フリーランス(個人事業主)のWEBコンサルタントとして、飛騨地方を中心に活動する 淺井葉月さん。
16歳で一人暮らしを始め、20歳で娘を出産。その後はシングルマザーとして生計を立てるなど、怒涛の半生を送られてきました。
そんな淺井さんの信条は、「物事は何でも良い側面がある」「良い行いは良い結果を生む」と考え、ポジティブであること。
読んだら心が軽やかになる、淺井さんのストーリーをご覧ください。
劣等感しかない子ども時代。20歳で母に、22歳でシングルマザーになる
高山市で生まれました。小学生の時に両親が離婚し、母子家庭で育っています。
子どもの頃から集団生活になじめず「なぜ学校に行くの?」と疑問を持ち、学校を楽しいと思えませんでした。授業も苦痛で、1時間近くもつまらない話を聞く意味がわからない。でも勉強はできず成績は最悪。
中学生になると周囲は部活をしていましたが、私はやりたい部活がないという理由で自主的に帰宅部。授業をサボることも多く、先生には見放され、友人もほとんどいない…..「みんなが当たり前にしていることができない。私は”普通”になれない落ちこぼれの劣等生だ」そう思っていました。
そんな私に唯一「できたこと」が読書です。漫画や雑誌も読みましたが、夢中になったのは明治から昭和にかけて文豪と言われる人たちが書いた小説、いわゆる純文学と言われるジャンル。授業中もひたすら文庫本を読んでは「人はなぜ生きるのだろう」と考えたり、小説から伝わる日本古来の生活や所作、そして日本語の美しさにうっとりしていたので、周囲から浮いていたと思います。
そんな子どもでしたので大人から理解されづらく、特に世間体を気にする昔気質の祖母との折り合いが良くありませんでした。そのため、知人の紹介により関西の高校に進学、16歳で一人暮らしを始めます。しかし高校生活も全く楽しめず、学校には行かずアルバイトばかり。友達もおらず、体育祭や文化祭、修学旅行、卒業式にも出ていません。未だに青春コンプレックスです(笑)。ただ、本は毎日読んでいました。
将来の仕事を考えた時、「本や文章に関わることしか続かないだろう」と思いましたが、作家になる才能はありません。でも雑誌の編集やちょっとしたライティング(筆記)ならできるかもしれないと思い、東京にあるライターの専門学校に通いました。しかしそこで学生結婚、20歳の時に娘を出産します。
娘は可愛くて可愛くて…..!!人生最大の喜びと感謝です。こんなに愛する存在がいるなんてと、感動する毎日でした。娘のおかげで「母」という役目をもらい、生きてこられたと感じています。
しかしその後、22歳で離婚しシングルマザーとなった私は、祖父母に心配をかけたくないと思い、高山には帰らず2歳の娘と東京で2人暮らしを始めました。
マイノリティだからこそ、経験を強みに変えられる
離婚後に仕事を探していた時、たまたまテレビで観たのがホリエモンこと堀江貴文氏が社長のIT企業「ライブドア」でした。自由で遊び心のある最先端企業という印象を持ち「私のような異端者でも雇ってもらえるかも!」と思い連絡、採用されました。ポータルサイトの企画や運営という業務から、私のライター・WEBプロデューサーとしてのキャリアが始まります。
とは言え、ベンチャー企業だけあって仕事はハード、保育園のお迎えも毎日ギリギリ。職場は六本木ヒルズで一見きらびやかですが、同世代で子どもを育てている人も相談できる人もいない。キラキラとは真逆の生活で、不安も大きかったです。
そんな折、保育園のママ友達が「一緒に働かない?」と言ってくれて、「株式会社ゼネラルパートナーズ」に転職します。
ゼネラルパートナーズは「社会問題を解決する」「誰もが自分らしくワクワクする人生を」というビジョンを掲げている企業。障がい者雇用の促進など、誰もが自分らしく生きる社会を実現する事業をしています。ポジティブな社員が多く、私の「みんなと同じことができない」という劣等感を「面白くて素敵な個性だね、すごいね」と捉え、認めてくれました。
私の仕事のひとつは、日本を代表する大企業の人事や経営層の方にインタビューをすることでした。社会全体を見て経営を考えている方のお話を聞くほど、”これからは集団に馴染む存在ではなく、個々に能力を発揮するマイノリティ(少数派)が求められる時代”と確信します。そして「学校に通えず、今はシングルマザーの私もマイノリティ。でも、私だからこそできる何かがあるはず」と考え始めました。そこから仕事がどんどん面白くなり、良い評価をいただくことも増えましたね。
この頃も相変わらず色々な不安がありましたが、「娘と今を楽しもう!」「娘に笑ってほしかったらまずは私が笑顔に!」という気持ちが強く、娘としょっちゅう出かけたり旅行をしたり、オリジナルのイベントや遊びを作っては楽しんでいました。また、ママ友達をはじめ周囲の方にも助けられ、ありがたい毎日でした。今も娘との絆は強く仲が良いですが、東京での女二人暮らしをたくましくユニークに生き抜いたからだと思います。
「心地良く楽しい働き方」を目指しフリーランスを選択
娘の小学校入学を機に地元の高山に帰ってきてからは、WEB制作会社や医療機関での広報業務を経て、フリーランス(個人事業主)として独立します。独立した理由はいくつかありますが、一番はもっと自由に働き、できることに集中したかったからです。
組織で働くと、守られている反面、無意味と感じる規則も受け入れなければならなかったり、向いていないことでも指示があれば対応しなければなりません。でも得意なことを仕事にするほうが効率が良いし、誰もが笑顔で働ける世界になるはずです。そこでまずは自分からと思い、物事をより良くしようとする価値観と文章やWEBの知識を掛け合わせて、仕事にしました。
現在は企業やNPO団体と契約し、WEBを活用した広報、文章や求人の書き方講師、採用活動のコンサルタントをしています。簡単に言えば、「伝える」そして「現状を改善する」仕事ですね。大事なのは「伝わりやすさを考え抜くこと」です。ターゲットによって、効果的な文体や広報ツールは異なります。伝える方法を熟考し、ご依頼主の気持ちを代弁するときは翻訳者のような感覚があります。
今は働く時間を曜日や時刻で区切っていません。寝る時間も起きる時間も休む日も、着る服も髪型も自由。このライフスタイルも、独立の目的でした。仕事場は自宅やカフェです。自由に働き、お金をいただける……本当にありがたいです。
良い仕事のために、自分を信じて他者と調和する。そして自分は幸運であると認める
仕事をくださる方の期待に応え、きちんとお返しするためには、仕事の能力や感性はもちろん、「一緒に仕事をしたい人であること」も大事だと思います。
そのためにも、簡単に言うと「いい人」でいたいです。八方美人という意味ではなく、自分を持ち、強さがありながらも意地悪・批判的・ネガティブではなく、優しさとユーモアのある人というイメージです。それと、運気が高く幸運であることも大事です。
運気を高めるには、人や動物に優しくするとか、自然にたくさん触れるとか、誠実に生きるとか、困っていそうな人に自分から声をかけるとか、サービス精神……こうして口に出すと陳腐ですが(笑)。まとめると、「人生の不思議を面白がる感性と感謝」でしょうか。世界には70億人以上の人間が住んでいて、何億年も時代が続いてきたのに、なぜか今この時代に、自分として生まれた。この縁と不思議さを幸運と思えたらいいですよね。
ただ、自分の感覚を信じ過ぎて、独りよがりになってしまっては本末転倒。お仕事をいただけるのは本当にありがたいので、そのご縁を嬉しく感じながら、結果を残すにはどんな自分でいたらいいのかを考えています。
少しだけ先の時代を生きるから、強くなれる
今後は、生き辛いと感じる方に「大丈夫だよ」と言える人になりたいです。一見幸せそうでも辛さを抱えている方、「あたりまえ」ができずに悩む方、地域や体質、親などどうにもならないことに振り回される方、シングルマザー、ひとり親家庭の子ども、恋愛、結婚、離婚、再婚で悩む方、仕事環境が苦しい方、学校嫌いや不登校……そんな方に「わかるよ、私もそうだったよ。でも大丈夫」と伝えたいです。私の働き方についても「こんな方法があるんだな」と思っていただけたら嬉しいです。
今、私は90歳代の祖父の自宅での介護を手伝っていて、大変なこともあります。でもこの経験も誰かに「わかるよ、大丈夫だよ」と伝えるための糧になると思っています。また、今の働き方だからこそ介護のサポートができています。そう思うと、これから日本人の多くが抱えるであろう仕事と介護の共存について、「仕事を続けながらプロと協力し、家で介護するライフスタイル」を実験しているとも感じます。これはきっと、育児にも置き換えられますよね。
このように、なぜか私は一人暮らしも結婚も出産も離婚も、そして介護も独立も、多くの人より少し早く経験しています。だけどその分学びが多く、後から来る同世代にアドバイスや応援ができます。
不思議と時代を先読みする人生ですが、運を鍛えると勘も育ち、いつも最善の選択ができている気がします。何事も冷静に捉え、ポジティブに変換してハッピーになる方法も鍛錬の末に習得したので(笑)、さまざまな境遇の方と共有できたらいいですね。
負の連鎖を断ち切るためにしたこと
私は母子家庭で育ちましたが、自身も娘を産んで離婚したため、22歳の時から「負の連鎖を断ち切る」ことを強く意識していました。離婚が負であるという意味ではありません。ただ、「女性が弱者にならざるを得ない環境」を断ち切り、ワクワクする暮らしを営み、その姿を娘に見せたいと思っていました。そのためには仕事とお金がとても大切です。
環境や人生の愚痴を言うのではなく、心から「しあわせ!!」と思える自分になりたい、楽しく仕事をして金銭的にも豊かになりたい、そんな環境で娘を育てたい……そのために、自問自答を繰り返しました。そして得たのが、「自分と人をゆるす、過去をゆるす」という感覚です。
自分も人も、許して認めて手放すと環境はどんどん良くなります。過去は変わらないと言う人が多いですが、私は「過去は未来に向かって開かれており、柔軟に変わるもの」「今が変わると過去が変わり、自分が解き放たれ、未来が変わる」と思っています。
実際に私もズタボロな人生でしたが、数年で理想のライフスタイルが叶い、素敵なパートナーにも巡り会えました。大人になってからは友達も増え、老若男女問わず愉快で賢い素敵な仲間に恵まれています。
今は娘やパートナー、家族や友人と食事をしたり、旅行するのが楽しいです。平日に思い立って海外に行けるのは、フリーランスの良さ!とても充実して幸せなので、中高生の頃の自分に教えてあげたいくらいです。しかも、娘が20歳になったら私はまだ40歳。何でもできます!海外移住や留学もしたいし、旅をしながら生きるのもいいですね。
人生のピークは後の方に来ると良いと考えているので、これからもまだまだ遊んで経験して、もっと豊かで楽しく美しい人生になると決めています。それが良い仕事や誰かの喜びにも繋がると思います。そんな姿を娘にも見せて、娘にはさらに良い人生を歩んで欲しいです。
こんな私の人生や感性は、一部の方から「普通じゃない」「変わっている」と言われます。でも、そもそも世の中に「普通」なんて存在しません。変わり者だからこそ今の仕事や働き方ができているとも思えます。
どんな人にも共通しているのは、生まれて、自分自身を生きて、いずれは死ぬということ。今生きている人たちは、100年後は大体死んでいます。自分の前にも後にもたくさんの人がいます。宇宙は広いし、今は一瞬。大きな流れで見たら、良いも悪いもありません。だったら、人も自分もゆるして、ありがたさを感じ幸せな日々を過ごせたら良いですよね。
きっと、なんとでもなるさ~~♪
軽やかにゆるやかに、本質を見つめながら日々を営む淺井さん。
「時代のちょこっと先を生きる」そんな淺井さんが次に出会うのはどんな世界なのでしょうか。
なんにせよ少し肩の力を抜いて、自然の流れに身を任せて。この時代に生まれた私たちなのですから、長くも短い人生を共に生きていきましょう。
そんな温かくも柔らかいメッセージに包まれた取材となりました。
連絡先
淺井葉月 (あさいはづき)
メール:h88.yes@gmail.com
https://www.facebook.com/hazuki.asai