「トマトの産地、飛騨」を守り続ける ー 兀下 大輔 ( はげした農園 代表 )

 

飛騨を代表する野菜と言えば「ホウレン草」と「トマト」。

飛騨でトマトを作り続けて15年、「はげした農園」代表の兀下 大輔 (はげしただいすけ)さん。

「飛騨のトマトブランドを守り続けたい。」と熱く語る、トマト農家の想いとは?

地元民にこそ読んでいただきたい、兀下さんのストーリーをどうぞご覧ください。

農家の5代目として生まれ

高山市江名子町で生まれました。3人兄弟の長男。「兀下」という名字は地名から取ったらしく、親戚以外には存在していません。代々農業を生業にしていて、僕で5代目です。先代まではトマトに加えて、ホウレン草も栽培していました。

 

川に飛び込んで遊んだり、作業場の2階を秘密基地にしたり、親や先生をよく困らせるやんちゃで悪い子でしたね・・。だけど小学4年生の時、音楽の先生だった担任に影響を受けて、少年少女合唱団に入ったんです。「お前が入るのか?!」って周囲は衝撃でした(笑)。声変わりをきっかけに中学校からは吹奏楽を始めて、チューバという低音楽器をずっと担当しています。今でも消防音楽隊で活動していますが、原点はここですね。

 

母屋と作業場が近くて、農業は生活と切り離せない部分がありました。小学校の夏休みは農業のお手伝いで、ミニトマトの選別やホウレン草を詰める箱を作りましたね。中学生の頃は畑でトマトの管理も手伝って、お駄賃代わりに自分で計画した旅行プランを見せて、切符代をもらっていたんです。

 

当時はちょっと恥ずかしくて言えなかったけれど、今でいう「乗り鉄」で、夏休みの終わりは一人旅が恒例。でも中学生はホテルに泊まれないから、親戚の家が旅の拠点です。中学1年の時には、岡山県の親戚宅を拠点に四国を巡りました。古典の授業で習った平家物語の屋島に行ったのですが、今思うと相当渋いチョイスです(笑)。

 

中学3年の進路選択では、当時の斐太農林高校へ進むのか、まずは普通科へ進み、その先で農業の勉強をするのかで悩みましたが、担任から「まずは幅広く勉強できる道を選んでもいいんじゃない?」と言われて斐太高校に進学します。

 

高校生活では吹奏楽に熱中しましたね。入学した1年生の時に、何十年ぶりかに東海大会に出場しました。そのおかげか翌年新入部員がたくさん入ってくれて、とても賑やかな斐高ブラスになりました。2年生では部長になりましたが、顧問の先生の方針で部や演奏会を生徒主体で運営させてもらって、とても良い経験でしたね。そうして迎えた大学受験では、いよいよ農業の道へと決意し、信州大学農学部へと進学します。

 

 

父親との別れから始まった大学生活

信州大学は学部ごとにキャンパスがバラバラで、農学部は長野県上伊那郡南箕輪村にキャンパスがありました。でも1年生は全学部共通の授業を受けるので、みんな松本市のキャンパスに通うんです。ちなみに単位を取り切れず、2年生以降で松本キャンパスに通うことを「通松」、進級できず松本に残ることを「残松」と言います(笑)。

 

大きな人生の転機が訪れたのは入学式の前日。農作業中の事故で、親父が突然亡くなったんです。実家から訃報の電話がかかってきて、急いで高山へと向かいました。だけど大学のオリエンテーションに出ないと授業の履修方法が分からないから、松本に一旦戻ってシラバス(授業計画)をもらい、また高山へ向かってお葬式です。目まぐるしくて、その時の記憶があんまりないですね。

 

 

とりあえず、大学に通い続けていいのか?と悩みましたが、母親は続けろと言ってくれましたし、生活費は大学生協の共済に助けてもらえました。ただ、「大学を卒業したら、すぐに実家に戻って働かなきゃいけないな。」そんな思いを抱えての、大学生活のスタートでしたね。最初はあまりクラスにも馴染めなかったのですが、吹奏楽のサークルの繋がりから徐々に大学生活を楽しめるようになっていきます。

 

農学という学問は、食べ物・動物・環境と幅が広いです。僕は「飼料作物(家畜の飼料となる作物)」の研究をしている教授の元で卒論を書きました。飼料作物はイネ科の作物が多いのですが、細かく切り刻んで土に混ぜると「緑肥」にもなるんです。土づくりは基本中の基本ですから、トマト農家である僕の将来にフィードバックできそうな研究でしたね。

 

先生にお願いして、八ヶ岳の高冷地農場を一区画借りて、寒い地域でのイネ科の生育試験もさせてもらいました。一年しか実験できなかったから、大学院に進学してもっと研究したい気持ちもありましたが、大学を卒業してすぐに実家で就農します。

トマト農家の一年

トマト農家の一年は、苗を作り育てるところから始まります。種から育てる人もいれば、苗を買う人もいますね。3月の終わりから4月にかけて苗床でトマトの苗を育て、その後、本圃(ほんぽ)という収穫する畑をトラクターで耕し、(細長く直線状に土を盛り上げた所)を作ります。5月くらいからが定植(苗床から本圃に苗を植え替える)の作業の時期です。

 

 

一番離れちゃいけないのがこの定植の時期ですね。水やりや換気のタイミングがとても大事なので、ちょっとピリピリしています。定植が終わったら収穫の時期までは余裕があるので、オフ日を交代で取ります。収穫が始まる時期は、うちの農園は暖房機を使って早くから出荷できるようにしているので、6月の上旬からです。自然の気候に任せる方は7月の中旬くらいかな。

 

毎年一万八千本くらいの苗を植えるのですが、収穫の時期を調整するために、四千本ずつ時期をズラして植えます。実はどんどん成長していく茎の先を整える仕事がとても大事なんです。ほっとくとジャングルみたいになって、良いトマトができないんだよ。

 

 

全面積の収穫がスタートするのは、お盆前くらい。収穫もピークを迎えてくるんだけど、パートさん達もお盆休みを取りたいから、シフトの調整が大変なんです・・。ちょうど今年から、岐阜大学の根崎怜司くんと始めた「トマトバイトプロジェクト」で、学生さんがお手伝いに来てくれて助かりました!

 

収穫が終わるのは11月の中旬です。雪が降る前にはハウスのビニールを降ろすので、12月はもうシーズンオフだね。僕の場合、冬はスキーのインストラクターとして活動するけれど、アルバイトをする人や、冬は休みを満喫する人など、過ごし方はそれぞれです。

 

一日の流れは季節によりけりだけど、基本的に僕は日が昇ったら畑に行って、日が落ちたら家に帰ってきます。もちろん休みも取りますが、トマトの様子を見ることが栽培の基本ですし、1週間の作業予定を決める材料になるので、毎日畑に行ってますね。

安定して作り続けることも、責任と信頼。

今年は台風がすごくて、飛騨の農業は被害が大きかった。だけど、忘れもしないのは僕が就農した平成16年、その年も台風災害が多くて、8月末と9月上旬の2回来たんです。当時、栽培していた20棟のビニールハウスの内、18棟が捲られました。潰れなかったのは不幸中の幸いだけど、当然ビニールはベタベタでドロドロ。復旧するのが大変でした。

 

今年もかなり被害を受けたけれど、ビニールが落ちたり、トマトの樹が倒れたりしたぐらいで済みました。他の農家さんでは潰れてしまったハウスもたくさんありましたから、とても心が痛いですね・・。特に最近就農した方には厳しい試練でしたが、「これ以上の災害はない」と思えたら今後に活きるかもしれません。

 

僕も就農した当時は父親がいないから、災害のようなトラブル時の対処法だったり、ハウスの作り方や水の配管の組み方などは、農家の先輩に聞いていました。一人一人が事業主だけど、どこかで連携もしているんだよね。その繋がりが僕は面白いと思ったよ。

 

新たに就農される方に話を聞くと、「こんな風に作物を育てたい!」「こんなこだわりの農業をしたい!」ってエネルギーがすごいんですよ!そうした志はもちろん大事。だけど「百姓」って言われるように仕事は多岐に渡るから、すべてに全力投球なんて最初はできない。そもそも作物が上手く育てられる保証なんてない中で、安定して出荷できて初めて生活ができるわけだし・・・。こだわり過ぎて、周りの助言に耳を傾けられない農家にはならないでほしいかな。いざって時に困るからね。

 

想いや志を持って作るのは大切だけれども、こだわりはどこまでいってもキリがない。当然だけど、手をかけた分は価格にも反映される。でも例えばクルマだってさ、みんながみんな高級車に乗ってるわけじゃなくて、軽自動車からワンボックス、トラックまである。だから野菜だって、ちょっと高級な野菜もある一方で、気軽に毎日食べてもらえる野菜もなきゃね。ニーズを捉えて、それに合ったものを安定して作り続けることも、産地としての責任。それを果たしてこそ、信頼を得られるのだと思う。

 

安心・安全・安定を享受するために、食品の生産や流通関係の方々がどれだけ頑張っているのかを想像してほしいです。僕らトマト農家へも残留農薬の抜き打ち検査があります。厳しい基準を守って、安心・安全な物を作るのが農家としての最低条件です。そうじゃなかったら世に物を出せないからね。

 

 

お客さんの食べる顔を直接見ることは少ないです。でも収穫しているトマトが必ず誰かの口に入ると考えると、なんだか不思議な気分にはなりますね。綺麗な形のトマトはスーパーの店頭に並び、形の悪いトマトは加工されてジュースやケチャップになる。なにかしらの形で食べて、美味しいと思ってもらえたら嬉しい。直接見えないからこそ、想像が膨らんで良いのかもね(笑)。

 

スキー場に行ってみようよ!

両親がスキー好きで、小さい頃からよくゲレンデに遊びに行っていました。だけど競技スキーとして取り組むほどではなかったんです。時は流れて、大学のサークルで親睦のスキー合宿があったのですが、未経験者が多かったこともあり僕がスキーを教えていたら、それが面白く感じたんです。

 

上手だねって言われたけれど、どの程度のスキルなのかも分からない。そこでスキー技能検定(バッジテスト)を受けたら、見事に落ちました(笑)。その後、モンデウスのスキー学校に通って1級を取得し、大学生活の冬休みはスキー場のロッジでバイトです。インストラクターも経験させてもらいました。

 

 

就農した年、冬になにをしよう?と悩んでいたら、とある農家の会合で「うちのスキー場に来いよ。」と誘っていただいたんです。そのご縁から、飛騨高山スキー場へ毎冬通っています。インストラクターの資格も取得しまして、「国立乗鞍青少年交流の家」に研修に来る子どもたちをレッスンしています。

 

夏に百姓仕事に集中できるのは、冬に別の自分の居場所があるからですね。夏も冬も一所懸命やりたい。ちょっと欲張りなのかな?スキーの方はもちろん仕事ではあるけれど、自分が好きで携わっている側面も強いです。

 

 

四季の変化を肌で感じられる国は世界中でも少ないし、日本の中でも暑い夏があって、冬は雪で遊べる地域ってわずかです。当たり前の中に贅沢があるんだよね。だから「ワンシーズンに一回くらい、スキー場に行ってみようよ!」と飛騨の皆様にお伝えしたいです。近年は暖冬で、雪に困るシーズンが増えてきています。数十年後はスキーなんてできないかもしれないと思うと、今がチャンスでしょ(笑)。

「トマトの産地、飛騨」を守り続けたい。

高山の好きな景色はやっぱり乗鞍です。長野にいた頃、松本からも見えたんだけど形が逆で・・そんな角度の違いも面白いよね。自分の畑からの景色も好きだけど、美女街道の展望台から眺める乗鞍が特に好きかな。

 

かれこれ15年くらいトマトを作っています。正直言えば最初は、「トマトを作ってメシを食う。」ただそれだけでした。作ったら農協に納品して、そこから名古屋・大阪・京都に出荷されていく。でも「はげした農園のトマト」ではなくて、「飛騨のトマト」というブランドで販売されていることを知ると、自分一人じゃなくて農家さん達との一種の共同体だと気づいたんです。

 

箱のロゴは書想家の坂口竜也さん作

 

そう考えると、飛騨の農業の成り立ちが浮かぶんです。冬が長いから農業にかけられる時間が短く、育てられる作物の幅も狭い。今でこそ道路網が発達しているけれども、昔は到底遠くまで運べなかった。だからこそ個人で勝負するのではなくて、みんなで集まって協力して、産地を確立していった先人達がいるんですよね。

 

単純にトマトを作って生活するだけではなくて、「飛騨のトマトブランド」が長く愛されるように、産地を背負う一員としての意識が芽生えました。今後も、飛騨がトマトの産地で在り続けるとは限らないです。品質が良いのに加えて、安定して供給ができないと「産地」とは言えません。農業界全体として作り手は今後も減る一方だろうし、産地を維持できない地域が全国各地どんどん出てくる。僕らも飛騨をトマトの産地として守っていけるのか、ある程度不安はあります。

 

一人の農家として限界はあるけれども、実は今年からより安定した生産をするために「独立ポット耕」という新しい栽培方法を始めました。少しずつ賛同する仲間も増えて、行政もサポートしてくれています。

 

 

飛騨がトマトの産地で在り続けるように、できることで頑張らなきゃいけない。僕のスタンスとして、そこは外せないかな。飛騨のトマトを作り続ける、誇りなんです。

 

「トマトの産地、飛騨」を守る。飛騨の先人たちが紡いできた想いと息遣いが宿る、兀下さんの在り方。
今日も兀下さんの作ったトマトは巡り巡って、顔も知らない誰かの「美味しい!」に繋がっています。

連絡先

兀下 大輔 (はげしただいすけ)
https://www.facebook.com/daisuke.hageshita

はげした農園
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飛騨高山スキー学校
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