人を超えました

もっといろんな情報を発信したい。そんな思いから2018年5月にホームページを制作して、飛騨のママの情報サイト「Hida mommy」がスタートします。

 

 

副代表の中野雅子さんとは、二人の子どもが同じ年子で月齢も近かったことから児童館で声をかけて、一緒にやりましょうと巻き込みました。今は産休に入られたので、どこかでまた接点をもらえたら嬉しいな。Hida mommyの初期を支えていただいた、ありがたい存在です。

 

「ママになったらHida mommy」を目指して

飛騨のママたちの日常の中に、Hida mommyが自然に入り込んでいるのが理想です。ごはんを作るときにレシピサイトを見るように、ちょっと時間が空いたときや困ったときにHida mommyを覗くような。「ママになったらHida mommy」が合言葉になると最高ですね。

 

今後、力を入れていきたいのは「サービス情報」です。例えば、お出かけしたときに「この辺りに遊べる公園はないかな?」とか「車椅子も入れるトイレはないかな?」と、近隣の多目的トイレや公園情報を調べられたら便利ですよね。

飛騨地域の多目的トイレを調査された「高山病弱児を守る会 あかりんぐ」の勝田なお子さんとコラボして、Hida mommyのエリアマップを現在鋭意制作しております。WEB上で随時更新できるのが、紙媒体にはできない強みです。

トイレや公園を調べたその時に、Hidamommyの会員企業さんのお店情報やクーポンをゲットすることで、飛騨の産業の底上げにも貢献できたらいいなと考えています。

 

10月にはママと子どもが楽しめるイベントをコンセプトに「mamameparty」を飛騨市で開催しました。「助産院なお」の長田直子さんや、「NPO法人飛騨高山わらべうたの会」の岩塚久案子さんと共同開催で、当日は約6000人のお客様にご来場いただきました。

 

 

すごく良い経験になったし、Hida mommyを多くの方に知っていただけたことは嬉しかったです。だけど運営面は長田さんや岩塚さん、副代表の中野さんにおんぶに抱っこで、自分自身はやりきれませんでした。悔しい気持ちもありますが、経験を糧によりクオリティの高いものを今後は提供していきたいと思います。

 

 

近い将来、Hida mommyを法人化する予定です。現在、一緒に歩んでくれるパートナーを募集しています。またコラムを執筆してくださるライターの方も随時募集中です。いろんな方に関わっていただいて、みんなでHida mommyを創り上げていきたい。Hida mommyから、飛騨地域で楽しく子育てができるイメージを抱いてもらえたら嬉しいです。

きっかけを創り続けるために、未熟な私だけど挑戦したい

飛騨で一番好きな場所は、高山市立図書館前のカフェ「WA・SA・BI」さんです。ここが初めてママ友とお茶した場所で、高山でもこんなに素敵なカフェで、美味しいチーズケーキが食べられるんだと感動しました。

 

私には主人もいて、子どももいる。そんな家族と過ごせる時間だけでも幸せです。加えて自分のやりたいことにも挑戦させてもらえて、こんなに幸せでいいのかなとありがたい気持ちでいっぱい。私は冒険したいタイプだから、主人が帰れる居場所を守ってくれている。いっぱい喧嘩もしますが、この人で良かったなと毎回思います。挫けそうになったら相談できる、友人たちにも恵まれていることもありがたいです。

 

とはいえ私自身は本当に未熟で、先日もHida mommyの運営方針について会員の方にとても怒られました・・。

また以前、「ママが楽しくなればいいな!」を言い過ぎちゃって、あるママ友から「全員が全員、楽しくはないよ。辛い人もいるんだよ」と言われて、喧嘩しちゃったことがあったのです。そんなつもりではなかったけれど、そう聞こえちゃったのかな・・。ずっと心に残っています。

そうやって気持ちだけが空回りしちゃったり、上手くコミュニケーションが取れなかったり、これからどうしよう・・と思う日も少なくありません。

 

だけど、飛騨で頑張るママのために、より過ごしやすいツールを提供していきたい。当時の私は、そのツールがどこにあるのかすら知らなかったから、きっかけや選択肢は創り続けたいです。そのきっかけを掴むかどうかは、その人自身。

 

あの日、飛騨で孤独を感じて途方にくれた私みたいなママが、一人でも笑顔になれたら。飛騨での子育てに希望を持てたら。その想いだけは変わりません。未熟な私の挑戦は、まさにこれからです。

 

飛騨の地で今まさに、挑戦の真っ只中にいる周さん。
泥臭くもがきながら、飛騨のママへの想いを形にしていきます。

「Hida mommy」が飛騨のママたちの希望となる日を目指して、周さんの奮闘の日々はこれからです。

連絡先

周真希子(しゅうまきこ)
https://www.facebook.com/makiko.uehara.73

Hidamommy 公式サイト
https://hidamommy.com/

 

この記事を書いた人

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丸山純平

丸山純平(まるやま じゅんぺい)
高山市出身。株式会社ゴーアヘッドワークス 企画/ライター
ヒダストのほぼ全ての記事を書いています。
最近は飛騨ジモト大学の事務局も担当。
一緒に飛騨を盛り上げたい方募集中!好きな食べ物はチーズケーキ。