人は必ず社会の役に立つ!あなたの価値はあなたのままでいること!! ー 幅上千賀 (ブライトスタッフ(株) / narrative plus + / キャリアコンサルタント )

「働く」に関するすべての問題解決をサポートするジョブ・カウンセラーの幅上千賀さんを取材しました。

幅上さんは、ブライトスタッフ株式会社 人材事業部で課長を勤めながら、国家資格キャリアコンサルタントの資格を生かして働く人をさらに力強くサポートする「ナラティブプラス」を2018年に開業。

仕事のプロフェッショナルが語る「仕事」とは?そこに至るまでの悩み多き人生とは?ぜひご一読ください。

「昔からお節介を焼くのが好き。今はそれが仕事です」

出身は岐阜県美濃地方です。田舎の方だったので、環境も地域性も飛騨と似た雰囲気でした。私は長女で、弟と妹がいます。責任感もあったし、お節介を焼くのが好きだったから、ミニお母さんみたいな位置付けでした。よく考えたら、今もお節介が仕事ですね。

これまでの人生は、本当にいろいろありましたね。もう笑っちゃいます。

十歳で両親が離婚したんです。父と兄弟と一緒に暮らすことになりました。

離婚って親同士のことだから、子どもからしたら何が行われているんだろう?なにを信じたらいいんだろう?っていう不安があったりするんですよ。中学1年生の頃父が再婚して、急に長女から5女になったんです。姉が一気に4人できました。正直イヤでしたね(笑)。

その後、ソフトテニス部の部活推薦枠で行けるということで、岐阜市にある私立高校に進学しました。

看護師になりたいって夢が当初はあったんですけど、結局高校は2年で中退しました。当時はバンドブームで、インディーズのバンドにはまったりしていましたね。現実逃避的に惹かれたんじゃないかなと思います。なんでも良かったけど、たまたまそれだったんですね。

「19歳、結婚。そこからもがき苦しんだ時期」

私にとってはあまり居心地が良くない家庭環境だったので、18歳になると住み込みで飲食店の仕事をしました。

人の話を聞くことが好きで、お客様の仕事の愚痴もよく聞いていて、「なんとかしてあげたいな。もっと楽しく働いたり生きたりしたらいいのにな」って、若いながらに思ってました。

それから19歳で結婚し、新たな環境で生活することになりました。自分の育った家庭環境の影響で、「お母さんになりたい、家族がほしい」って想いは強かったし、やっと自分の居場所が作れて本当に嬉しかったですね。授かり婚でした。

理想を描いて結婚したんですけど、理想のために結婚してもうまくいかなくて。育児ノイローゼ気味になりながらも親には頼れず……。3年で離婚することになり、母親が当時高山にいたので幼い息子と飛騨に来ました。

始めはファーストフード店で働いていましたが、生活していくには苦しかったので、医療事務の資格を取るために勉強しはじめました。その頃、今勤めているブライトスタッフを紹介してもらって登録したら、しばらくして病院内の受付事務の仕事が見つかりました。接客以外の仕事ははじめてだったし、人間関係も大変。もう、いっぱいいっぱいになって。「ブライトスタッフで勤めないか」と誘われ、27歳の時に転職しました。

ブライトスタッフでは働く人の就労に関する支援をし、企業に対しては人材不足の解消を手助けします。双方のマッチングも行っていて、私はそこで、コーディネーターのお仕事をし始めました。でもまた、人間関係がうまくいかなかったんですね。

引きこもりで鬱気味になり、自分も無理、子どものことなんてもっと無理、どうしていいかも分からないのにプライドが高くて「助けて」とも言えない状況になりました。自分の人生でも辛くて苦しい時期でした。

「人生のどん底が転機。心理学で好転」

もう、人生どん底。でも、そこが転機になります。

友達の紹介で、カウンセリングをしてもらえる所に行ったんですね。そこで初めて自分自身を見ていくことをして、「私ってどんな人間なんだろう?」と、客観的に自分を分析したんです。

もともと悲劇のヒロイン体質があったんですけれど、その被害者意識も転換でき、人間関係で苦労した理由も理解することができました。幼い頃から人の話を聞いていろいろと自分なりに分析したり、物事の表面だけではなく背景を想像したりはしていたので、心理学はすごく自分に合っていたと思います。

「自己分析って面白い!仕事にも役に立つから心理学を勉強してみよう!」そう思ってNLP(神経言語プログラミング)の資格とTA(交流分析)の資格を取りました。

この少し前に再婚もして、人生の流れはここで大きく変わります。この時32歳で、その後、娘もふたり授かりました。まさに、昔からの「幸せな家庭を作りたい」は、ここで叶いましたね。

プライベートで「安心できる居場所」ができるのと同時期に、お仕事でももっと働く人の役に立ちたい!という気持ちが生まれ、国家資格のキャリアコンサルタントを取得しました。

ブライトスタッフに籍を置きながら、キャリアコンサルタントの資格を生かしてできるコンテンツを新たに備えた「ナラティブプラス」を2018年9月、副業で開業。カウンセリング、キャリアコンサルティング、研修講師などを行っています。


カウンセリングをしてじっくりお話を伺い、その方の特性を見ながら、どういう道で人生を設計していくのがベストかを考える。人生と仕事と生活の設計士として、働く人をサポートするのが主な仕事です。

私は、働く人にはアドバイスしかできないと思っていて、サポートに徹することにしています。人生は自分で選んでいってほしいし、皆さんその力はあるんですよ。

「価値のない人なんて、絶対にいない」

開業に踏み切れた原動力になったのは、「皆に楽しく生きてほしい」という想いです。人生につまずいた私ですら、楽しさを見い出して幸せになれたし、これまでたくさんの悩みを聞いてきたので、それに対して最大限できることをしたいと思いました。

仕事は、生活の一部だと思うんです。そして社会の一部、地域の一部。溶け合って混ざり合う中に私がいる。私の居場所がある。

昔から探してきた私の居場所はどこ?私の価値は何なんだろう?私ってなんなんだろう?という不安や寂しさの謎解きの答えがここに見つかりました。

そして、仕事を通して、私が私らしくあることが誰かの役に立つ。という想いも生まれました。

自分が関わった方が、仕事と生活が楽しいって感じていただけているようなサポートが出来た時がいちばんうれしいですね。お節介焼くのが好きな私の特性が仕事になっているから、仕事、楽しいです。

皆そんなふうに特性を持っていて、価値のない人なんて絶対にいません。でも、ひとりでやれることは限られているんですよ。自分らしく輝いている人たちが手を取り合っていいものができればいいなぁって思ってます。

「人生のどん底を経験し、這い上がった自分だからこそできることがある」

現在は住んでいる飛騨高山は商い人が多い活気ある街。仕事が楽しい!って生き生きしている人がさらに増えるよう、私もできる限りのサポートをしていきたいです。

今は活動の場を拡げ、飛騨地域のいくつかの就労支援団体さんとの連携をとりながら、引きこもりや、軽度精神疾患の方の就労サポートも微力ながらさせていただいております。

他にも“自分の気付き、ハラオチ”がどの瞬間なのかをディスカッションし、価値観を楽しむ「はっとなーる」というコミュニティを有志3人で立ち上げ、様々な方と価値観や学びを共有しあったりもしています。

私には、やりたいこともやらなきゃいけないこともたくさんあります。でも、できることはやるけど、できないことは無理してやらないようになりました。今ではすっかり甘え上手です。その方が、自然と良い役割分担ができるんですよね。ひとりの女性として、私が幸せでいることが皆の幸せでもあると思うくらいでいいと思ってます。

こんなふうに過去を笑って話せるようになったのはごくごく最近。もう生きていけないって思ってた時期もあったけど、これまでの人生が今に繋がっていて、自分の人生これで良かったなと思ってます。

人生のどん底を経験し、這い上がった自分だからこそ「私でもできたから大丈夫!」って言えます。皆それぞれ輝ける価値があるんです。私はそれを信じています。

「これまでの人生は、本当に色々ありましたね。もう笑っちゃいます」

幅上さんのそんな言葉がありましたが、そのいろいろを完全に肯定、昇華できていることが伝わるようなインタビューでした。

自分の人生を肯定できている人は、他者にも肯定感を持って接することができるのだと思います。

「働くこと」で困ったら、ぜひ幅上さんを訪ねてみてください。優しく力強くサポートしてくれると思います。

「まち」は「皆の仕事」で作られているのかもしれません。これから楽しく仕事ができる人がもっともっと飛騨に増えたらいいなと感じました。

連絡先

幅上千賀 (はばうえちか)
https://www.facebook.com/chika.habaue

この記事を書いた人

ライターMEGU

ライターMEGU

ライターMEGU (あかおめぐみ)
フリーライター、カウンセラー、中日新聞高山北部専売店記者、マリエクチュールスタッフ

高山生まれ高山育ち。文章を書くことと対話が大好きです。