家業である関口教材店で働きながら、岐阜県立吉城高校でキャリア教育コーディネーターも務める関口祐太(せきぐちゆうた)さん。地域のリーダーとして活躍するその姿とは裏腹に、挫折と転機が予想できない未来へと導いてきた半生でした。飛騨市で始まっている最先端のキャリア教育、その中心で奮闘する関口さんのストーリーをどうぞご覧ください。
「もう友達辞める!」吹っ切れた中学時代。
飛騨市古川町で生まれました。3つ歳下の妹と二人兄妹。祖父が立ち上げた「有限会社 関口教材店」で働いています。学校教材・備品の販売事業なのですが、創業当時は飛騨地域に同業種はなく、車も普及していなかったため原チャリで教材を運んでいたそうです。
従兄弟の家の隣が石材屋さんで、大きい石が150mくらい横に積み上がってる場所で「冒険遊び」をしたのをよく覚えています。当時から従兄弟と仲が良く、遊びに行くと「ゆうた冒険しようぜ。武器どれがいい?」と言われて、木やツルで作ってくれた武器を選ばせてくれました。それぞれ戦士や魔法使いとして遊びながら、今思い返すと、役割を持って一緒に何かを成し遂げる感覚がすごく楽しかったです。
中学1年生の時、部活内で頻繁にからかってくる友人がいました。当時の僕は、人にはっきりと物事を伝えられるタイプではなかったので、言い返すこともできずにモヤモヤを抱えていました。それが続いたある日、思い切って「もう友達辞める!」と言ったんです。そうしたら「ごめん。そんな風に感じているとは思わんかった・・。」と反省してくれて、それがきっかけで僕も少し吹っ切れ、コミュニケーションのコツを掴めた大きな出来事でした。
つい最近、中学校の卒業文集を見つけたんです。「自分には4つの夢がある」と書いてあって驚愕(笑)。しかもどの夢も叶っていないです(笑)。だけど、そこに書いてあったことは本質を突いていました。
例えば、「料理人になりたい!」と書いてあるのですが、その後「美味しくするために工夫している時が楽しい」と続くんです。この工夫するのが楽しい感覚は今でも同じです。他にも「ギタリストになりたい!」と書いてあるのですが「みんなと音を合わせている時が楽しい」という理由で、この感覚や価値観も変わりませんね。
地元の吉城高校に進学してからは程よくハメを外しながら、楽しい高校生活を過ごしていました。アルペンスキー部に入って部活動に打ち込み、3年生の時には部長を経験させてもらいましたね。
そろそろ進路を考える時期に、「料理人になりたい!」と親に相談したことがありました。すると「お前、教材屋はどうするんだ?」と言われたんです。その時、自分の夢はありつつも「家業を継ぐのは絶対嫌だ!」とは感じなかったんですよね。
思い返すと小さい頃から、祖父と一緒に営業に回って、仕事帰りには「たんぼの湯」に寄るんです。必ず大浴場で寝転がる祖父に、横から適度にお湯をかけてあげるのが僕の役割でした。近くで仕事を見てきているから、自然と身体に馴染んでいたのかもしれません。それで商売の勉強がしたいと思い、名古屋商科大学の総合経営学科に進学しました。
家業を継いで経験した、大きな挫折。
大学生活では経営や経済の勉学に励みながら、小学校から続けているアルペンスキーの部活や、フリースタイルスキーのサークルで代表を務めたりしました。またレストランと大型焼肉店で長くアルバイトをしていまして、バイトリーダーとしてお店の仕入れも担当していたんです。リーダーとしての体験や働くことを通じて、自分のやりたいことや得意なことが見えてきた気がします。
卒業が迫る頃、祖父が仕事を引退することになったんです。実家に帰ったある時、「あんた誰やった?立派な方やな〜。お〜、祐太か。」と祖父に言われたことがありました。その時は「あ〜、ぼけてきたな。」と笑って家族と話していたのですが、内心ショックでしたね。
それもあって自分の進路はすごく迷いました。もう少し外で修行して、いろんな世界を経験したかったけれど、早く祖父に働いている姿を見せたい気持ちもあり、最終的には早々に地元に戻って、家業の関口教材店に入社します。
今だから言えることですが、いざ家業の現場に入った時はびっくりしました。こんな対応で大丈夫?こんなやり方でいいの?と感じる非効率な仕事方法が、当時は山ほどあったんです(笑)。徐々に改善しようとするのですが、それが当たり前になっていたので当然ぶつかります。自分の伝え方が下手だったり、家族だからこそ言い過ぎてしまうこともあり、言い合いになる毎日を過ごしていました。
そんな日々の中でも、自分のことをすごくかわいがってくれるお客さんに出会いました。そんなお客さんの役に立ちたい。だけど会社内では変われない。何年間も溜め込んでいたある日、仕事のクレームが入ってついに「ふざけんじゃねえ!」って爆発しちゃいました。しかし、解決の仕方が分からないんです。気づいたら涙が止まらなくて、机の上が涙の海。泣いている姿を嫁に見せたくなくて、宮川沿いの土手に座って、心を落ち着かせてから家に帰る日々でした。今考えると、結講病んでましたね(笑)。
コーチングに出会って、人生が好転する。
悩んで落ち込んでいたある時、商工会の経営指導員の方からご紹介いただいて、伊藤慎悟さんという経営コンサルタントの先生に出会います。伊藤さんから経営戦略に関して教えていただき、ワークを通してたくさん気付かせてもらいました。
また地域で良くしていただいていた先輩の北平智久さんから、「勝手にモチベーション / 平本あきお」という本をいただいたんです。その本には様々な内容が書いてありましたが、その中でも「本当はどうなりたい?」と問いかけられる文章があったんです。それを読んだら、「こういう会社だったら、こういう人生だったら・・。」どんどん想いが溢れてきました。それがコーチング(対話によって相手の自己実現や目標達成を図るコミュニケーション技法)との出会いでしたね。
コーチングという考え方があるのかと衝撃で、学ぶ機会を求めて東京のプロコーチ養成スクールに1年半くらい隔週で通いました。自分の性格や思考の型、コミュニケーション手法を体系的に学ばせていただき、今まで自分が上手くいかなかった理由が腑に落ちて、気持ちがすごく楽になりましたね。それからはアスリートのメンタルサポートや経営者の方と定期的に面談したりと、コーチングのお仕事も増えていったんです。
とはいえインプットだけじゃなくて、どんどんアウトプットもしないと自身の成長がないんですよね。そこで地元の友人に協力してもらって、小さくワークショップを開催し始めました。
それぞれの仕事場や日々の生活で起こった、嬉しいエピソードを振返って共有するシンプルな場なのですが、些細なエピソードにドラマがあっておもしろいんです。「ドリコミュ – Dream Community –」と名付けて、月一での定期開催が始まりました。
参加者が自分の一ヶ月を振り返ったり、周りと共有したり、まるでお風呂に入ったようなあったかい気持ちになれる場づくりを心がけていたんです。このドリュコミュが、予想もしない未来へと繋がっていくことになります。
対話の場づくりが、YCKプロジェクトへ。
ドリコミュの会を重ねるごとに、知り合いの高校生が参加してくれたりして、高校生の視点や日常も面白いなと感心していたんです。そうしたら取り組みが吉城高校にも伝わっていたみたいで「職員研修で地域の人との対話の場をつくりたい」と相談されました。そこで地域の人と先生が集まり、「月面着陸ワークショップ」という対話の場を、高校の会議室で開催したんです。当時高校生だった僕が怒られて、謹慎を言い渡された会議室だったから感慨深さがありましたね(笑)。
それがきっかけで「高校の総合時間の一つで研修をやってくれないか?」とお声がけいただき、その次には「年間でプロジェクトを立てて、生徒と地域の課題解決に取り組みましょう。」となりました。今では「YCK PROJECT(吉高地域キラメキプロジェクト)」という、地域をフィールドに教育の場を創ろうという大きなプロジェクトに発展しています!詳しくはこちらをご覧ください。
初めての試みなので、全体構想検討、プログラム制作、連絡調整と仕事は多岐に渡ります。今年度からは正式にキャリア教育コーディネーターとして委嘱いただき、学校内にデスクもいただけたことで、先生との距離が縮まり嬉しいです。校内でも情熱的に関わる先生がいたり、「力を貸して欲しい」と言ってくださる地域の方・仲間たちがいるから、モチベーション高く取り組めています。
同じくキャリア教育コーディネーターを委託された、盤所杏子の存在も大きいです。彼女にはひょんなことから仕事をお願いすることになったのですが、家庭や学校だけではない他の案件もある中で、様々な所に気を配ってくれて仕事も早い。自分に足りないものを持っていて、いつも助けてもらっています。信頼できる仕事のパートナーがいることは本当に嬉しいです。
これから大学入試も大きく変わり、「生きる力」を試験で問われるようになります。変化の激しい世の中で、知識以外の能力を意識的に育成していくことが必要となってきたからです。学校教育の形も、従来通りでは難しい。
YCK PROJECTで僕が意識しているのは、「地域のための活動」ではなく「自分の将来のために、地域を活用すること」です。以前、ある高校生が「地域に関わるほど、お前は帰ってくるんやろオーラを感じて、やりたいことを言い出せなかった・・。」と言っていました。若者に地域へ帰って来て欲しい気持ちは一旦置いて、「それは本当に子どものことを思っているのか?」と問いかける。あくまでも高校生の成長と学びの場として、地域を「フィールド」にしている。そのスタンスを大切にしています。
もちろん帰って来て、飛騨を一緒に元気にして欲しいという気持ちはあります。しかしその選択も自分の意思で決めて、戻るなら自分に何ができるのか、そういった志を立てて欲しい。そのための「情報・体験」や社会で役立つ「生きる力」を、僕なりに提供していきたいです。
「自分のやりたいこと」へ、素直に挑戦できるまちに
飛騨市の好きな景色は「気多若宮神社」です。毎月一日と一五日の早朝は境内へ上がれるので、なるべくお参りに行きます。山門から上がって、二つ目の鳥居を通ったところから見える、バランスの取れた社殿が大好きです。また神社から見る古川の街の景色が、昔から変わらない僕の原風景ですね。
大人になればなるほど、街の歴史を考えます。吉城高校は今年で創立70周年です。70年前、「高校を作ろう!」と作った方々はすごいですよ!街だって全部一緒。僕が挑戦しようとしていることは、先人の礎の上でしかない。先輩方が積み重ねてきたからこそ、新しい挑戦が生まれる土地になっているんだと思います。
そんな飛騨の地から、みんなの可能性が開花しちゃう、個性が活かされる原点のまちを創りたいと思っています。年齢、性別、出身地、その他問わず住む人みんなが「自分のやりたいこと」に素直に挑戦できるまち。
例えば、なにかの分野で活躍した方に「ご出身はどちらですか?」と聞いたら「岐阜県の飛騨市です!」「やっぱりあなたも飛騨市なんですね!!」みたいな。「今飛騨で何が起こっているのか?!」という特集が組まれるイメージ(笑)。考えただけでワクワクしますね!
みんなで一緒に冒険したい!
日々嬉しいことも大変なこともありますが、従兄弟と遊んだ「冒険遊び」の延長線上にいる気がします。もちろん真剣に働いていますよ(笑)。でもそれぞれの得意な役割から同じ目的に向かって進む一体感があって、時間を忘れて没頭できる。現状があって、理想を描いて、見えてきた課題に対して自分のできることで周りに貢献していく。
今までの「消防団」「祭り」「まちづくり」など様々な地域の活動や、「教育」「コーチング」「工夫すること」「冒険するように仲間と前に進むこと」といった点が、繋がって線になり、やがては面に変わろうとしています。仕事の形としては、教育でハード(モノ)を売ってきた仕事から、ソフトを提供するサービスに変化している感じです。
今一番頭に浮かぶのは、嫁を始めとする家族、親友、仕事のパートナー、チャレンジしている仲間、地域の先輩や後輩、といった自分を支えてくれる人たちの顏です。たまに溢れてくる不安を乗り越えられているのは、周りの人たちの支えだと強く思います。
地域と連携したキャリア教育事業は、より一層腹を据えて取り組みたいです。ここで得たノウハウや経験は、他の地域でも活かせる期待があり、その中で自分の好きや得意を活かして喜んでもらいたい。そんな仕事を創っている真っ最中です。その冒険の道中、様々な場所で美味しい食べ物とお酒を飲んで、仲間や地域の人たちと一体感を生みながら幸せに生きていけたらいいな。
人の可能性を信じ、誠実に対話を重ねる関口さん。人と地域の可能性を引き出した先に、次世代へ繋がる新たな礎が築かれていきます。関口さんの冒険はまだ始まったばかりです。
連絡先
関口祐太(せきぐちゆうた)
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岐阜県立吉城高等学校 公式Facebookページ
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飛騨市の高校がチャレンジする教育革命! 地域を担う高校生を育てる、〈YCKプロジェクト〉https://colocal.jp/topics/think-japan/local-action/20171228_108993.html