ゴキゲンに楽しく、人を笑顔にさせる デザインをー 蒲優祐 (株式会社ゴーアヘッドワークス代表取締役)

 

高山の数少ないデザイン事務所、「株式会社ゴーアヘッドワークス」を率いる、蒲優祐(かばゆうすけ)さん。

多忙な経営者でありながらバリバリのデザイナーとしても活動する、蒲さんの人生のキーワードは「ゴキゲン」?その原点は「路上」??

蒲さんのロックンロールに突き進む生き様を、ぜひともご覧ください!

志した職は、イラストレーター。

高山市松本町で生まれました。物心ついた頃から、人をワクワク楽しくさせることが好きで、幼稚園の時の夢は「おもちゃ屋さん」でしたね。小学校の通知表には毎回「落ち着きがない」と書かれていたくらい活発で、高山中を自転車で走り回って自然の中で遊んでいました。

 

両親が共働きだったこともあり、大のおばあちゃん子でしたね。「床屋になれ。はさみ一本があれば、どこに行っても仕事ができて現金を稼げる。」と言われて育ったんです。手に職をつけるという意識はおばあちゃんの教えが大きいですね。その頃から教科書やノートに落書きをしたり絵を描くのも好きで、物作りにも没頭していました。

 

中学ではバレーボールに熱中し、部活のキャプテンを務めていました。勉強ができるんじゃなくて、物事がちゃんと見える賢い人になろうと考えて、高山工業高校の機械科に進学しました。機械科でしたが、授業では製図が得意でしたね。高校生になって初めて「イラストレーター」という仕事があることを知ったんです。高校3年生の時、デザインの専門学校のオープンキャンパスで、名古屋に初めて行ったのですが、地下鉄で切符の買い方すら覚束ない僕の横を、名古屋の小学生がスイスイ電車に乗って通学していったあの時の衝撃は忘れられないですね。高山にはないものを求めて、都会への憧れを募らせました。

 

高校を卒業する前に、将来をどうするか真剣に考えたんです。その頃年上の方とお付き合いしていたので、そのまま地元で就職して結婚するのもありだなと悩んでいました。そこで親戚のおじさんやバイト先のおばさんなど、自分の周りの大人に今に至るまでの人生の経緯を聞いて回ったんです。

 

そこで気づいたことは、なんとなく就職して結婚して、40歳くらいでやりたいことが見つかっても挑戦するのは難しいこと。「こんなはずじゃなかった」と言い訳してタメ息つく大人にはなりたくなくて、たった一度の人生、絵を描く道に進んでみようと思ったんです。イラストレーターを目指して、名古屋デザイナー学院のイラストレーションコースに進学しました。

 

原点は、名古屋のストリート。

憧れの名古屋で一人暮らしを始めて、地図を買ってバイクで走り回ったり、地下鉄の一日乗車券で名古屋中を探検したり、夜の街、ライブハウス、クラブ、行けるところにはどんどん行ってたくさんの経験を積みました。

 

そうして2年間、楽しく専門学校に通い学んだのですが、卒業制作で苦戦したんです。担当の先生から「このまま卒業させてもお前のためにならない」と言われ、グラフィックデザインを中心に再度勉強する為にもう一年、聴講生として残してもらいました。

 

日中は学校に通いながら、夜はサンシャイン栄の裏にある立体駐車場でバイトしてました。夜のお店のママさんがお客さんを連れて笑顔で出勤してきて、でも深夜の帰り際には「今日のお客さん、めんどくさかったね」って本音が漏れる瞬間があるんです。そうした夜の汚い大人を毎晩垣間見て、都会はしんどくて面白くないなあと心底感じました。いずれは地元の高山で独立したいと思ったきっかけの一つです。

 

そんなある日、バイトの給料日まで2週間を残して手元に5000円しかない!というピンチがありまして、追い込まれた末に全額かけて、自分の絵をポストカードにしたんです。名古屋駅のナナちゃん人形の下にコタツ布団を広げて、路上で絵を売り始めました。そうしたら一日で8000円くらい売り上げたんですね。それから定期的に時間があるときは路上に出ました。

 

まだ路上規制が緩かった当時、同じような路上アーティストはたくさんいました。いかにどう目立つかが大事なんです。当時の僕は、ビリビリの汚れたGパンに革ジャンを着込んで、耳にはピアス、モヒカンに黒いサングラス。乗っていた厳ついバイクをナナちゃん人形の下まで引いていく、そうしたら変わった人たちが集まって来るんですよ。

そうして路上で知り合った方からライブペイントをお願いされたり、イベントのフライヤーを作ったり、CDジャケットをデザインしたり・・僕の原点は路上です。

 

 

無事に専門学校を卒業しデザイン事務所に就職してからも、時間があれば路上で絵を売ることを趣味にしていました。そうした生活を1年少し続けた頃、22歳のときにご縁をいただいて、新しく立ち上がったデザイン事務所に雇われの代表として迎えられました。

 

泥臭く営業しながら仕事して、会社の運営・管理、スタッフ育成を経験しました。借り入れ以外は全部やらせてもらいましたね。5年くらいそこで働いた後、名古屋で事務所を借りて個人事業主として「ゴーアヘッドワークスの屋号で独立しました。

「人の人生を背負え。」 ストレートな言葉がきっかけ。

最初に就職した会社の社長と毎年一月に、高知県まで坂本龍馬に会いに行く恒例行事がありまして、退職してからも毎年参加していたんです。おかげさまで独立してからは、忙しい日々を過ごしていることを道中話したら、「会社にしろ。人の人生を背負え。」とその社長に言われました。

 

その言葉が衝撃でしたね。電撃が走ったんです。その場で法人化することを約束し、2012年8月「株式会社ゴーアヘッドワークス」となりました。転職先を探していた竹本純くんと出会いまして、二人でスタートしたのがもう6年前になるんですね。

 

 

会社にしてからは正直めんどくさいことばかりですよ。今まで一人で仕事をしてきたから、自分でやった方が早いし、法人化した年はマイナスからのスタートでした。でも二人で頑張って、次の年には売り上げが倍以上になった!社員旅行に行って、初のボーナスも出せました。

 

数年経ち、二人で仕事がパンパンになってきたから次は女性の感性を取り入れたいと思い、ちょうど清水真規子さんと出会って週二日のバイトから始めてもらいました。そろそろ正社員で雇おうかなという頃、世界似顔絵大会3位の実力を持つ大村順さんと飲んでいたら「一緒にやりたいです!」と直談判されまして、新生ゴーアヘッドワークスの誕生です。

 

 

そうしていろんな偶然や出会いが重なり、スタッフ4人で頑張ってきて丸一年。独立した頃は、ずっと一人でやっていくつもりだったんです。「俺のデザイン」でこれまで生きてきて、常に主役は自分。正直言えばスタッフのことを、自分の仕事のお手伝いさんだと捉えていた時期もありました。でもそれじゃ人の人生を背負っていないですよね。みんなが伸び伸びと自分を発揮できる会社にしよう。そう思い始めたら、スタッフが成長していくのを見るのが面白くなってきたんです。

この4月には新たにバイトが二人入りました。スタッフが増えて成長していくと、自分のできないこともできる。今は一人じゃ辿り着けなかった景色を見ています

人に伝える奥深さを学ぶ「落語」

趣味は落語です。他にもスノボとかサーフィンとかいろいろやっています。でも人生を通してやってみたいと思ったのは落語なんです。

きっかけはたまたま月亭邦正さんとお会いして、似顔絵をプレゼントさせてもらったことです。『僕が落語家になった理由』という月亭さんの本が面白くて、「笑われるんじゃなくて笑わしたい。」「たった一人で、自分の声と身振り手振りだけを使い人を喜ばせるのが落語。」そこに惹かれて落語家に転向されたそうです。僕もすごく腑に落ちて、仕事で全国を飛び回ってますが、移動の間は落語を聴くようになったんです。

 

ある時、三重県の社長さんに「蒲くん落語やってみる?」と誘われて、さすがに自分で落語を披露するのは・・と思い「(参加は)考えます。」と答えました。そうしたら向こうは「何の演目をやるか」を考えると思ったみたいで、「この日程でチラシ上がってきたんだけど、写真もらえる?」って連絡がきまして、これは断れないですよね!(笑)

 

一回限りの経験だー!と思って勢いでやってみたら、これが快感でした。どういう言葉を選ぶのか、間の取り方や、表情、抑揚、声の大きさ。人に伝える奥深さを学ぶことは仕事にも直結するし、何より人生の深みが出ます。今まで5回ぐらい講演させてもらいました。そろそろ誰かに師事して教えてもらおうと思っているくらいです。

 

「何かあったらここにおいで。僕らがいるから。」

都会のコンクリートの上で遊ぶ子どもや、地下鉄で毎日学校に通う子どもをみて、自分の子どもは高山の自然の中で育てたいと強く思いました。「愛の鐘が鳴ったら帰ってこい。」って言いたい。都会にはいつでも遊びに行けるから、住むなら高山でしょ。

 

高山に戻って来たいけど知り合いがいない・・となると頼れるのは同級生しかいないですよね。駿河屋魚一の社長が同級生の溝際清太郎くんで、そのご縁から高山での最初の仕事は駿河屋エブリ」のロゴ制作でした。

 

飛騨高山のご当地キャラ「お猿のくぅ」のプロデュースにも関わらせていただきました。企画を練ってグッズを作り、全国のゆるキャライベントにハイエースで回って、飛騨高山のPRをどんどんおこなう。

 

 

そうしたきっかけが地元でのご縁を生み、少しずつ少しずつ繋がりから仕事をいただけるようになり、ついに今年の1月には高山市本町一丁目に高山事務所を構えることができました。

 

デザインができる人を高山からもどんどん増やしたいですね。いつかは全体で150人くらいの会社にして、飲食店もやってみたいし保育園も作りたい。デザインだけじゃなくて地域おこしもできたらいいな。

 

高山の外に出て勉強して吸収したことを、帰って来てから還元できる場所を僕らが作ってあげれば、きっと持続可能な高山になっていく。「何かあったらここにおいで。僕らがいるから。」って言いたいんです。田舎でも、良い意味で変わった大人たちがいる。こんなにたくさんの仕事や生き方がある。東京や世界と仕事ができる。そんなことを伝えてあげたいです。

デザインとはコミュニケーション。

「デザインとはなにか?」よく聞かれるのですが、僕は「コミュニケーション」だと考えてます。

イラストは見た瞬間に、一秒で気持ちを伝えられます。お客さんの想いや願いを一秒で見える形にして、それをさらにカッコ良くインパクトを持たせて一枚に収める。それがうちの圧倒的デザイン力です。誰かの伝えたい!って気持ちを表現して形にする媒介なんですよね。

ゴーアヘッドワークスの理念は「ゴキゲンに楽しく、人を笑顔にするデザイン提供」です。自主的に、誰かのために思いやりを持って、何かを起こすこと。そうして自分も人もワクワクすること。そんな「ゴキゲン」であることを重要視しています。

 

 

まずは僕らがいかに日々をゴキゲンに過ごしながら、人を楽しませることができるのかどうか。心に余裕がないとお客様の気持ちは汲み取れないですよね。ゴキゲンであることが良質なコミュニケーションを生み、クオリティ高いデザインに繋がります。

 

あとはやっぱり後世に残るデザインを創っていきたいです。消費される前提の仕事はピンとこないし、10年・20年・100年後でも「あれを作ったのは僕だよ!」と言えたら嬉しいですよね。経営者としても頑張りながら、生涯一人のデザイナーとして自分の作品も残し続けたいです。

 

僕の考え方やビジョンをまずは社員に伝えながら、徐々に広げながら、世の中がゴキゲンになっていく。100年後の子どもたちがゴキゲンに過ごせる高山にしていきたいですね。

 

 

笑顔でゴキゲンに、掲げたビジョンへ突き進み続ける蒲さん。

社員の想いや地域の未来を背負う真剣な姿勢と、いつだってワクワクを忘れない少年のような在り方。

そのギャップから溢れる人間味圧倒的なデザイン力が、今日も少しずつ世界をゴキゲンに変えていきます。

連絡先

蒲優祐(かばゆうすけ)

Facebook:https://www.facebook.com/yuusuke.kaba

 

株式会社ゴーアヘッドワークス

ホームページ:https://www.goaheadworks.com/

 

<高山ワークス>

住所:岐阜県高山市本町1-38

TEL 0577-36-1001 / FAX 0577-57-5445

10時~19時 (定休日:毎週日曜/第2・第4土曜/祝日)

この記事を書いた人

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丸山純平

丸山純平(まるやま じゅんぺい)
高山市出身。株式会社ゴーアヘッドワークス 企画/ライター
ヒダストのほぼ全ての記事を書いています。
最近は飛騨ジモト大学の事務局も担当。
一緒に飛騨を盛り上げたい方募集中!好きな食べ物はチーズケーキ。