ようやくデザイナーになれました!!挫折を乗り越え、天職へ ー 清水真規子 ( 株式会社ゴーアヘッドワークス )

飛騨高山のデザイン事務所「株式会社ゴーアヘッドワークス」で活躍するデザイナーの 清水真規子 さん。柔らかなイラストと温かみある色遣いを武器に、様々なデザインを制作します。

 

そんな清水さんがデザインの仕事に至るまでは、何度もの挫折と長い下積み時代がありました。清水さんが手がけた代表的な作品とともに、デザイナーへ至るストーリーをご覧ください。

絵が大好きで、デザインの専門学校へ進学

高山市久々野町で生まれました。小さな頃から絵を描くのが好きで、よく家の玄関や床に絵を描いて怒られていました(笑)。中学校では吹奏楽部に入りましたが、変わらず絵も好きで、体育大会では3年間パネル委員に所属します。

 

高校は、お姉ちゃんが通っていたことと響きがカッコ良かったため、飛騨市の吉城高等学校に進学しました。高校でも吹奏楽部に入りましたが、どうしても絵を描きたくなって美術部に入り直します。

 

なんでもやってみたかった時期で、文化祭でもファッションショー、バンド、美術部の出し物やクラスの出し物など、いろんなことに手を出しました。

 

この頃の私は、Poison Appleと書いてあるショッキングピンクのスウェットとか、ドクロの絵がちりばめられてる服とか着ていて、髪型もサイドを刈り上げていたので奇抜だったかもしれません(笑)。

岐阜県多治見市の歯科医院の可愛らしい壁画イラスト

高校を卒業してからは、名古屋のトライデントデザイン専門学校に進学しました。初めて実家を出て、毎日絵やデザインに取り組めて、時間もたくさんあって、刺激的な日々。

 

同時に、こんなにも絵が上手い子がたくさんいるってことも知り、自信をなくします…..。それでも、2年生からはイラストレーション専攻を選択し、ますます学校が楽しくなりました。

 

この時期に、名古屋で活動している学生のフリーペーパーサークル「REAL」に入ります。他大学の学生も活動するインカレサークルで、実際に企画、取材、撮影、制作、入稿、完成したら駅などで手配りまでを学生で活動していました。ここで、初対面の人やお店の方に話しかけたり、営業を経験をします。

名古屋の印刷会社と合コン

就職活動が始まり、私はイラストレーターになりたかったけれど、現実はそんなに甘くないことを知ります。イラスト専攻でお世話になっていた三浦先生が知り合いの印刷会社を紹介してくれて、卒業ギリギリで就職が決まりました。

まるで温泉に浸かるさるぼぼが可愛い「さるぼぼほ〜っとてぃ〜」

2010年、名古屋市西区の印刷会社「株式会社ミツモリ」に就職します。この会社で、上司のデザイナー 柘植さん との出会いが今の私の基盤になっています。

 

社会人2年目からは、伏見に新たにプリントショップをオープンすることになり、異動になりました。1年目はずっとデスクワークだったのが、プリントショップでは印刷機械を動かしたり、接客が多くなったりととても楽しかったです。

 

プライベートではこの時期から私の合コン人生が始まり、名古屋で過ごした3年間でものすごい回数の合コンに参加しました。良い出会いは少なかったものの、初対面の人との接し方や、話のつなぎ方、さまざまなことを合コンで勉強しました(笑)。

京都の会社へ憧れ、退職するも……。

社会人3年目、「このまま今の会社で働くことが自分のためになるのかな?もっとやりたいことあるよな」そう考え始めた時期でした。たまたま栄を歩いていたら、イベントに出店していた京都の雑貨屋さんのブースと出会います。すごく私の好みの雑貨ばかりで、「私もこんな雑貨作りたい!!」と思い、そこから京都にハマっていきました。

岐阜県恵那市の大正村浪漫亭で販売されている「ハイカラビスケット」

実際に京都へ足を運んで雑貨屋を見に行ったときに、ここで働きたいと強く思って今の会社を辞めることを決意し、京都駅で履歴書の写真を撮りましたね(笑)。

 

何回も京都に行っている中で、その雑貨屋を経営している会社に似顔絵事業部があることを知ります。それまで全く考えもしなかった似顔絵の仕事ですが、絵が描けて人と関われて、自分の生み出したもので人を喜ばせられることなど、私がやりたいことが詰まっていると気づきます。

 

そうして2013年、退職願いを出しまして一社目を円満退社しました。

飛騨高山の人気店「Bliss Bulls」のロゴマークやメニューを作成

すぐにでも京都に行きたかったのですが、ひとまず実家に帰ります。少しの間、ニートを楽しみながら、日本各地と北欧をひとり旅しました。

 

その後は就職活動をしながら、高校の時にアルバイトしていた高山の有名焼きそば店「ちとせ」で働き始めます。私の計画では1年ほどで京都で就職するつもりで、京都の会社にアプローチし続けますが、何回も何回も不採用となってしまいます。毎回大号泣でした…..。

挫折を重ねて、ゴーアヘッドワークスに出会う

ちとせで働いていたある日、専門学校の恩師の渡邉勝則先生がたまたま食べに来ていて偶然の再会を果たします。渡邉先生が再度 高山にお越しになった時に、紹介してくださったのが当時ゴーアヘッドワークスを起業したての蒲優祐さんでした。でもその当時はただ繋がっただけで、気持ちは京都に向いていましたね。

 

気づいたら、ちとせで3年ほど働いていました。毎日焼そばを運ぶのもすごく楽しいし良い職場だけど、やっぱり私はデザインの仕事がしたい!もう一回、京都の会社を受けることを決意し、自分なりにすごく頑張ったけどまた不採用となってしまいます…..。

 

私はダメだ……もう何にも目標がなくなってしまって、本当に落ち込んでしまいました。そんな時に、母や姉から「高山でもどこか就職先を探してみたら?」と言われ、蒲優祐さんが立ち上げたゴーアヘッドワークスのことを思い出しました。

柔らかく色合いを重ねたタッチで描く似顔絵

すごく楽しそうな会社だと思っていたけど、きっと求人募集はしていないだろう。でもダメもとで、蒲さんに連絡をして会いに行きます。

 

私の作品を見てもらいましたが、「デザイン力がまだまだだ」と言われました。落ち込んだけど、逆にその言葉でゴーアヘッドワークスにすごく入りたくなります。その後、いろんなイベントのお手伝いや撮影の見学などに誘ってもらえるようになりました。

 

そして大好きだった ちとせ を辞めて、2016年からゴーアヘッドワークスでアルバイトを始めます。

「ブンバボーン!」で有名なたにぞうさんのダンスイベントのトータルデザイン

年明けから4ヶ月間は、名古屋の事務所で働くことになりました。念願の正社員になり、充実した時間は早く過ぎていきました。

デザインが怖い。そんな時期も乗り越えて…..

2017年5月、高山事務所が開設されて上司の竹本純さんと私は地元に戻ります。この3年間がデザイナーとして充実し、大きく成長する日々でした。

 

今でも忘れられないのは、私が初めて入稿まで任せてもらえた大きな案件の時です。入稿期日が迫る中、私はデータの作りがグチャグチャで、作っていた自分でも訳が分からない状態。蒲さんに励ましてもらいつつ、号泣しながら入稿しました。

 

自分が変化する大きな出来事は、河野政二くんや丸山純平くんが入社して、私が上司になってからです。それまでは、私が一番キャリアも立場も下で教えてもらうばかり、できなくても仕方ない立ち位置に甘えて、安心していました。

部下でできて責任感が芽生えた一方、自分のデザイン力に自信が持てない時期も続きました。

 

私は自分の好みじゃないデザイン、例えばカッチリしたお堅いデザインなどに苦手意識があり、良いのか悪いのかも自分では判別できない状態でした。ついつい可愛いフォントとか自分の好みを加えてしまい、お客様の要望から離れてしまう…..。

 

デザインが怖い。そんな悩みを蒲さんとの個人面談で打ち明けながら大号泣です。自分のやりたい表現と、お客様の想いを形にすること。デザイナーの難しさを肌で感じながら、こだわりすぎていたなと蒲さんと話す中で気持ちが軽くなりました。本当に泣いてばっかりですね(笑)。

得意を生かしたロゴマークのデザインの一例

この数年で、お洒落なカフェや女性向けのデザイン依頼が増えてきました。蒲さんも最初から私に回してくれるつもりで、そうしたジャンルのお仕事を取って来てくださるのがありがたいですし、今では自分の苦手なデザインもスッと力を抜いて形にできるようになってきました。

デザイナーは天職。近しい人を大事にできるように

デザインの仕事は一生続けていきたい、天職です。

 

小さい頃は有名なデザイナーになりたいとか、誰もが知っているような大きい仕事を手がけたいと思っていましたが、今は大事にしたいものが変わって来ています。

 

ここ数年、自分の近しい人とのお別れが相次いで、自身や周りの大切な人が健康なことって当たり前じゃないと実感しました。

 

決して夢を追い求めなくなった訳じゃないですし、成長していきたい思いはあります。だけど、なによりも私は自分の日常を楽しく健康に過ごしたいし、自分の大切な人が笑顔で安心して暮らせる生活をしたい。

 

そう思うと、デザインの仕事の位置付けも大きく変わってきますよね。

地元、久々野は「きって農園」の果物ジュースのパッケージ

一つ、思い描いている夢は、飛騨高山を表現したデザインを作ることです。高山出身のデザイナーだからこそ表現できるこの街の空気感や、温度感、色使いを形にしたいです。昔は高山には何にもないと思っていたけど、今こうして思えるのは不思議ですね。

ようやくデザイナーになれました。ぎょざおと共に前向きに。

私はデザイナーになりたかったけれど上手くいかなくて、京都の会社に挑戦して落ち続けた時期も、ちとせで働いていた期間も長かったです。

 

思い返して良かったことは、落ち込みすぎなかったことかなと思います。たくさん失敗したことも飲み会の席のネタにしようと思えたし、目の前の仕事はデザインじゃなくてもどう繋がるかなと想像して形にしてみたり……。

 

最後に紹介したい私の大好きなオリジナルキャラクターは、ちとせで毎日餃子を焼いていた時に生まれた「ぎょざ・ぎょざお」です。

オリジナルキャラクター「ぎょざ・ぎょざお」


ぎょざおと一緒に前向きに生きてこれたから、今こうして日々ゴキゲンにデザインの仕事に取り組めているのかなと思います。

 

一デザイナーとしてはまだまだスタートを切ったばかり。今後も前向きに私らしく、時には号泣しながらもデザインに関わり続けていきたいです。

 

多くの挫折と遠回りを経験して、それでも自分の想いを信じてデザイナーの道を歩む清水さん。

親しみやすいイラストやデザインはきっと、いつも等身大で頑張る清水さんの人柄の賜物。

これからは清水さんのデザインやぎょざ・ぎょざおが、誰かの癒しやエールに繋がっていくことでしょう。

連絡先

清水真規子
https://www.facebook.com/profile.php?id=100002833832751

【株式会社ゴーアヘッドワークス】
住所:岐阜県高山市本町1-38
TEL:0577-36-1001
HP:https://www.goaheadworks.com/

●清水さんへのお仕事の依頼はこちらから
info@goaheadworks.com

この記事を書いた人

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丸山純平

丸山純平(まるやま じゅんぺい)
高山市出身。株式会社ゴーアヘッドワークス 企画/ライター
ヒダストのほぼ全ての記事を書いています。
最近は飛騨ジモト大学の事務局も担当。
一緒に飛騨を盛り上げたい方募集中!好きな食べ物はチーズケーキ。