飛騨の果実をふんだんに使ったスムージーを提供する、大人気の「フルーツカフェBitta」を経営している山本亜矢子さん。
久々野の果樹園の娘として生まれながらも、もともとの夢は歌手で、前職は保育士、そして農業なんて大嫌い?!
一見、不思議な経歴の山本さんですが、フルーツカフェBittaに到るまでには数々のドラマがあったのでした。ギュッと凝縮された山本さんのストーリーをどうぞご覧ください。
農業が大嫌い……「歌手」を目指した学生時代
高山市久々野町で生まれました。3人姉妹の長女です。実家は祖父の代から「平田果樹園」を営んでおり、リンゴやモモ、梨などを栽培しています。
小さい頃の私は農業が大嫌いでした(笑)。うちは毎日仕事で、休みになるのは畑仕事ができない雨の日。だけど雨の日なんて遊びに行けないから、日曜日に家族で遊びに行く友人たちが羨ましかったです。
昔から歌うことが大好きで、将来の夢は「歌手」でしたが、表向きは恥ずかしいので「保育士になりたい」と言ってました。
斐太高校に進学してからは軽音楽部に入り、やがて進路を決める際、親に「音楽の専門学校に行きたい」と勇気を出して言いました。そうしたら「音楽で食べていくのは難しい」と反対されて……だけど東京にはどうしても行きたかったので、保育士の資格を取るために東京家政大学に進学します。
保育の勉強も楽しかったけれど、オーディションを受けたり、ボイストレーニングに通ったり、ひたすら音楽活動に熱中しました。
大学4年生の時、「歌スタ!! 」というテレビ番組で最終審査まで進んで、私の歌が地上波に流れたんです。だけどオファーをかけてくれる事務所はなく、そこで夢は終わりました。
納得するところまで音楽活動ができたので、地元に戻ってきて保育士になります。保育士のお仕事は大変で、悩んだり泣いたりしたけれど、子どもと関わるのは単純に楽しかったです。
保育士を経て、心がホッとするカフェをやりたい
26歳の時に結婚しまして、子どもができたら産休を取ろうかと考えていたのですが、なかなか子どもができなかったんです。やがて不妊治療も始めて、病院にも通うけど原因も分からない……。
一回、妊娠の陽性反応が出たときがありまして、すごくうれしかったけれど2週間で流れてしまいました。初期流産はよくあることだけど、すごくすごく自分を責めたんです。なんかね、「わたしは女性として欠陥品なのかな」って感覚になってくるんです。
「ちょっと一回、自分のために時間を使おうかな」と保育園に務めて8年目、ちょうど30歳の時に仕事を辞めました。
仕事を辞めてからは、ゆっくりとした時間を過ごし、遠くの病院に通って妊活をしていました。やっぱり子どもたちと関わりたくて、ベビーマッサージ教室「おうちサロンSpica」を自宅で始めます。
赤ちゃんや親子を招いたイベントを企画しているうちに、「心がホッとしたりワクワクする空間をつくりたい。そんなカフェがあったらいいな」と思うようになります。高山商工会議所の方にもポロっと言っていたみたいで、保育士を辞めて3年目くらいの頃、「『イータウン飛騨高山』に出店しませんか?」とお誘いをいただきました。3番目の妹がちょうど地元に帰って来たタイミングで、「一緒にやってみる?」と誘ってオープンとなります。
わたしも妹も飲食業は初めてで、何から手をつけたらいいのか分からない。けれど、わたしたちが始めるなら果物を使いたい。農業は大変な仕事だと身に沁みて感じているからこそ、そんな苦労があって育てた果物をたくさんの人に味わってほしい。
また、モモやリンゴでも傷がついてしまったり、ちょっと見た目が悪いものは加工用になります。ですが、美味しい味は変わらないからこそ有効活用したいですよね。そんな果樹園の娘だからこその想いがあって、スムージーを提供しようと思い立ったのです。
移動販売車で、飛騨高山の街を走るフルーツカフェBittaへ
大嫌いだった農業で、唯一の楽しみは休憩時間でした(笑)。果樹園にシートを敷いて、木陰でジュースを飲んだりする。すごく楽しくてホッとする時間です。
お店のイメージも果樹園の木の下で休憩して、おままごとをして遊んでいる女の子を想像していたら、「店名は『びった』にすれよ!」と父親から言われまして……(笑)。バリバリの飛騨弁じゃんと思いましたが、なんだか響きも可愛くて、店名が「Bitta」に決まりました。
妹や実家を巻き込んで起業した以上、オープンしてからはがむしゃらでした。ですが、お客様からの感想や励ましといった反応が返ってくることがただただ嬉しくて、ワクワクする気持ちだけで動いていた気がします。
イベントへの出店依頼がポツポツあったのですが、保健所の関係で野外での販売が難しかったのです。そんな折にテレビで観たのが、山梨県の果樹園「モリタファーム」さん。移動販売車で果物ジュースを販売しており、すぐに視察に行きました。
「これだ!」と思ったらすぐに行動するのがわたしたち(笑)。年末にはクラウドファンディングに挑戦し、想像以上に多くの皆さまがご支援してくださり無事に達成。イータウンにお店をオープンしてから一年後、移動販売車が完成します。
しばらくはイータウンの店舗と移動販売車のどっちも運営するものの、大きなイベントの出店だと一人じゃ対応しきれなくて……どうしても中途半端になるのでイータウンを卒業し、移動販売車一本でやっていくことを決意しました。
現在は、平日は「駿河屋エブリ東山店」さんや「アスモ店」さんに出店させていただいたり、実家の果樹園のお手伝いをしたり、久々野の加工場を貸してもらって仕込みをしています。土日は道の駅「飛騨街道なぎさ」やイベントに出店することが多いですね。
果樹は辛抱強くないとできない。飛騨の果物ができるまで
実家の平田果樹園では、朝早くから作業を始めて、暗くなるまで働きます。自然のリズムの中で生きているんですよね。作業のほとんどは、とにかく良い果実をつけて大きく育てるための「選定」作業です。
蕾が着き始めたら間引いて、花が咲いたら間引いて、実がついたら間引いて……収穫後の冬の間も余分な枝を間引きます。虫に食べられないように一個一個袋がけしたり、肥料をまいたり、枝を支えたりと年中ずっとメンテナンスするんです。
飛騨地方の果物が美味しい理由の一つは、朝や夜は寒いくらいなのに昼間は暑い、独特の気温差や気候のおかげです。あとね、雪国だからこその根気強さもあると思うんです。果樹は植えてから何年もかかってようやく収穫できるものだから、辛抱強くないとできないです。飛騨人は果樹向きの気質なのかもしれません。
それでも、これだけの労力と手間をかけているんだから、もっと儲かってもよいのになと思います(笑)。飛騨の果物が有名になって、価値がグーンと上がってほしい。美味しい果物をつくっている誇りは、飛騨の果樹園さんはみんな持っています。
可愛い我が子のBittaが、笑顔を届けるパワースポットになりますように
Bittaにお越しくださる方にはホッとリラックスしてもらったり、メニューを見て「どれにしよう?」ってワクワクしてもらったり、スムージーを飲んで元気になってほしい。そんな移動するパワースポット的な存在になりたいです。
保育園で担任していた子たちが今では高校生になって、スムージーを買いに来てくれるのが変な感じです。「なんで先生、今はこんなお仕事しているの?」と、よく聞かれるのですが、「大人になってもいろいろできるってことなんやって!」と伝えています(笑)。
結婚して10年、わたしは不妊に悩んで、何も生み出せない気持ちをずっと抱えていました。だけどBittaを始めて、別のものは生み出せるんだなって思えたの。それも、どこか遠くから引っ張ってきたものじゃなくて、当たり前のようにこの土地にあるものだったんですね。
これからはBittaや、Bittaを通してできたご縁や繋がりを育んでいきたい。まるでBittaは、可愛い可愛い我が子のような気持ちなのです。姉妹で力を合わせて、今日もフルーツカフェBittaは飛騨の街を走ります。ぜひ、わたしたちに会いに来てくださいね。
まるで果物を育てるように、辛抱強く長い時間をかけて、たどり着いたフルーツカフェBitta。美味しい飛騨の果実で、愛情込めてつくられたスムージーと共に、今日もBittaと山本さんの周りには幸せと笑顔が実ります。
連絡先
山本亜矢子
https://www.facebook.com/ayako.yamamoto.503
フルーツカフェ Bitta
https://www.facebook.com/fruitcafebitta/
Bitta -ビッタ- 飛騨高山の街を走るフルーツカフェ
https://bitta.hida-ch.com/