下呂は「ホスピタリティ」の街。「下呂に住む意味」が「カッコいい仕事」を生む ー 青木一英 ( 下呂市役所 企画課 )

下呂に留まらず飛騨地方の観光資源を知り尽くした、下呂市役所企画課で働く青木一英(あおきかずひで)さん。

公務員の立場でありながら、高校生の地域活性化団体「馬瀬ガール」のサポートを始め、数多くのまちづくりの場に携わり続けます。

そんな青木さんの原点とは?下呂の街にどんな未来を見据えているのでしょうか?

下呂温泉よりも熱い!飛騨を代表する、アクティブ公務員のストーリーをご覧ください。

「学校で負けて悔しい」応えてくれた大人たちが下呂にはいた

下呂市萩原町で生まれました。小さい頃から自然の中で遊んでいたのですが、小学4年生くらいの時に「御嶽山」の噴火があり「なんで噴火するんだろう?」と疑問を抱いたのです。

登山の解禁がされてから、父親が御嶽山に連れて行ってくれまして、そこで見た御来光の日の出とか、雷鳥や高山植物の美しさが子ども心に強烈な体験でした。その時の将来の夢は「自然保護官」でしたね。

益田高校(現在の益田清風高校)の普通科に進学したのですが、人生の転機は高校1年生の夏休みから始まります。すでに部活を辞めてヒマを持て余していた僕に、「文化祭で面白いことをやろう」と当時の担任が誘ってくれまして、宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』のスライド劇を企画しました。

夏休みをかけて準備した甲斐もあり、すごく出来が良かったのです。しかし当時は、日本一を誇る経理科が幅を利かせた時代。充実感に浸り切っているところに「3年生の経理科が最優秀で、僕たち1年C組は優秀賞だった」との一報が入ります。

「出来レースや!」と文化祭実行委員会に抗議文を出すほど紛糾しましたが、結果はひっくり返りません。

どうしても納得がいかない。ジュニアリーダーをやっていた関係で、中学生の時から出入りしていた教育委員会に出向いて「町の人に評価してもらいたい!」とお願いし、再発表の場をつくることとなりました。役場の方も話を聞いてくれて「広報チラシを小学校から全児童に配ってやるぞ!」と大ごとになります。

今でも鮮明に覚えているのですが、開催予定日が台風直撃の予報となり、やむなく中止にしたのです。そうしたら、結局1日早く台風が過ぎ去りまして(笑)。だけど、今さらどうやって周知すればいいのか?職員さんに相談したら、「商工会の車ならなんとかなるかもしれん」と掛け合ってくださり、最終的に商工会の車で「台風が過ぎ去ったから開催します!」と町中をアナウンスして回りました。町民の皆さんも急遽来てくださり、大盛況に終わったのです。

冷静に考えてみたら仕事と関係のない、それも「学校で負けて悔しい」なんて話を親身に聞いて動いてくれた。「これはすごい人たちや」と感動しまして、青少年教育に関わる仕事に就くことを決意します。

関西の大学を卒業後、萩原町役場に採用していただきました。途中、町村合併で下呂市に変わりますが、教育委員会から税務課、市民課、環境課へと異動しまして、観光課に7年務めたことが次の大きな転機となります。

行政と地域が一体となり、地域資源に光を当てる

役所内での人事異動は、民間に置き換えたら会社が変わったぐらい仕事内容が変化します。異動してきた4月に、観光課にかかってくる電話は桜の問い合わせなのですが、最初は全く分かりません……。

これはマズイと、異動した1年目はとにかく休みを使って、観光資源になるものは片っ端から自分で周りました。自費で自分で行かないと、観光客目線にはなれません。この経験が自分の大きな支えとなります。

僕の担当は下呂温泉以外の周辺地域で、各地域へ出向いても「もうこんな地域ダメだ」「合併なんかしたせいで」みたいな暗い話しか出てきません。やっていることも毎年恒例の地域イベントが精一杯で、せっかく補助金を使っても地域に蓄積されず、疲弊していくばかり。

だけど、飛騨小坂200滝でガイドを立ち上げようとする方、日本一の鮎を育てるために日本一美しい村にしようとする方、金山でも筋骨巡りが始まったりと地域には面白い資源が眠っていて、面白いことをやろうとしているUターン・Iターンの方々がいる。

そんなことを力説しても、「どうせ3年経ったら異動するんやろ。お前ら役場なんか〜」と言われるのです。なるほど、この地域には行政と地域が一体となって取り組み、評価された経験がないのだと気づきました。

そこで、市役所にはさまざまなコンテストのお話がよく来るのですが、地域活性系のコンテストに応募しまくり、多くの賞や、賞に準ずる認定を取得しました。こんなに良い地域資源があるのだから出さん手はありません。

やっぱりまずは対外的な評価や繋がりをつくって、地元の人たちが「うちの地域は全国のモデルだ!」と前向きにならないと始まりません。それだけの地域資源があるのですから。

自分自身が各地を周り、この目で見て感じたからこそ、強く提案することができたと思います。

グローバルな課題を、ローカルで解決。下呂で価値ある実験をする

とは言っても、資源を生かして稼げる仕組みをつくり、かつ次の世代が繋がっていかないと持続はできません。そうしたしっかりと稼げる仕組みをつくるために、「補助金」「交付金」を利用するのは間違っていません。

ただ単にお金を取ってきて浪費するだけの事業ではなくて、全国の課題を解決する糸口がその事業で紐解かれると捉えたら、有効利用できると思いませんか?実験・研究費に近い感覚かもしれないですね。

当然、地域によって特徴や特殊性があります。ですが、その条件下をどう普遍的な地方の現状や課題に因数分解できるか。下呂を始めとする飛騨地方でそんな実験をする価値があると思ったら、目の前の仕事だけじゃなくて、全国的な動向とかもっと広く世界ではどうなんだろう?と考えますよね。

ローカルが直面している課題は、グローバルな課題にも置き換えられる。じゃあどうローカルで解決していくのか。次のきっかけは高校生との出会いでした。

 

益田清風高校が観光産業の学習に力を入れていまして、生徒たちが独自に馬瀬川の観光動向を調査していました。その調査では、若者を中心に釣り人口が減っていることが判明したと。そこで若い女性をターゲットに、高校生が自ら釣り名人から釣りを教わり、「馬瀬川ガール」というブランディングで釣りの魅力を情報発信していたのです。

「観光甲子園(全国高等学校観光選手権大会)」という高校生による観光プランを競う大会があり、地元の益田清風高校のエントリーを観光課でも応援したら、なんと全国区で準優勝します。次の年も小坂町をテーマにしたプレゼンで準優勝

すごく嬉しくて、地域の人にも聞いてもらいたくて、観光協会から商工会からみんなを集めて凱旋プレゼンをしたんですよ。そうしたら地元の人が涙を流して喜んでくれて、「次は大人たちの番だ!」と火がついたんです。

発案してくれた高校生にいろんな観光体験をしてもらいたいということで、毎年高校生からモニターで意見を聞くということを定例化したんですね。こうして、地域と高校生の連携が少しずつ始まっていきます。

「馬瀬ガール」の高校生たちが地域を駆け回る

地方創生事業の一環として、益田清風高校の観光学習の支援をしてほしいと依頼がありまして、高校生が取り組むなら馬瀬地域で活動するイメージがあり、馬瀬の方からも「観光で経済を活性化したい」とテーマをいただきました。

馬瀬村を歩きながら課題を探す中で、道の駅「美輝の里」に設置されてある観光案内の看板に着目します。「看板は道の駅ができた当初のままで更新されていない。かつ面白くないから誰も目に留めない」と、高校生からの厳しい指摘があったのですが、確かにトイレだけ済ませたら地域に立ち寄らないのも事実。

「わたしたちがイラストを描くから、お客さんの興味を惹く新しい看板を作ってみたい!」そんな高校生の提案を、岐阜県の土木事務所へ話をして掲示許可を得ます。それもただの観光案内ではなく、オススメの観光ルートやその所要時間まで掲載するアイデアです。

このイラスト看板製作をきっかけに、高校生から積極的に地域のために何ができるか提案をしていくグループ「馬瀬ガール」が誕生します。農家レストランの新メニュー開発や、短編映像の撮影、さまざまな地域活動へと参加いたしました。

馬瀬ガールのメンバーであるKさんが、「地元就職はしたいけれど、つまらん公務員だけには絶対にならんと思っていた。でも、青木さんが馬瀬地域とわたしたちを繋いでいるのを見て、自分もそういう公務員になりたい」と言ってくれて、すごくびっくりして涙が出ました。

同じく馬瀬ガールのHさんは「10年後にはAIが半分の仕事を奪う中で、AIに取られない仕事をつくった方が生き残れるからわたしは起業する」と言い出したんです。この子らは凄いなと思いました。

極め付けは「馬瀬の集い」という馬瀬住民の集まりで、馬瀬ガールが司会を引き受けた時のことです。高校卒業前ということもあり馬瀬ガールが抱負を述べたのですが、「この先、大人になってからもまた馬瀬に来たい。でもその時、馬瀬地域がなくなっていたら戻ってこれない。私たちが大学生や社会人として再び参加できるまで、馬瀬地域を残していただくのが皆さんの責務です」と言ったんですよ。もう、鳥肌が立ちましたね。

Kさんは宣言通り、高校卒業後に下呂市役所に就職し、僕の後輩になってくれました。当時の自分と重なって、なんだかデジャヴだなと感じたのです。こうして次世代に繋いでいくことで地域に恩返しできたのであれば嬉しいですね。

下呂は「ホスピタリティ」の街。「下呂に住む意味」が「カッコいい仕事」を生む

「コンパクトシティ」という言葉があります。人口が減った分、中心市街地の方に人が集まってくることは致し方がない部分ではありますが、「別にうちの地域は幸せにイキイキと生きていけとるよ」という力もないとダメだと思うんです。

極端な話ですが、「飛騨のような中山間地域に住むなら東京に住んだら?」と言われたら、あなたはどう思いますかということです。そんな単純な話じゃないですよね。

日本で初めて「ホスピタリティ都市宣言」をして、おもてなしのまちづくりを進めているのが下呂市です。下呂温泉発祥のお寺「温泉寺」の和尚さんにお話を伺った時に、大きなヒントを得ました。

温泉寺は薬師如来を祀るお寺なんですけれど、江戸時代には全国から湯治客が押し寄せ、貧しい人を無銭で受け入れて境内に寝泊りさせて治癒したそうです。つまり温泉寺は、病気の治癒を一緒に祈ったお寺であり、病院(ホスピタル)だったわけですね。

「ホスピタリティの語源はホスピタル。病で苦しんでる人の気持ちに寄り添い、早く良くなってほしいと願う気持ちが『おもてなし』なんや。下呂こそ、ホスピタリティのルーツなんや」ということを和尚さんが言われたんです。

今では時代が変わって、治療を目的に下呂へお越しになる方はいません。しかし、ストレスを抱えて暮らす現代人が下呂温泉に入って、下呂の美味しい物を食べて、自然の中のアクティビティでリフレッシュする。そんな癒しと元気を与える仕事が、下呂に住む人の使命というとおおげさでしょうか。

僕はそれが失われなかったら、どんなに下呂から人が減ってもこの地域が消滅することはないと信じています。地域の歴史に根ざした「下呂に住む意味」をもう一度見直して、下呂で暮らしていこうと思えるとよいですよね。

そうした「下呂に住む意味」を問いかけ続け、地域資源を活かした挑戦をする大人に、高校生や大学生は出会ってほしいです。そんな仕事が多く生まれ、カッコいい仕事だと地域の若者が憧れる環境が僕の夢です。そうしてできたカッコいい仕事というのは、きっとAI に取って代われない仕事の一つ。

そんな仕事を志す尖った次世代が、この街で真っ直ぐに育つ場をつくりたい。高校生の僕の想いに真剣に向き合ってくれたあの日の大人の姿が、今の僕をたしかに創っています。

まちづくりを志した時から、青木さんの軸は一貫して「人づくり」。

これからも下呂市で挑戦する若者と真剣に向き合い、その活躍を影からサポートし続けます。

そんな青木さんのお仕事こそ、AIに取って代われない「カッコいい仕事」なのでした。

連絡先

青木一英(あおきかずひで)
https://www.facebook.com/kazuhide.aoki.56

下呂市 公式ホームページ
http://www.city.gero.lg.jp/

 

この記事を書いた人

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丸山純平

丸山純平(まるやま じゅんぺい)
高山市出身。株式会社ゴーアヘッドワークス 企画/ライター
ヒダストのほぼ全ての記事を書いています。
最近は飛騨ジモト大学の事務局も担当。
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