岐阜県高山市で、銭湯「ゆうとぴあ稲荷湯」やゲストハウス「cup of tea」を経営する中村匠郎さん。
海外の高校・大学を卒業し、コンサルタントとして海外を飛び回るキャリアを積み重ねていた中村さんが、なぜ地元の飛騨高山に帰郷し、「銭湯と宿でまちづくり」を進めるのでしょうか?
中村さんが語る、「ホワイトランドで観光をアップデートする」とは? その真意をどうぞご一読ください。
海外の高校・大学を卒業して、コンサルで世界を飛び回る
高山市で生まれました。実家は曽祖父の代から「ゆうとぴあ稲荷湯」という銭湯を経営しています。小学5年生くらいからずっと競馬が好きで、『ダービースタリオン』という競馬のゲームを毎日2時間きっかりやる。変な小学生でした(笑)。
斐太高校に入学したのですが、親の勧めで高校1年生の7月からニュージーランドに単身留学し、そのまま現地の高校を卒業することになります。
2年半のニュージーランド生活は苦労しました。中学レベルの英語力なので言葉は通じないし、アジア人への差別もある中で友達もあまりできない。全然、華やかな留学生活じゃないです(笑)。
高校卒業後は、アメリカはペンシルバニア州の「ゲティスバーグ大学」に進学します。幅広い教養を身につけるために「リベラルアーツ カレッジ」と呼ばれる、さまざまな学問を学べる大学を選んだのですが、高校生活よりもしんどい日々でしたね……。
学期を通しての成績が平均で70点以下を取り続けると退学になる上に、正解に至るまでの過程の説明が求められる試験ばかりで、図書館の地下の隅っこでひたすら勉強して過ごす大学生活でした。やっぱり、華やかなキャンパスライフじゃないです(笑)。
大学卒業後はビザの関係で日本に帰国して、ビジネス用途に特化したソフトウェアを販売する、IT企業の「日本オラクル」に就職します。ソフトウェア導入の支援をする役割だったのですが、ITはツール(手段)であって、お客さんの業務をどう変化させていくとか、ゴールをどう実現するかを妄想する方が好きでした。会社の中で一番、ITに詳しくない可能性がありましたね(笑)。
気づいたら東京で4年くらい働いていまして、徐々に飽きてソワソワして来ます。そんな折に、「海外でコンサルティングの経験を積みませんか?」と転職のお誘いメールをいただき、どこに行くのかも知らないまま即答して、野村総合研究所のシンガポール拠点に採用されました。
日系企業がアジアに進出する際の、システム導入提案から導入、運用サポートまで行う仕事で、ラオス人の上司と二人でアジアの様々な国を回って、泥臭く活動します。結婚を機に日本へ帰国し、「デロイト トーマツ コンサルティング」に転職。そこでは企業の合併や組織づくりのアドバイザーを行う部署に所属していました。
こんな感じで居住地を転々として、一つのコミュニティに長く属したことがありません。コミュニティの輪の中に入れないのは自分のコンプレックスでもあり、同時に、常に一歩引いて見ている感覚がコンサルという仕事を選んだ理由だったのかもしれませんね。
人間が人間たらしめることを実感できる場所が「銭湯」
両親は僕を海外に送り出した時点で、地元には戻って来るなくらいの感覚で、銭湯も親父の代で潰す予定だったそうです。
東京でも銭湯にはよく行ってたのですが、ある日、若い学生たちが湯船に浸かりながら合コンの反省会をし始めるシーンがありました。「待て待て、若者にとって銭湯はカフェや居酒屋と同じなのか?」そんなヒントもありながら、そもそも週末の銭湯はめちゃくちゃ混むんですよ。シンプルにみんな疲れている(笑)。
つまり、「リラックス」はこれからの社会でますます重要なキーワードになるのではないか。AI(人工知能)やロボティクスに任せることと、人間がやるべきことに分かれていくとして、人間にできることは五感を喜ばせることだと思うのです。だってVRお風呂とか嫌でしょ(笑)。
銭湯は江戸時代も令和になっても裸にならなければいけない場で、人間が人間たらしめることを実感できる場所だと考えたら、これは銭湯超熱い。よし、家業を継ごう!と都合よく考えて帰郷します。
家でゆっくり夕飯も食べられない、多忙な都会のサラリーマン生活に疲れてしまい……家族で商いをしてのんびりと暮らしていた子ども時代の方が幸福度が高いなと、恋しく思ったのも大きいです。
一方で、銭湯を継ぐだけじゃ面白くなくて、自分でもビジネスを始めないとダサいという意識もありました。
当時、高山ではまだ少なかったゲストハウスは、海外経験の長い僕ならばいけるんじゃないかと楽観的に考え、2017年1月に会社員を辞めまして、東京都の2拠点生活しながら開業準備をします。そうして「cup of tea」が生まれ、『銭湯と宿でまちづくり』の始まりです。
飛騨高山の「観光」をアップデートする、二つのチャレンジ
今後、飛騨高山の「観光」に取り組んでいくにあたり、二つのチャレンジがあると思っています。
一つ目は、観光ブームを享受できる人間を増やすこと。飛騨高山が観光やインバウンドで盛り上がるほど、ブームに乗っかっていない人との温度差がどんどん出ます。ホテルなどの宿泊業、飲食業、一部のお土産屋は大盛り上がりだけど、他の産業の方からしたら「渋滞増えるし、外国人だらけで面倒臭いな」みたいな。
この温度差が広がるほどに、街の未来に関心がある人は減り、街としての一体感がなくなり、高山の魅力が薄れていきます。古い町並みのテナントで都会の訳分かんない業者が増えるのも一例ですし、今の観光ブームって、資本主義社会で搾取される構図を作っちゃっているんです。「あれ、観光に関わる地元民さえも意外と儲かってないな……」と。
従来の観光が盛り上がれば盛り上がるほどに、観光地としてのブランド価値も街の寿命も縮まる。この流れを変えたいなと考えています。
まちづくりにおいて「無関心」が一番良くないです。ですが、「無関心じゃダメだよ」と糾弾するのではなく、無関心になってしまう原因を正していかないといけない。つまりは、もうちょっと「観光」が自分たちの生活の下支えになっている実感や、恩恵が得られる仕組みに変えていかなければなりません。
そして二つ目、新しい観光資源を創ることです。
「飛騨高山の観光」と聞くと、高山市民は全員「古い町並み」や「高山祭」を思い浮かべます。その前提で観光のこれからを議論しても、古い町並み界隈の話に限定されてしまい、しまいには「観光地にすること」が目的になってしまいます。
じゃあ、そもそもの観光ってなんでしょうか。観光のもとの意味は「その土地の威光を観察する」です。
これからの飛騨高山は、古い町並みだけにすがっていたらダメです。もちろん、先人たちが築いてきた古い町並みは僕らのありがたい資源なのですが、それは過去の遺産で食いつなぐだけであり、後世に残すものを新たに創り上げないといけません。
新しい光へとアップデートした街に魅力を感じた結果、飛騨高山へ観光に訪れる。そんな資源を作ることができたら新しい産業も発達し、この街の地力がついていくのではないでしょうか。
では、飛騨高山が掲げるべき光はなにか?僕は、これまでの価値観から脱却して考える必要があると思っています。
「どうしたら幸福度が上がるか?」飛騨高山が21世紀のレアキャラとなる
大量消費が肯定される20世紀の資本主義の延長線上で、一部の大国はこれからもどんどん競争していきます。日本がこれからどうなっていくのかを考えた時に、そんな競争社会ではアメリカや中国、はたまたインドには絶対勝てません。
経済大国の価値観から転換して、違うアプローチで生き延びていかなきゃいけない。少子高齢化と人口減少を世界で最初に経験している課題先進国・日本だからこそ、新たな価値観を提案していけるんじゃないかと考えます。
大学在学中にデンマークへ半年間の交換留学をしていたのですが、そこで大きなヒントを得ました。デンマークは世界幸福度ランキング上位を常に争う国で、高い税率の分、社会保障・教育システムが手厚かったりします。しかし、なによりも国民の思想や民度が違うのです。
「自分は何が好きで何が嫌いか」がはっきりしていますし、「どうしたら自分・社会の幸福度が上がるのか」が物事を考える上での前提になっている。
彼らのように、物質的な豊かさよりも、精神的な充足を重視するスタンスを取ることはできないだろうか。経済大国にはできない逆張りの戦い方で、21世紀のレアキャラとなる。北アルプスに囲まれた陸の孤島である飛騨高山だからこそ、独自の路線で、新たな光を見出すことができるのではないかと考えています。
飛騨高山は「ホワイトランド」?銭湯と宿でまちづくり
飛騨高山は「ホワイトランド」だと思うんですよ。競争相手のいない未開拓の市場を「ブルーオーシャン」、逆に競争の激しい既存市場を「レッドオーシャン」と表現しますが、飛騨高山は海もなければ、血みどろもない。なんでも挑戦できる余白がいっぱいあるから超面白い「ホワイトランド」。まあ、僕の造語なのですが(笑)。
自分が手を挙げて、自ら動き出せばなんでもできる土地だと思うのです。それを止める人もいないし、先にやっている人もあんまりいない。本当に面白い街だと僕は思います。
一方で注意が必要なのは、「飛騨の人は地元が大好きだ!」とか「飛騨のまちづくりは面白い!」ってよく言うけど、その飛騨って市民全員ですかね?絶対そんなことはない。誰かを取り残したまま、より良い街にしていこうぜ!と音頭を取るのはあんまり好きじゃないです。
馴れ合いではなく、街に貢献したらしっかりと報酬がもらえる社会にしていかなきゃいけないですよね。
この街をどうやってアップデートしていくか。いろいろと挑戦しながらも、具体的な手法は手探りです。でも、なんだって挑戦できるホワイトランドなのですから。僕はまず、銭湯と宿を拠点に、観光客と地域を繋げるまちづくりを始めます。僕で四代目となる「銭湯」で地元の方を、「宿」では観光客をもてなし、時に彼らが交わることで生まれる化学反応を目の当たりにするのを、とても面白く感じています。
こんなふうに、それぞれのできることで挑戦していった結果、訪れる価値あるその土地の「光」となるのではないでしょうか。それぞれが幸せな生き方を選択した結果、それが土地の光になり、地域の利益としても還元される。そんな街を、新しい世代で創っていきたいと考えています。
誰もが楽しく、ハッピーになれる飛騨高山を。世界中を飛び回り、幸せを追求するために飛騨高山に帰郷した中村さんだからこそ、取材中も一貫して「個人の幸せ」とはなにかを語られました。
では、あなたは「ホワイトランド」でなにを始めますか?どんな幸せを描きますか?
この街で幸せに、楽しく生きるために。アップデートしていくのはわたしたち飛騨人です。
連絡先
中村匠郎
https://www.facebook.com/takuro.nakamura.94
銭湯と宿でまちづくり(ブログ)
https://sento-guesthouse-local.net/
ゆうとぴあ稲荷湯
http://yutopia-takayama.net/index.html