市民団体「アニマルレスキュー飛騨」の会長として「人と動物にやさしいまち飛騨」を目指す、柏崎ルミ(かしわざきるみ)さん。
いつも明るくパワフルな柏崎さんが、飛騨の動物の生命に向き合い続ける想いとは?
「動物に優しい世界は、人間にだって優しい」柏崎さんの願いとストーリーをぜひご覧ください。
小さな頃から動物が大好き
高山市清見町で生まれました。二つ上の兄との二人兄妹。清見といっても郡上市との境辺りで、小学校の全校生徒が10人くらいの田舎でした。当時は内気で人見知りでしたが、人を笑わせることは昔から好きでしたね。
実家には小さな牛舎もあって、牛を二頭飼っていました。牛が草を食べる音が面白くて、よくその辺の雑草をあげていたのを覚えています。他にはインコを4羽飼っていたり、野良猫を見たらすぐに拾ってきたり、物心ついた頃から動物が大好きです。
親にねだって子犬も飼い始めたのですが、中学校は実家から通えない距離だったため寮に入ります。週末は実家に帰るけれど、両親よりも犬に会えるのが嬉しかったです(笑)。
中学では卓球部に入ったのですが、顧問の先生に恵まれたこともあり部活が大好き。副部長を務めながら、結果も付いてきたので楽しかったですね。この頃から徐々に内気さが消え始め、お笑いキャラが開花していきます。
将来は動物に関わる仕事がしたくて、たまたまテレビで観た「ムツゴロウ動物王国」に惹かれ、手紙を書くほど(笑)。当時は情報がないため、仕事のイメージができなかったんですよね。親からは現実的じゃないと反対され、動物に少しでも関われるかなと、飛騨高山高校の生活科に進学します。
高校からは一人暮らし。高山は都会だなと思いながら、高校までの道順を覚えるのが大変でした。
生活科は簿記を習ったり、被服や調理の勉強をする学科だったため、授業で動物に触れ合う機会は皆無・・。事前にちゃんと調べとけって話なんですが(笑)。休み時間に動物を見に行っていました。
高校生活を楽しんでいたある日、校舎で捨て猫を見つけたんです。私のアパートじゃ飼えなかったため「誰か里親になってくれませんか?」と高校内で貰い手を探しました。今思えば、私の活動の原点ですね。
都会に憧れて岐阜市へ就職
高校卒業後はとりあえず都会に行ってみたくて、岐阜市の求人を探したんです。名古屋や東京は都会過ぎて、二度と帰ってこれないと思っていました(笑)。
住所が岐阜市であるだけの理由で、アパレル会社に就職します。学校の授業でも被服は赤点を取るくらい苦手だったのに、当時の私はなぜ服を縫う仕事を始めたのでしょうか・・。
まあ案の定、数ヶ月で仕事が嫌になってきまして、でもどうせなら「辞められたら困る存在になってから辞めよう!」と意地悪な決意をしました。その会社では毎月、成績優秀者は表彰されてボーナスが出たんです。表彰されるために必死に仕事していました(笑)。
結局その仕事は一年働いて辞めました。親からも帰ってくればと言われて、帰郷します。地元のハローワークに通って仕事を探していたら、小さい頃から知っていた電気屋さんで「事務員を募集しているよ」と誘われて、そこで4年ほど働きます。
事務仕事に加えて、営業も多少やらせていただきました。最新の家電製品を勉強して、お客さんにお勧めする中で、私は接客が好きなのだと気づきましたね。仕事を通じて知り合った方と結婚したのですが、お客さんにご祝儀をいただけたのは嬉しかったです。
この頃はあまり動物とは触れ合えてなかったのですが、子ウサギを見かけたらどうしても欲しくなって、アパートの大家さんに内緒で飼っていました。ウサギがふすまをかじるので、跡を誤魔化すのが大変でしたね(笑)。
23歳で結婚してからすぐに子どもができたので、子育てに専念します。そんな生活の中、主人が建築業で独立したんです。当時は高山市外の現場が多く、主人が家に帰って来るのが月に3回なんて時期もありました。頼れる人が近くにいなかったから孤独感もあったし、記憶にないくらい忙しかったような。今でも真っ最中ですが、それでも子育ては楽しかったですね。
兄との突然の別れから、決意と行動
4人の子育てに奮闘しながらも、地域情報誌に載っていた「アニマルレスキュー飛騨」のボランティア募集記事にすごく惹かれていたんです。でも子育てで手一杯な中、家族に反対されるのも分かっていたから踏み込めずにいました。
大きな転機が訪れたのは7年前、兄が45歳で亡くなったんです。大垣市に住んでいた兄は、会社への通勤途中に突然倒れて・・。義姉から「兄が倒れた」との連絡をもらい、慌てて大垣に向かいました。
お金を下ろさなきゃと寄ったATMの前で「もうダメなんや」って電話をもらい、その場で泣き崩れましたね。側から見たら借金で行き詰まってる人だったな(笑)。まあ現実味なんてないですよね。帰りの道中でも、長い夢であるように願いました。
葬式・お通夜には入りきれないくらい、たくさんの方が参列してくれたんです。妻子を残して、働き盛りの45歳で突然亡くなった兄の心中は察しきれません。「やりたいこといっぱいあったんだろうな・・。」私も遠慮している場合じゃないと気づいたんです。アニマルレスキューは絶対にやりたかった。すぐに家族へ相談しつつも、強行突破で入会しました(笑)。あの選択に後悔はないですね。
大切な人の死って、最大の愛だと思います。故人が生前関わったいろんな人に影響を与えて、遺されたものがあらためて、人生をどう生きるのか考える機会です。落ち込むのも前を向くのも自分次第だから、生きるエネルギーに変えていけたらよいですよね。
アニマルレスキュー飛騨の活動と挫折
「アニマルレスキュー飛騨」は7年半前に結成された団体です。「人と動物にやさしいまち飛騨」を目指して、動物の適正な飼育と管理の啓蒙、行き場のない犬猫の里親探し、地域猫活動を行っています。
例えば野良猫は、人間に害をもたらす「害獣」だという意識があります。しかし地域の一員として、野良猫たちにも尊い命がありますよね。高山市内でも保護することに協力的な地区もあれば、残念ながら駆除しようとしたり、「野良猫なんて見殺しにしろ」「野良猫のためになんて、頭がおかしいんじゃないのか?」と言われた地域もあります。
「地域猫活動」では野良猫を捕獲し、不妊去勢手術をして地域に戻して、一代限りの命を温かく見守ります。野良猫を無制限に増やさないようにすることが大事です。また飼い猫の寿命が約15年ほどなのに比べて、野良猫は3〜4年と寿命が短いので、なるべく飼い猫を増やしていきたいですね。
また市民からの通報や情報提供を受けて、保健所と一緒に「飼育崩壊」の現場にも向かいます。猫の多頭飼育崩壊の現場を見た時は辛かったですね。正しい飼い方ができなかったことで猫が増え過ぎてしまい、飼い主は精神を病んで家族崩壊・・。そんな状況でも飼い主の同意がない限り、ペットを勝手に保護することはできないので、飼い主への交渉や説得を行います。
今でも忘れられない出来事があります。ある多頭飼育崩壊の現場で保護した猫たちの中に、猫風邪を患った子が一匹いるのに気づかなくて、他の子にも蔓延しちゃったんです。たまたま見に来られた外部の方に「こんな素人集団に保護なんてできない」とひどく怒られて、もうみんな自信喪失でした・・。
生命と向き合うことは大変です。なにかしら活動が話題になるたびに、いろんなご意見をいただきます。
私たちはただの動物好きな素人で、獣医師や動物看護師ではありません。でも尊い生命に対してそんな言い訳はできませんから、知識を得るしかないです。メンバーも資格を取得したり、勉強会に参加したり、私は通信で動物看護師の勉強をしています。
みんな本当に動物が大好きなんです。アニマルレスキューのメンバーは、たとえ一人きりになっても活動を続けるであろう、信頼できる仲間ばかり。私にとっては、第2の家族と言える大切な存在です。
「ジョンくん」と「ビビ」
保護した犬猫をメンバーの自宅で一時預かりし、里親を探す活動も行っています。一頭一頭に忘れられないエピソードがあるのですが、17歳の芝犬「ジョンくん」を保護した時は特に印象に残っています。
元々の飼い主は高齢のご夫婦。もう施設に入らなきゃいけなくて、ジョンくんを引き取れる身内もいない状況でした。ジョンくんも17歳なのでヨボヨボ、散歩するとフラフラと側溝に落ちちゃうくらい(笑)。
だけどある方が「私も高齢だから元気な子犬の面倒は見れない。だからジョンくんを引き取るよ。」と言ってくださったんです。おかげでジョンくんは車椅子まで作ってもらい、暖かい部屋で余生を過ごせました。そうした心優しい里親さんと巡り会えたら幸せですね。
また保健所で殺処分する犬猫に関して、アニマルレスキューに相談がきます。我が家で引き取った「ビビ」は、元々殺処分の予定でした。保健所で保護されていたビビは人間が怖くて、近寄るとタレションしちゃうくらい。その状態だと引き取り手が見つからなくて、メンバー全員で悩んでいたんです。
ふと子どもに相談した時に「それでも連れて来るのがお母さんじゃないの?」と言われ、私も「そやな!」と覚悟を決めて、我が家に連れて来ました。
最初は本当に恐怖だったと思います。しかし今では甘えてくれたり、ちょっとワガママな仕草をしてみたりと随分変わりました。私たちを一生懸命信じようと、ビビは毎日頑張ったと思うんです。そんなビビには、いとおしさと感謝しか思い浮かびません。私の動物への視野を大きく広げてくれた、大切な存在です。
高山市の殺処分頭数は0に限りなく近いので、保健所の方からは感謝されることが多いです。しかしアニマルレスキューの活動はボランティアで、メンバーそれぞれが仕事の合間に頑張っています。もっと行政側にはご協力していただいて、殺処分0頭を持続できたらと願って止みません。
動物たちのために生きていきたい。
高山で好きな場所は、飛騨・世界生活文化センターの付近です。毎日の犬のお散歩コースなのですが、高山の街並みが一望できるんですよね。この景色の中でいろんな命が生きているんだなって、動物と共存する街のイメージを膨らませています。
中学校の全校集会で、恩師から聞いた言葉がずっとインプットされています。「勉強は誰のためにするんや?多くの人は自分のためにって言うけれど、誰かのためにする勉強があってもいい」
勉強はそこまで好きじゃなかったし、その当時は思い浮かべて頑張れる「誰か」はいませんでした。だけど最近、がんサークルOwlsの三井祐子さんと「誰かのために生きるってことが、一番生きている実感があるよね」ってよく話します。今ようやく自信を持って言えることは、私は動物たちのために生きていきたい。
アニマルレスキューでは既存の活動に加えて、メンバーがやりたいことをどんどん叶えていきたいです。直近では「猫ヨガ」を、保護猫カフェみたいな場所で開催したい。他にもいくつかの企画が進行していますが、どの企画も目的は同じ。もっと「人間と動物が寄り添い合える世界」を創りたいんです。
犬猫の感情は人間にすごく近くて、喜怒哀楽全て持っている気がします。私の小さい頃の不安や寂しさには、側にいた犬が寄り添ってくれました。同様に救われている人はたくさんいるはず。動物に優しい世界は、人間にだって優しいと信じて、仲間たちと活動を続けていきます。
心の底から動物を愛し続ける、柏崎さん。
「動物のために生きる」と決めた柏崎さんの意志は巡り巡って、
人も動物も、誰もが平和で穏やかに過ごせる飛騨へと繋がっていきます。
連絡先
柏崎
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ボランティア募集
里親探し、イベント、地域猫活動や広報のスタッフなど、アニマルレスキュー飛騨の活動は全てボランティアで行なっています。共に「人と動物に優しいまち飛騨」を目指したい方、下記からご連絡ください!
animalhida@gmail.com