この地域でたくさんの笑顔とやりがいを引き出す ー 丸山学 (商売繁盛ファシリテーター/ ひだ経営コンサルティング)

高山信用金庫に18年勤めた後、現在はひだ経営コンサルティングを創業し、「商売繁盛ファシリテーター」として地元の中小企業の支援に奔走する丸山学(まるやま まなぶ)さん。

いつも笑顔でゴキゲンな丸山さんのこれまでの半生と、内に秘めたる強い意志を取材しました。

国債を買うために貯蓄した小学生。

高山市森下町で生まれました。保育園の卒業アルバムに「将来は銀行員になりたい」と書いていたくらい、なぜか金融には小さい頃から興味を持っていたんです。小学校3年生の時には郵便局に一人で行き、自分で通帳を作りました。家族で一番早くキャッシュカードも作ったのも僕で、ATMキャッシュカードを使ってお金を下ろす小学生でしたね。

 

小学5年生の時、社会の授業で国を支える「国債」の仕組みを知って、すぐに「国債を買うんだ!」と郵便局に行きました。5万円から買えるとの情報を聞き出したので、国債を買うことを目標にちまちま30円くらいずつ通帳に入金して貯めていたんです。当時は金利が高かったこともあり、数万円しか入っていない通帳でも利息が千何百円ついた時はすごく感動しました。

 

社会の資料集も大好きだったので、社会や国や貨幣の仕組みに関心があったんです。とはいえ普段はダメダメな子で、ここぞという時に集中力を発揮するタイプでした。自分はきっと上手くいくという謎の自信はありましたね。

 

中学・高校と高山で過ごし、大学は静岡県立大学経営情報学部に進みました。静岡を選んだ理由は3つあります。一つ目は富士山が大好きで、毎日眺めれる場所に住みたかったこと。二つ目はヘビメタが大好きなので、名古屋と東京の真ん中の静岡ならどっちのライブも行けること。三つ目は岐阜や名古屋だと、親が下宿まで3時間で来れてしまうこと。快適な一人暮らしのためには、親がフラッと寄れない立地条件が必要でした(笑)。実際に静岡に住んでみたら、東京も名古屋も遠くて全然ライブに行けなかったんですけどね。

 

地元に戻ってくる気があるなら、今すぐじゃないとダメだ。

そんなこんなで無事に入学し、エレキギターを弾きたかったので軽音楽部に入ったんです。僕の容姿は当時から変化はないみたいですが、周りはモヒカンや金髪の兄ちゃんばかりで、1年生から7年生までいてカオスでした。僕の進学費用は祖母が出してくれていたので、「必ず4年で卒業するぞ!」と決意していたものの、周りの仲間は大学の講義を中心にしていない生活なので、つられて僕も散々たる出席率でしたね。朝までギターを弾いたり、ひたすら自分のやりたいことに全ての時間を費やしてました

 

その分3年生になって、過密スケジュールで授業を受けたんです。僕は単位をひとつも落とせないからグループワークも必死で、みんなのレポートも肩代わりしていました。後日談で、チームメイトがそのレポートを使って贈与型の奨学金に応募したら見事選ばれたそうです。今思うと、あれが最初の補助金申請のお手伝いかもしれません(笑)。

 

4年生になってからは行政経営管理を学ぶゼミに入り、社会を支える行政と民間企業のマネジメントをぼんやりと知りました。就職活動では地域産業の基盤になるようなお仕事に就きたいと思い、静岡の地方銀行を受け始めたら、ある銀行の人事担当の方に「同じレベルの応募者が現れたら地元の人を取りますよ。君は静岡の地銀じゃないんじゃない?」と言われたんです。それで静岡での就活も続けながら、地元の岐阜県にも目を向け始めました。

 

高山で就職ガイダンスに参加した時に、当時の「高山信用金庫(以下たかしん)」の総務課長に出会い、「丸山さんは高山のこと好き?」と聞かれたんです。「乗鞍岳も古い町並みもすごく綺麗なまち。いつかリタイアしたら戻ってきたいです」そう答えたら、「いずれ地元に戻ってくる気があるのなら、絶対今のほうがいい。本気で地域の役に立ちたいなら今すぐ戻ってきて、飛騨地域の人たちとのネットワークを作るべきだ」と、真剣な表情でアドバイスをいただきました。僕の中でもその言葉はすごく腑に落ちたので、静岡での就職活動を全部蹴って高山に絞り、最終的にはたかしんに内定をいただいたんです。

 

 

資格を取るということは、その業界の入り口に立ったということ。

たかしんで働きながら、次に大きな転機となったのは2008年、リーマンショックが起こった後でした。当時僕は融資の窓口担当をしていたため、毎晩深夜まで作業をしていました。今日僕らがその仕事を投げ出したら、数日後の取引先の資金繰りに大きなダメージを与える。ギリギリのスケジュールで仕事をする中で、取引先とお金を貸す・貸さないの関係性だけではなく、もっと自分にできる企業との関わり方があるのではと考えるようになりました。そうして「中小企業診断士(日本で唯一の経営コンサルタントの国家資格。合格率は約4%)」を学び始めたんです。

 

たかしんも新たな取り組みを始めている時期で、受験を徹底サポートしてくださいました。必死に勉強して一次試験に受かり、東京の中小企業大学校に半年間通って中小企業診断士を取得。一生懸命勉強して、実戦でのトレーニングもしました。でもいざ資格取得してはみたものの、取得する前の日の自分と何も変わらないんですよね、当然ですが。そのため取得してからの一年間は、専門家としての自分を模索した時期で、補助金の申請のお手伝いや経営改善計画書の作成、作った計画書をもとに毎月の進捗をサポートするなど、できることはなんでもやりました。

 

一定の成果も出ましたがずっとモヤモヤしていまして、そんなときとある愛知県の診断士の先生に出会って気づかされたんです。中小企業診断士に限らず、資格を取るということは偉くなるわけでも一つレベルアップしたわけでもなく、あくまでその業界の入り口に立ったということを証明しただけなのだと。そう考えたとき世界が360度、バーンと広がってしまったんです。その広い世界をワクワクしながら模索するって面白いに決まってるじゃないですか。

 

とはいえ2016年の5月までは一切、たかしんを辞めることは思っていなかったです。経営支援部署に所属していて、中小企業診断士としてたかしん全体の経営支援スキルをどうやって上げていこうかなど、組織の人材育成に関心を持って、社内で取り組んでいました。

 

どんなお仕事も人が担っているんだから、人のパフォーマンスが企業の業績に大きく関わってきます。でも取引先からはなかなか人材に関するご相談は来ないんです。そこで「社内の人材のことで悩んだり迷ったりしている時に、金融機関の職員に相談しますか?」と多くの経営者に聞いてみました。するとほとんどの人が「相談しない」と答えたんです。

 

融資に関わってくるから弱音を見せたくない側面もあると思います。金融機関の職員である限り、取引先とは「貸し手」と「借り手」というバランス関係で成立している。企業が元気になる取り組みを社長さんと一緒に進めたいと強く思っていても、本音は聞こえてこないし、同じ場所や視点に立てていないと感じるようになりました。その時初めて、辞めてみたらどうなるんだろうと退職を考えたのです。

 

小学生の子どももいるし、住宅ローンもあるためいろいろと考えました。自分なりに決意してから妻に相談したら、「やってみれば」と言ってくれたんです。このお仕事をしているときの表情が全然違うみたいで、素直に応援してくれました。実家の両親は大反対でしたが、押し切りましたね。例の子どもの頃からの謎の自信で、きっと上手くいく確信があったんです。たかしんの社内でもありがたいことに慰留していただきましたが、最終的には「頑張れよ」と言ってくださり、最終日まで精一杯働かせていただきました。そして2017年の4月に開業・独立します。

 

力を最大限引き出して、背中を押す仕事だからファシリテーター。

僕の仕事は経営者の皆さんの思考をしっかりと見える化して、整理して、優先度をつけること。「これから順番にやるんですよね」って、引き出してギュッとまとめる作業です。だから肩書きは「コンサルタント」ではなくて「ファシリテーター」なんです。社長さんやスタッフさんや組織が持っている力を最大限引き出して、背中を押す。たまに「答えをください」と言われるんですけど、僕が答えを持っている訳ではないんです。僕はお客さんと二人三脚で答えを探していきたい。

 

おかげさまで、今までお声をかけていただいた仕事でここまでやってこれて、今では自宅から飛び出して事務所を設け、週に2日のパート社員を雇うなど少しずつ事業展開しています。まだ常駐のスタッフまでは雇えていないので、「多くの社員を雇っている経営者ってすごいな!」と日々思っています。やっぱり誰かの役に立ちたい、世の中の役に立ちたい、そう思ったら絶対に継続的なベースになる収入が必要ですからね。

 

高山で好きなところは乗鞍岳と、早朝や夜の古い町並みです。静けさに包まれた古い町並みは、まるで江戸時代にタイムスリップしたかのように錯覚しますね。こうした美しい高山を次世代に残していくためにも、地域の企業が元気じゃないといけません。変化が激しく厳しい時代ですが、僕自身も一起業家として答えがない事業に毎日取り組んでいます。

 

これまで何度も創業支援をしてきたのに、自身が創業あるあるを経験したのも良い思い出です(笑)。やっぱり自分でやってみないと分からないですよね。試行錯誤の連続で上手くいかないことの方が多いけど、めちゃくちゃ楽しい日々です。楽しくて楽しくて仕方ないんです。その上、僕に関わってくださったみなさんにも喜んでもらえるなんて、本当にありがたい環境ですね。少しでも今より地域を元気にできるように、今年もお客さんと二人三脚で走り抜けていきます。

 

「起業」という選択肢を学校教育の中でも。

直近でどうしても取り組みたいことが一つあります。世の中に起業のチャンスはいっぱいあるんです。でも学校教育の中で、起業という概念に触れることってまずないですよね。今の時代は良い大学に入って、良い企業に入ることが勝ち組なのではなく、様々な選択肢があります。例えば金融のお仕事だって、勝ち組エリートの代表格だった大手都市銀行ですら、今や数千人の人員削減策を出しています。

 

就職するにしても先を見据えず、ここに就職したから安定だと考えているならやばい。起業のチャンスは本当にたくさんあるのに、大学生や一般の人に自分でビジネスを起こす視点が欠けているのはもったいない。だからこそ中学生・高校生の間に起業する事の意味や、起業するために必要なスキル、といった「起業」という選択肢をインプットする。

 

将来この地域を支える人材に対して、「良いところに就職するためだけの受験勉強なんて、なに馬鹿なことを言っているの?」と僕は伝えたいです。もちろん全員が起業する必要はありませんが、唯一の正解肢のない世の中で主体的に生きていく力や、いろんな人生の選択肢があるんだということを学ぶ機会をつくりたいな。僕は気づくのに40年かかったからね。ただ教育分野は自分だけではなんともならないので、いろんな方のご縁と力を借りたいです。

 

「仕事が最高に楽しい!」と無邪気な笑顔で語る丸山さん。

そんな商売繁盛ファシリテーターは今日も、この地域でたくさんの笑顔とやりがいを引き出しています。

連絡先

丸山 (まるやま まなぶ)

Facebook  :https://www.facebook.com/maru328

ひだ経営コンサルティング(中小企業診断士・商売繁盛ファシリテーター事務所)

住所:岐阜県高山市森下町1丁目270

TEL0577-32-5690

MAILmaru328@hidamc.jp

WEBサイト:https://www.hidamc.jp/

この記事を書いた人

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丸山純平

丸山純平(まるやま じゅんぺい)
高山市出身。株式会社ゴーアヘッドワークス 企画/ライター
ヒダストのほぼ全ての記事を書いています。
最近は飛騨ジモト大学の事務局も担当。
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