もう誰も、不幸にさせない飛騨地域へ ー 垣内無一 ( 須田病院 精神科医 )

 

須田病院で精神科医として働く、垣内無一(かいとむいち)さん。

飛騨地域の心の闇や閉塞感と向き合い続ける中で、気づいた人間の弱さと優しさの本質。垣内さんがこの地域で成し遂げたい志とは?

全ての優しくなりたい飛騨人、必読です。

「人助けをする仕事」そんな意識が育んだ正義感。

幼少期を高山市の森下町で過ごし、小学1年時に上岡本町に引っ越しました。「医療法人生仁会 須田病院」を創ったのが母方の祖父で、小さい頃から祖父の家に遊びに行くたびに「将来は頼むな」と言われました。いずれは医師として病院内で貢献することを、期待されていたのを覚えています。

 

自分で言うのは恥ずかしいけど、そういうこともあって小さい頃から正義感の強い子でした。だから喧嘩もそんなに強い方ではなかったのですが、意地の悪い子たちとは衝動的によく喧嘩していましたね。

 

中学校で一心不乱にハンドボールに取り組み、斐太高校に進学した後も勉強と両立しながら打ち込んで、キャプテンも務めました。ところが、そこまでは順調だったんですけど、高校3年の時に好きな子ができたんですね。そうしたら一つのことに突き進むタイプが仇になってしまって、いっぱい遊んじゃいました。それで目指していた大学に行けなくなっちゃって、私立の金沢医科大学に入ったんです。挫折を味わいましたがその分、大学ではめちゃくちゃ勉強しましたね。

 

 医学部で学ぶことのほとんどは人間の身体の勉強です。100あるとしたらその中で精神科の勉強って5くらいかな。だから学術的に没頭していく中で、途中からもっと内科学のことも学びたいと思うようになって、気づいたら精神医学にも精通する「神経内科学」を専攻していました。今では中枢神経(脳・脊髄)から末梢神経まで、人間の神経系というものがどう人間の精神系に影響しているのかに興味が移り、その学びが今の僕を形成しています。

 

無事に大学を卒業してからは、10年くらい金沢の大学病院に勤めました。そして神経内科の専門医として働きながら、傍らで脳梗塞の研究をして博士号を取得しました。さあこれから本番だ!という気持ちで、高山に戻ってきたのが8年前ですかね。今は須田病院で働きながら、金沢で大学の講義を受け持ったりしています。最近では脳科学も発展してきて、心の病気も脳の病気だと認識されてきていますので、神経内科学と精神医学はより身近な診療科になってきました。僕は神経内科にもいたから、より論理的に心の病気を診れたりするのは強みですかね。

 

 

普通に生活して人生を終えていける地域を。

認知症患者は少子高齢化でとても増えてきていて、僕は神経内科の経験もあるから認知症疾患専任医師を任されています。僕が大事にしている考え方はノーマライゼーション(高齢者も障がい者も健常者と同様の生活ができるように支援すること)です。認知症になっても普通に生活して人生を終えていけるような姿が理想ですよね。しかしそんなに簡単な話ではありません。

 

ちょうど昨年、『渡る世間は鬼ばかり』でも有名な脚本家の橋田壽賀子さんが『安楽死で死なせて下さい』という著書をお書きになりました。その中で「認知症になって、みんなに迷惑をかけるくらいなら死にたい。」と発言して、そうしたらそこに共感した人が予想以上に多かったんですね。でもその発言は、一生懸命に認知症患者さんをサポートしているご家族や我々スタッフからすると、否定されているようで正直不快だったりします。

 

だって人間は社会的な生き物なんだから、そういうときこそ支え合って生きていくのが大事じゃないですか。それに、そうした思想が過ぎると優生思想(障がいの有無や人種などを基準に人に優劣をつけようとする思想)に行き着いてしまう恐れもあります。

そういう意味で、近年は人間は老いて生きていくことの意味とか、高齢者を敬うことの意味とか、あるいは死生学とか、そういうスピリチュアルな事も、ある程度は考えないといけない時代になってきたのだと思います。 

 

 

認知症患者にはまだまだ根強い偏見もあるけど、昭和の初期までは「座敷牢」に隔離されていた時代もあった。それと比べたら今は在るべき姿に近づいていて、そこに貢献できているのは嬉しいし、やりがいがあると思いますね。

 

認知症の啓発活動もどんどんおこなっています。ただ、認知症の人たちやその周りでサポートする人への知識・情報提供も大事だけど、本質的には一般の人たちの健康こそが優しい社会につながると考えています。一般の人が不健全で余裕がないと、社会的弱者に優しくできないですからね。

 

「人間は自分勝手で弱い生き物」だと思っている。

僕はギスギスした社会は嫌いです。でもここ最近、世間は寛容じゃなくなっていると思いませんか。一方の寛容を許容して、もう一方を社会的な正義を盾にして隅に押しやっている。もちろん人を傷つけるような犯罪は別にして、人間は時にミスを犯すものです。

 

それなのに「なぜこのニュースをここまで大げさに取り上げるのか?」と言いたくなるような、過大報道されているニュースが多い。そうすると不倫でも未成年飲酒でもなんでもそうだけど、加害者側がまるで殺人を犯したかのようにマスコミや世間に叩かれますよね。

 

それって大人の社会的なイジメだと思うんです。叩かれている人の気持ちを想って苦しくなる。一方は助けるけど、一方は追い詰める。それって本質的にはマスコミが加害者側と同じことをしているようなものですよ。どっちも同じ人権なのにね。

 

 

つくづく思うけど、人間は自分勝手で弱い生き物。僕からしたらけったいなことをいう人間にも、それぞれの原点や正義がある訳です。価値観だって千差万別。その人たちも巻き込んで、平和を目指すためにはどうすればいいんだろう?って考えないといけない気がする。少なくとも人間に優しくなるってことは、その相手にも寄り添わないといけないと思うんです。

 

理想論を語り過ぎたら現実が見えなくなる。合理化に走り過ぎると、全体主義で個人の幸せは感じられなくなる。どっちにも傾きすぎてもいけないから、やっぱり最終的な結論はバランスなんですよ。

 

それに人間には無駄なものを大事にしたり、無意味なものに価値観を見出したり、合理化だけじゃ説明できない心の機微や人と人との絆があります。弱い人がいて、価値観の違う人がいる。多種多様な人間同士がお互いを認め合って助け合ってきたからこそ人類は繁栄してきたんだから。

人間は弱いから、「安全基地」がないと。

まずは自分自身の精神が安定していないと、患者を助けることはできません。自身のメンタルを健全に保つためには、今では何事にも感謝することが大事だと思うようになりました。嫌なことがあっても感謝の気持ちをもつ。それがなくなると辛くなってくるし、感謝できるかできないかで日々の心の健康状態も分かります。

 

もう一つ大事なのは、その人にとっての「安全基地」があること。「安全基地」があれば相手を尊重できる余裕が生まれます。定義は「自分が100パーセント認められ、理解される場所」です。例えば学校で暴れる子たちの中には、家庭が安全基地として機能していない場合がしばしばあります。家庭では厳しくしつけられているので、一見意外としっかりしていたりする。でも家の中で否定ばかりされていると、我慢して我慢して外(学校の中)で爆発しちゃうわけです。

 

うちに駆け込んでくる若い患者さんも、自身を否定されていると感じて生きている子がたくさんいます。自分が甘えたい場所で甘えられなかったり、どうしてよいかわからなくて自傷や犯罪に走ってしまう事がある。だからこそ無条件で自己を肯定されている、愛されていると感じられる安全基地が必要なんです。

人間は弱い生き物です。でも無条件に認められて受け入れられる場があれば、他人を尊重できたり、誰かと本当の絆を築くことができるんではないでしょうか。

 

また同じ境遇でも、立ち上がれる人と立ち上がれない人がいます。その差はなんだろうってずっと考えてきたけど、その人自身の心の強さというよりは、周りにメンター(師匠)がいることが大事だと思いますね。適切な言葉を投げてくれて、良い方向へ引き上げてくれる人に恵まれているかどうか。

 

例えばシングルマザーの方で、周りに相談できる人が誰もいなくて、気がついたら追い詰められて潰れちゃう方は多いです。でも自分をポジティブにする発想や思考を投げかけてくれたり、愚痴や言葉を交わせる人がいると違う。些細な会話でも、誰かがボソッと漏らした前向きな言葉に救われることとかも結構あると思うんです。だから対話の場だったり自己開示できる場づくりには、尊い価値を感じています。

 

「自殺者0」の飛騨地域へ

僕が高山で好きな景色・場所は、宮川朝市ですね。どちらかといえば陣屋前の朝市の方が良いかな。おばあちゃんの健気で一生懸命な姿をみると、感動します。小さな体で朝早くから頑張って周りと協調しながら働く姿を見ると、飛騨の山奥で暮らしてきた人の生活感や底力みたいなものを感じる事ができるからです。 

 

ある方が飛騨地域を「すり鉢の中で生きていく世界」だと表現していました。山々に囲まれた、冬は大雪に閉ざされる狭い盆地で、支え合いながら生きていく世界。だから対立構造をなるべくつくらないように、折衷案を重ねて先人たちは生きてきました。

 

でもね、飛騨地方って自殺率が高いんですよ。岐阜県内でもダントツで高い。すり鉢の世界だから、一度生き辛さを感じると逃げ場がないんですね。飛騨の精神医療を一手に担う、須田病院で働く人間としては大変不名誉なことです。だから僕の目標の一つは「飛騨地域の自殺者を0にする」こと。伝統文化があって、素敵な人がたくさんいて、美味しいご飯がある良い土地なのに、自殺率が高いって、やっぱダメでしょ!!

 

 

マイノリティ(少数派)の声は絶対大事です。田舎では「剛に入っては郷に従え」といった慣習や思想が今でも根強く残っていますけども、同調意識で守るだけだと「排他」の文化になってしまいます。弱い人たちに優しくあれる社会を、田舎だけどグローバルな価値観を持った地域を創りたいんです。

 

この歳になってようやく気が付いたことは、自分の人生で身を賭してできることってほんの僅かしかないってこと。だからこそ様々な分野の志が近い仲間たちと協働し合って、物事を成し遂げていくこと。小さな歯車になることが大事。

 

人間は優しくもあるし卑怯でもある、曖昧な生き物。だからこそお互いが支え合い、ポジティブな意思を紡いでいかないといけない。僕も日々、優しくなりたいと思っています。みんな平和に、心穏やかに過ごせる地域にしていきたいですね。

 

 

「優しくなりたい。」取材中、何度もそう呟く垣内さんの志は、日々多くの悩みや葛藤と立ち向かっています。それでも実現させたいのは、もう誰も不幸にさせない飛騨地域。今日もその志が、尊い生命に寄り添い続けています。

 

連絡先

垣内無一 ( かいとむいち ) 

医療法人生仁会須田病院 / 認知症疾患医療センター長

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この記事を書いた人

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丸山純平

丸山純平(まるやま じゅんぺい)
高山市出身。株式会社ゴーアヘッドワークス 企画/ライター
ヒダストのほぼ全ての記事を書いています。
最近は飛騨ジモト大学の事務局も担当。
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