プロのスノーボーダーから木工仏壇職人へ。心と向き合い、カルチャーを楽しもう ー 堀尾宗弘 (仏壇工芸ほりお)

「有限会社 仏壇工芸ほりお」で木工仏壇職人として活躍する堀尾宗弘さん。家業を継ごうと決意される前には、Burton Japanと契約しプロのスノーボーダーとして世界中で活躍されていました。

プロのスノーボーダーから木工仏壇職人へ。一見、謎の転身を遂げた堀尾さんの、実は一貫している想いとは?荒波を乗りこなしてきた半生をどうぞご覧ください。

ヤンキーからスノーボーダーへ。人生で初めて熱中した「横ノリ」カルチャー

高山市大新町で生まれました。4人兄弟の末っ子で、小学校の頃からやんちゃで手に負えなかったらしいです。家業は手作り仏壇の製造や販売を100年以上営んでおり、生活の一部に木工がありました。

「お前は木工職人になるんやぞ」と言われて育ったのですが中学時代が荒れてまして(笑)。立派なヤンキーに育った私は内申点が低く、日中は食品加工の仕事しながら定時制の高校に通いました。ファッションも田舎のヤンキーだったのですが、徐々にストリートカルチャーに興味を持ち出して、その流れでスケートボード(以下:スケボー)に出会います。

初めて人生で熱中できたのがスケボーで、働きながらスケボーに興じる日々です。その当時、髪の毛を赤や緑、金髪に染めていたために飛騨では相当目立ったのか、横ノリ繋がりでスノーボード専門店「パイルドライバー」の社長が「店長をやらんか?」と声をかけてくださって、勤め始めたのが19歳の頃でした。

スノーボードの専門店は当時では珍しく、冬になるとスケボーができなくなるので、僕も自然とスノーボードを始めました。

飛騨の若者に、カッコいい「横ノリ」カルチャーを普及させたい。いつか自分もお店を持ちたい。そんな想いから練習していたため、プロの選手を目指すだなんて全く考えていなかったです。しかしその当時、スノーボードはまだ歴史が浅かったこともあり、有名メーカーである「Burtonバートン)」の選考会に出たら候補者に選定され、アマチュアとしてですが将来性を買われ、ショップ店員兼アマチュアライダーとしての活動を始めます。

お店が午後からの営業でしたので、毎朝ゲレンデで練習していました。10代は遊び呆けていた分、20代はストイックに毎日頑張ろうって気持ちになり、徐々にプロの道も意識し始めます。ですが、21歳の時、当時はアンダーグラウンドな進路ということもあり、このままスノーボーダーとして生きていけるのか不安で、家業を継ごうと新潟の仏壇屋さんで修行したのです。夏の間、木工職人として修行していたのですが、「なにか違う……これは逃げだな」と逆に迷いが取れ、親方に頭を下げて帰って来ました。

プロを目指す覚悟でパイルドライバーを辞め、日雇いアルバイトでお金を稼いで海外へ遠征します。アメリカのオレゴン州やスイスに滞在する中で、現地で受けた刺激は大きかったですね。才能がない分、人より努力するしかないですし、まずは全てを投げ打ってでも、世界で一番良い環境に身を置くことは重要です。自分の視野や枠が大きく変わります。

プロのスノーボーダーが飛騨高山の木工職人に転身した理由

日々のトレーニングを重ね、「日本スノーボード協会(JSBA)」の東海地方のアマチュア代表として出場した競技で結果を残し、正式に「プロスノーボーダーズ アソシエイション アジア(PSA-ASIA)」に登録させていただき、プロのスノーボーダーとして登録しました。

とは言え、契約金なんてしれていますし、車の免許取得や恋愛同じでここからがスタートなんですよね。相変わらずバイトしながら、イベントや大会に出て結果を残し、少しずつ契約金を増やしていきました。そこまで華やかな業界じゃないんです(笑)。自分で企画を練って営業をかけることは基本ですね。

運良く、順調にプロとしてキャリアを重ねながら、いくつかのスノーボードメーカーと契約して、13年間プロスノーボーダーとして働きました。この頃には6社と契約し、仕事もたくさんいただけて、今よりはるかに良い給料と時間の余裕がありましたね。

実は、アラスカがボード乗りの聖地なのです。ヘリコプターでアラスカの山頂に登り、山々を滑り降りるのがボード乗り共通の憧れ。僕も念願叶って撮影で行ってみたら……突き詰めたくなってしまったのです。人生をスノーボードに捧げて、アラスカに移住しようか?だけどアラスカに行くと、多分普通の家庭は持てない。このとき僕は35歳、やっぱり自分の家庭をもって子どもが欲しいなと思いました。

実はその頃、親父が岐阜県内でも最後の仏壇木工職人ということで卓越技能者表彰をいただきまして、それでようやく気づいたんです。

ここにはないなにかを求めて海外を飛び回り、いろんな国を見てきたけれど、足元を見たら地元の飛騨はすごくイケてる街だということ。そして自身がプロとして一つの道に挑戦してみて、照れくさいですが、地元を支えながら木工を極めた職人である親父へ尊敬と憧れを抱いていること。

横ノリ文化に憧れた時もスパッとヤンキーを辞めましたが、当時も同じように仏壇工芸職人になるためにプロを引退しました。今では12年経ち、プロスノーボーダーとしてできる範囲ではありますが活動しています。

35歳で飛び込んだ、木工職人の世界とカルチャー

仏壇工芸ほりおではお仏壇の製造販売だけではなく、古くなったお仏壇の「お洗濯」や「社寺仏閣の復元」「神輿の修復」など、飛騨の匠の技術を受け継いだ仕事をしています。

そんな木工の世界に35歳にして飛び込み、1から修行して職人を目指すわけです。まずは一日中座って作業することを覚えました。雪山を飛び跳ねていた僕にはすごく苦痛でしたね(笑)。親父の技を見ながら、お仏壇の構造や木材の違い、道具の使い方やメンテナンス方法……覚えなきゃいけないことはたくさんありました。

また一般の方にはなかなか知られていないのですが、彫り師、木地師、貼り師、金具士、塗り師と工程ごとにその専門の職人がいらっしゃるんですね。そうした木工業界の専門知識を知り、職人の卓越した技術を目の当たりにするほど、「このカルチャーも興味深いな」とどんどん引き込まれていきます。

例えば、お仏壇の「お洗濯」では、古くなってしまったお仏壇を解体して、金具を外して専用の薬液で洗います。加えて、ネズミが噛んだ箇所や壊れた箇所、細かい歪みを修繕するのですが、数十年、ともすれば100年以上前のお仏壇の修繕になるので、臨機応変な技術が必要となります。

木の木目を読んで寸法を調整したり、素材に合わせて使用する金具や塗りを変えたり……言い出したらキリがないのですが、一人では到底できない工程をそれぞれの分野のプロフェッショナルが協力して、修繕や製造をしているのです。

最近では、飛騨を代表する伝統工芸「春慶塗」の職人さんとコラボさせていただきました。さまざまな展示会や都市部の高級店に置かせていただいております。ちゃっかり春慶塗り仕様のスノーボードも製作しました(笑)。

横ノリカルチャーの年に一度の最大級イベント「インタースタイル」。国内外から数万人が集まるこのイベントにも、シューズメーカー「keen」の協力で展示させていけだました。スノーボーダー時代の繋がりや企画力をこうして活かせるのもうれしいですね。

お仏壇は祈りの所作を生むきっかけ。自分自身と向き合う時間をつくりたい

今の時代は床の間がない住居も増えてきていますし、核家族化によって「本家にあるからいいや」と仏壇が小型化したり、そもそも置かないご家庭もあります。言ってしまえば、縮小傾向にある業界です。

「じゃあ、『飛騨の○○』ブランドで全国展開しよう!」というのが、さまざまな業界でよくある発想ですが、実はお仏壇は地域ごとによって宗派があり、大きく価値観が違うんです。例えば、名古屋のお仏壇はキラキラしていることが多く「もっと金箔を光らせて」とか言われますが、飛騨では逆に木目を出すシンプルな塗りが基本です。ですから、「飛騨の仏壇」とブランドを銘打っても売れないのです……。

そうした事情があるのですから、この飛騨地域に根ざして続けていくしかありません。逆に言えば、お仏壇を修理するにはその地域の事情に精通した仏壇店じゃないと難しいのです。飛騨は本当に立派なお仏壇を、先祖代々大事にされている方が多いので、わたしたちも技術を衰退させるわけにはいきません。

お仏壇は生まれた時から当たり前にあって、僕自身必要性がよく分かりませんでした。祀ってあるのが神様なのか、仏様なのか、ご先祖様なのか?それは宗派にもよりますが、現世を生きる人の幸せが一番大事だと僕は考えています。ロウソクを点けて、線香を焚いて、手を合わせた瞬間に自分自身と向き合える。瞑想やヨガと一緒で「内向」の時間なのですね。忙しい中でも、しばし立ち止まって無になる時間があれば、自分の今の心のポジショニングも分かります。

もともとお仏壇は、寺社仏閣の家庭内出張所ですからね。やっぱり背筋がピシッとなる迫力や拝みたくなるような厳かさを、彫りや装飾で表現したい。祈りの所作を生むきっかけとして、日々の平穏や幸せの一助になれたら嬉しいですね。

プロのスノーボーダーから木工仏壇職人へ、荒波の半生を乗りこなしてきた堀尾さん。一貫しているのは心と体のバランスを保つことと、心の底からカルチャーを楽しんで極めること。

自分の心と日々向き合い、目の前のカルチャーを楽しむ。堀尾さんのストーリーは飛騨高山でまだまだ続きます。

連絡先

堀尾宗弘(ほりおむねひろ)
https://www.facebook.com/munehiro.horio

@komekamichoppers
https://www.instagram.com/komekamichoppers/

有限会社仏壇工芸ほりお 公式ホームページ
http://horio.co.jp/index.shtml

この記事を書いた人

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丸山純平

丸山純平(まるやま じゅんぺい)
高山市出身。株式会社ゴーアヘッドワークス 企画/ライター
ヒダストのほぼ全ての記事を書いています。
最近は飛騨ジモト大学の事務局も担当。
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