ひまわりになりたい〜恩送りの循環〜 ー 小澤さやか (株式会社ステキバリエーション常務取締役)

 

常に元気で満面の笑顔、大きな笑い声が印象的な小澤さやかさん。人類皆兄弟と標榜する小澤さんの在り方の背景には、凄まじい人生のドラマがありました。ひまわりのように大きく鮮やかな花を咲かせる、小澤さんのストーリーをどうぞご覧ください。

心のスラム期だった学生時代。

東京都大田区で生まれ、3歳くらいから神奈川県横浜市で育ちました。一人っ子で父母と3人家族。小さい頃から漫画が大好きで、一通りの漫画雑誌は読み漁っていました。

 

治安がよくない小・中学校でした。いじめもいっぱいあったな。怖くてしょうがなくて、言うなれば心のスラム状態。子どもの友情の美しさや尊さを描いたアニメとか観ると、ファンタジーだなって思うくらい。中学校に入学した日に、サラシを巻いた女の先輩がいきなり教室に入ってきて、黒板によく分かんない漢字を書き出す。そんな中学校で、私は目立たないように過ごしていました。

 

荒んだ学校の中で唯一、優しさに触れたエピソードがあるんです。当時小学校に知的障がいの子がいて、一緒に花壇に水をあげていたら、突然その子が私にも水を浴びせてきました。びっくりしていた私に、支援学級の先生が「さやかちゃんがひまわりみたいだから水をかけたんだね。」と言ったんです。すごく温かい気持ちになったんですよね。優しい先生の横顔も言葉も心に強く残っています。

 

その後は単位制の公立高校に進学したのですが、全く勉強せずにバイトに明け暮れていました。朝6時からラーメン屋で働いて、10時から学校に行くんだけど電車代がないから片道20キロ自転車漕いで、また夕方から居酒屋でバイトして・・。そんな学生生活です。

進路は「南の島」、転機は「家族の解散」。

高校卒業前に進路を先生に聞かれて、ふと「南の島に行きたい」と思いまして、卒業式も出ずに石垣島に飛び立ちました。だから南の島が私の進路だったのかな。大学進学する意義も当時は感じられなかった。

石垣島のリゾートホテルで働いていたんだけど、いろんな国のお客さんがいて、宗教もグチャグチャ。個性がぶつかり合う環境下で、ようやく自分を解放することを覚えました。仲良くなった外国人に教えてもらった「ちむじゅらさん(心が美しい・優しい人)」という言葉に、都会で外見のコンプレックスを抱えていた私はすごく救われたんです。

 

いくつかの島を巡りながら1年くらい生活していたかな。いろんな人に出会ってすごく楽しかったけど、こんなにフラフラしていたらマズイと思い帰郷。地元に帰って、10社くらい就活するんだけど全部落ちました。魚の釣り方は知っていても、パソコンの使い方は分からなかった。断られ方も辛辣で、ハタチそこそこの小娘にはキツかったな。家族もそれぞれ抱えるものがあって、良好な関係じゃなかったです。

 

さすがにマズイと思い直して、結婚式場でブライダルの仕事を始めました。当時月収が12万円で、実家に頼らないと厳しいのに、諸事情によりある日家族が解散となるんです。詳しいことは私と飲みにいきましょう(笑)。

 

どうしようかと悲嘆に暮れていたら、この時お付き合いしていた人が元自衛隊員で、「自衛隊なら寮に住み込みでお金も貯まるし、大学にも行けるよ」と教えてくれたんです。じゃあ自衛隊を受けて、ダメだったら住み込みでパチンコ屋に就職だな。そう考えていたら奇跡的に航空自衛隊に受かったんですね。「これで人生安泰だ!」そう叫んでしまった24歳の頃でした。

自衛隊とヨガと保険営業と私。

控えめに言って、自衛隊も地獄でしたね!みんな同じ服を着て、同じ時間に起きて、同じごはんを食べる。自由のない生活。訓練もキツかったです。数ヶ月の訓練の後に適性試験を受けて、私は気象観測員として、岐阜県各務原市に配属されました。ついに岐阜県に上陸です。

 

ただ、配属されたのが走ることに力を入れていた隊だったんです。長距離走の訓練を、雨の日も風の日もひたすら一日10キロ、調子良い時は20キロほぼ毎日走りました。ど根性が鍛えられた大きな大きな経験です。

 

勤務の合間に東京福祉大学の名古屋キャンパスに通い、勉強の楽しさを人生で初めて知りました。福祉の教科書には幸せや生きがい、人の心の動きなど実生活に深く関わりがあることなど、世の中の真理が書いてあると感じたんです。

 

その後、自衛隊から通っていたヨガ教室へと転職しました。そこはヨガ、カウンセリング、コミュニケーション講座などを行うカルチャースクール。またまた突然の異業種なので苦労も多く、学ばないとならないこともたくさんあり、365日休まず働きました。普通だったら嫌になるほどの仕事量でしたが「世界を救えるかもー!」と本気で思い込んでいたので・・プライベートの時間、お金、生活環境、全てを注いで働いていたんです。ここで初めて社会に出て、仕事の哲学や心得、態度や姿勢などを学んだように思います。

 

カルチャースクールで営業も頑張っていたんです。そうしたらプルデンシャル生命保険から「ぜひ一度お会いできませんか?」と電話がかかってきました。売れてる営業マンの噂を聞きつけてヘッドハンティングで採用しているみたいで、これが先輩であり親愛なる小林律子との出会いでした。

 

 

面接をしてくれた彼女はバッチリスーツなのに、私はヒッピーみたいな格好。社会から逸脱している自覚があったから、彼女は私を一瞥して驚くか侮蔑するだろうなと思っていたんです。でも彼女は真っ直ぐに私の人間性を見てくれていることが分かり、面接を受けることにしました27歳くらいかな、人生の大きな転機でした。

 

プルデンシャルでは長い期間は働いていませんが、そこで得た繋がりや私らしい仕事ってなにかなって自問自答の末に、休止していた大学を思い出して福祉の道を志したんです。小林さんはゼロから這い上がる私を全身全霊で支えてくれました。感謝しかありませんね。

福祉の道へ入り、高山へ。

プルデンシャルの繋がりから、「放課後等デイサービス(障がいのある就学児向けの学童保育サービス)」を行う名古屋の福祉事業所に転職したんです。

自分が創り上げたい「福祉」ってなんだろう?働きながら自問自答し、理想とする曼荼羅(まんだら)図の初期の絵が出来上がっていきました。子どもも大人も分かる形で、目指すビジョンを示したかったんです。

 

 

具体的にどういう方法で形にしていくのか?模索する中で「高山でゼロから挑戦している人がいるよ。」と、とある先生が紹介してくれて水谷将章社長と出会います。早速出来たての事業所に見学に行ったんです。そこで社長に曼荼羅絵を見せたら「一緒にやりましょうよー!」と誘ってくださりました。踏ん切りがつかない私のために社長が名古屋まで何度も通ってくれたのもあり、高山に移住してステキバリエーションに入社しました。

 

とはいえ創業期のベンチャーだけあって、入社してからは毎日挑戦の連続です。心揺さぶられる4年間でしたね。それまでのいろんなご縁は清算されていたから、孤独を感じやすい高山の地で一人、試される日々。ますます人生に深みが出ました。でも常に変化に対してチャレンジしていきたいし、変わらないって選択をしたくない。挑戦のプロセスに希望があると信じています。今では社長と喧嘩もしながら(笑)、志高い社員と働ける環境が大好きですね。

 

正と負の大きな振り幅が、豊かな人生を創る。

良いことも悪いことも、どちらもたくさん受け入れたい。その振り幅が豊かな人生を創ると信じています。20代の頃は良いことばかりを追い求めてきたけれど、負の経験もあったからこそ自分なんだと気づいたんです。人間はネガティブさを克服しようとするけど、自分のマイナス面も欠点も見つめて、引き受けていっていいんじゃないかな。それが自身の魅力に繋がるし、そういう人を見るとすごく勇気が湧きます。

 

仕事柄、悩みや苦しみを抱えている人に出会うこともあります。でも私は「すごいカッコいい人生だ。逆才あるな!」と、本気でそう思うんですよね。

30代になってそうした目線を持ち始めたのは大きいです。プライドとか世間体とか諸々脱ぎ捨てた先の、小澤さやかのコア(核)ってどこだろう。何を大事にしているのか自問自答する中で、どうしたら本音・本心の自身と一致して、日々を自然体に「小澤さやか」として生きていけるか。それはステキバリエーションに教えてもらったことで、「感謝」なんて一言に集約できない。いろんな感情や想いがありますね。

ひまわりになって、太陽に向かって咲きたい

人間は素直になれない、優しくなれない時があってもよいと思う。そんな時はついつい人を傷つけるようなことを言ってしまうかもしれない。だからなるべく、表面上の言葉をなぞるのではなくて、その言葉の裏にある想いを聞きたいし、受け取りたいんです。

飛騨でいろんな人と関わらせてもらい、特にこの一年半は繋がりが加速していきました。大事にしたい好きな人が、一緒に時間を過ごして楽しい人が、たくさんいる街に変わったんです。感謝しています。

 

だから私もワクワクすることをどんどん描けて、高山の繋がりがそれを後押ししてくれると感じています。

 

私はひまわりになりたいんです。太陽に向かって真っ直ぐにグッと咲いてる、ひまわり。絶対暑いよね、枯れちゃうよ。でも一心不乱に太陽を向いて、大きな黄色の花を咲かせる。無条件で元気が出るよね。最後にはギッシリと詰まったタネをワッと散らす。その循環の中に身を置きたいんです。

 

 

私は私を全うするだけ。でも多くの人と共有して生きたい。自分が咲くことに夢中になる、その姿にタネをもらう人はたくさんいると信じたい。私はいつも誰かに支えられてここまで生きてきました。恩返しは心底したいけれども、私を信じてくれた人はみんな直接恩を返して欲しいとは思っていない方々。だから私の周りの人たちに私が恩を送っていく。その恩送りの循環が、私をここまで導いてくださった方々への恩返しだと思っていますし、イメージはまさにひまわりの在り方なんです。

 

正直、頭の中では日陰でひっそりと生きたい気持ちもあるけれど、ドMだからキツイ方が良いのかも(笑)。なにかに挑戦しなきゃ始まらないし、体験したことが未来にどう繋がるか分からない。だから真っ直ぐに太陽に向かって咲き続けるって、自分と約束したいな。

 

多くの闇と向き合ってきたからこそ、光の眩しさを感じられる。若くして数々の辛苦や修羅場、浮き沈みを経験してきた小澤さやかさん。その半生で磨かれたコアは密度の濃い綺麗なタネとなり、次代の飛騨の地へ勇気と希望を育んでいきます。今後の小澤さんの挑戦に注目です!

連絡先

小澤さやか(おざわさやか)

株式会社ステキバリエーション

WEBサイト:https://www.stvariation.org/index.html

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この記事を書いた人

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丸山純平

丸山純平(まるやま じゅんぺい)
高山市出身。株式会社ゴーアヘッドワークス 企画/ライター
ヒダストのほぼ全ての記事を書いています。
最近は飛騨ジモト大学の事務局も担当。
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