「『売り手』と『買い手』がともに満足し、『社会貢献』もできるのがよい商売である」そんな近江商人の心得「三方良し」を経営理念に、高山市で屋台村「でこなる横丁」や常設エンターテイメント「でこなる座」を経営する、株式会社Tri-win代表取締役社長の伊藤 通康(いとうみちやす)さん。
両親はスーパーマーケット「主婦の店」を経営し、今の事業に携わる前は、高山市民なら誰もが知っているスーパーマーケット「バリュー」を経営していた伊藤さん。
なぜ、スーパーバリューを閉めたのか?でこなる横丁やでこなる座はどんな経緯で生まれたのか?伊藤さんの挑戦し続ける姿勢の裏には、一貫した「三方良し」の経営理念がありました。
「バリューの魚コーナーは面白い」バリュー岡本店での挑戦
飛騨市神岡町で生まれ、高山市で育ちました。両親は「主婦の店」というスーパーマーケットを数店舗経営しており、小売業を営んでいる親族が多い家系だったこともあって、「いずれにせよ物を仕入れて売るなら、スーパーを継ごうかな?」と考えたのが高校生の頃でした。
神奈川大学経営学部に進学しまして、僕が大学を卒業する年に初めて、進路について父と話しました。「お前が継ぐなら店をいくつか畳んで、大型店舗をつくる」そう父が宣言しまして、高山市内で初めての大型商業店舗となる、今はなき「バリュー岡本店」がつくられることになります。
当時、飛騨地域のスーパーは水産品が弱かったのです。塩イカや塩サバといった塩漬け品に、生魚はカチカチに凍ったサンマとサバ程度しか買えません。そこで魚種が豊富な金沢のスーパーに就職し、1年ほど修行してきました。そこで得たノウハウや仕入れルートが、水産品に強いバリューのイメージを定着させていきます。
例えば、水産品をメインにしたバーベキュー用セットを高山で初めて販売しました。「ホタテ、エビ、イカの詰め合わせが380円。3パックまとめ買いは1000円!」のセールが、夏休みシーズンに飛ぶように売れるんですよ。年末には食べやすくカットしてあるカニを売ったり、本マグロを一尾丸々仕入れてきたり・・(笑)。他にもかなり珍しい魚を仕入れては売っていたので、「バリューの魚コーナーは面白い」とお客さんに言われると嬉しかったですね。高山市の水産品の消費動向には、なかなか貢献度が高かっただろうと自負としています。
大体400坪クラスのスーパーで年商8億円ほど売り上げれば採算が合うのですが、最盛期のバリュー岡本店は年商32億円!駿河屋アスモさんやバローさんができて徐々に売上は下がりましたが、それでも10年くらいはバンバン商品が売れる時代が続きましたね。
「安売り」って誰がハッピーなの?バリュー閉店の決断
競合他社が増える中で、バリュー独自の強みを増やしていかなければならない。そんな背景もあって、高山市内にはディスカウント(低価格)ストアがなかった当時、アイスクリームの半額セールやお菓子の常時2割引といった定価を下回るほどの割引をバリューが先行して始めていました。だけど、10年くらいスーパーを経営して気付くんです。「安売り」って誰がハッピーになっているのか分からない。
激しい価格競争をした結果、お店はまず儲からないですよね。売上が増えなければ、スタッフの給料も上がらない。さらには、大量製品を安く仕入れて売るって仕組みを作っちゃったから、地元の細々とした生産者が倒産する。「この街の定価販売が壊れてしまう」と問屋さんから言われ、地元の取引先との関係性も悪化した時期もありました。いろんなセールを試しましたが結局、値下げをしてもみんなが幸せにならないんです。
打開策が見つからない中、知人の経営者から店舗を売って欲しいと相談され、バリュー岡本店を閉める決断をします。お店を閉めるにはものすごくお金がいるんです。従業員も100人近くいましたが、ここで決断しなかったらもっと大変なことになる。
従業員全員に給料と退職金を出して、次の就職先も見つけてきました。そうして事業売却をおこない、残ったのは借金と他に保有していた土地のみ。実質マイナスから新たな事業がスタートします。
三方良しの「でこなる横丁」で、「夢を叶える」挑戦を応援する
唯一の資産である土地を生かして、この街に新たな価値を生み出す「三方良し」の事業をやりたい。だけど、プレイヤー(売り手)が満たされるためにはどうしたらよいのだろうか?いろいろ考えたのですが、プレイヤーの「夢を叶える」挑戦を応援したいと思いました。
調査をした結果、飲食業は「自分のお店を持ちたい!」といった夢を抱いている方が多く、しかし高山市内にある物件は大きすぎて独立のハードルが高いことに気づきます。
じゃあ小さい規模ですぐに始められる屋台はどうだろうか?お店を小さくすると点になってしまい、お客さんを呼ぶのに時間がかかりますが、点が小さいならくっつけて線にしたら良いですよね。線が重なって面となり、目立つようになれば集客力もアップする。一括して広報もできる屋台村を創ろう!
そうして飲食業に絞り、夢を抱いたプレイヤーが集まってみんなで挑戦する。昭和レトロな雰囲気で、地元民も集えて観光客も楽しめる。高山まちなか屋台村「でこなる横丁」が生まれました。
ちょうどその頃、高山駅前に大手の居酒屋チェーン店ができまして、高山の繁華街である朝日町は少しシェアを取られていました。お客さんを取り返すためには一店舗の努力では限界があり、行きたいと思うゾーン(区域)を作らなきゃいけない。
でこなる横丁がその一助になりながら、同時に昔から朝日町を担ってきたお店さんともハッピーになりたい。ですから、朝日町の居酒屋で1次会をした後、でこなる横丁には2次会で来ていただけたら良いのではないかと考えました。広い店舗をつくらず、営業時間も遅く設定しているのは朝日町と共存するため。まさに三方良しのビジネスですよね。
人が集うから文化が生まれ、やがて仕事が生まれる。それは人類の歴史が証明していることです。僕はでこなる横丁が地元の先輩方と若者が出会い、交流する場であってほしい。そうしてみんなで、でこうなっていきたいのです。
株式会社Tri-winとして、「でこなる座」を始め挑戦し続ける
「でこなる横丁」はこの数年で、当初思い描いていた形に近づいて来ました。そろそろ次の事業を用意しないと、会社としては停滞期が来ます。飲食業以外に、夢を持ちながらその実現が難しい業界はどこだろう?探していく中で「伝統芸能」に行き着いたのです。プロとして熟練した芸を磨いているのに、その道一本では稼げない現状がある。やはりパフォーマーとしての社会的地位を確立するには、仕事として稼げていることを世に示す必要があります。
正直、エンターテイメントは専門外です。だけど、専門家を巻き込んでビジネスとして成立させるのが僕の仕事。ちょうど日本では国家戦略としてインバウンド(訪日外国人旅行)が進んでおり、飛騨高山には外国人を受け入れたいエネルギーが溢れている。日本の伝統芸能を披露するべく、波が来ていますよね。そうして「でこなる座」の構想がスタートします。
演者が集い始め、高山別院をお借りしてステージ公演を始めました。常設のエンターテイメント事業としてステージを建設するつもりでいたのですが、街中の土地の確保に難航していたんです。そんな折「イータウン飛騨高山」のスペースが空いていまして、じゃあイータウンの中に作ったら工期も短くなり、建設費も抑えられるんじゃないか?という発想から、2019年3月に「でこなる座」がイータウン内にオープンしました。
外国人観光客の方にも情報が届き始めて、少しずつお客様が集まるようになってきています。だけど、まだまだこれからですね。地元の方にも楽しんでいただきたいので、飛騨地方3市1村の方限定で「地元割」を始めました。ぜひ一度、遊びに来てみてください。
日々の仕事や生活の中で、自分の死に際をすごく考えます。僕の生涯は周りにどんな影響を与え、残せるものがあるのだろうか。生き様とイコールですよね。考えれば考えるほど、もっと挑戦したい気持ちが湧いてきます。だって、飛騨から若者がいなくなってしまう原因は、この街で夢が叶うイメージが湧かないところにあると思うから。飛騨で生きる先輩の仕事として、僕は夢が叶えられる環境をつくりたいし、自分自身が挑戦し続ける姿を見せたい。
そんな想いもあって2019年2月、それまで数十年「株式会社主婦の店」だった社名を、「株式会社Tri-win」に変えました。創業期から一貫した経営理念である「三方良し」の「Tri」に、挑戦する「try」をかけています。
飲食業は「でこなる横丁」、伝統芸能は「でこなる座」と、まだまだ「でこなるブランド」は多岐に広げていきたいと思います。飛騨でも頑張ったら面白いことができる。そんな可能性を示すのが、47歳を迎える僕の役割なのかもね。
父から受け継いだ大きなお店を閉める決断も、飛騨の地にまだなき新たな事業を始めることも、伊藤さんの半生は大きな挑戦と覚悟の連続でした。
伊藤さんの夢はまだまだでこうなり、その生き様は次世代の飛騨人のチャレンジの礎となっていきます。「でこなる」ブランドの今後の展開に注目です。
連絡先
伊藤通康(いとうみちやす)
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