必ず、大好きな飛騨へ帰ってくる ー 坂下拓夢 ( 大正大学地域創生学部1年 / 元YCKプロジェクトリーダー )

 

古川祭をこよなく愛する、大正大学1年生の坂下拓夢くん。YCKプロジェクトを軸に地域で挑戦した青春と、今後の希望に満ちた展望を伺いました。飛騨にはこんなにも、志高い若者が生まれている。坂下くんへの期待と応援も込めて、ぜひともご覧ください!

やんちゃだけど、真っ直ぐだった少年期

飛騨市古川町で生まれました。チャンバラごっこが大好きな、活発な子どもでしたね。おもちゃの剣をたくさん持ってて、飛騨古川駅前を走り回っていました。祖父母の実家は河合町にあり、週末は遊びに行っていたので自然にもたくさん触れながら育ちました。

 

中学校では担任の先生と折り合いが悪く、今でこそお恥ずかしいのですが毎日反抗していました。だいぶ丸くなったなと当時の同級生には言われます。本当に反省しています。

そんなやんちゃな僕が変われたきっかけは、給食の配膳です。僕のクラスは配膳を完了させるまでのスピードが一番でした。それを仕切っていたリーダーシップを先生が見てくれていて、「お前は口は悪いしすぐに喧嘩する、態度も悪い。だけど給食委員長やってみんか?」と声を掛けてくれたんですね。

 

それで給食委員長を頑張って務めていたら「体育祭で応援部長をやってくれんか?」と誘われました。応援部長は団長の次に責任の重い立場。「じゃあやります!」と挑戦した経験が今に繋がっています。僕の変化に親が一番びっくりしていましたね。

 

進路選択ではとっても悩みました。僕の父が土木関係の仕事をしていて、密かに憧れていたんです。道路を作ったり、長く使ってもらえるように修復する仕事。縁の下の力持ちってカッコいいな。土木関係の道に繋がる進路も考えながら、でも地元が大好きだったので、地域に関わり貢献できる機会が多そうな吉城高校にも惹かれていました。

 

 

最終的に決めた理由は、すごくお世話になっていた国語担当の先生です。吉城高校理数科の一期生だった先生は、当時母校の現状を寂しく思ったのか「吉城高校はポテンシャルがあるから、お前が進学したら絶対変えられるのにな。」と言ってくださったんです。その瞬間に火が着きました。

受験の面接でも「僕が吉城高校を変えます!」と熱く宣言し、無事に合格したのが大きな一歩目でした。

人生が動き始めた吉城高校での経験

熱く宣言しながらもきっかけを掴めず、入学して最初の一年間は普通の高校生活を送っていました。そんな時に、地域の大人を高校にお迎えしてご講演いただく機会があり、今ではYCK(吉高地域キラメキ)プロジェクトを先導する関口祐太さんと出会いました

初対面の関口さんから「今度イベントやるから来てよ!」と誘われたのが、地域の大人との対話の場づくりでした。怪しく思いながらも行ってみたら、全く知らない大人の人たちが、僕の話を真剣に耳を傾けて受け入れてくれたんです。そんな場も経験も、顔の筋肉が疲れるくらい笑ったのも初めてで、すごく安心できる時間でした。

何回か地域の大人たちとの対話の場に参加しながら、ちょうど僕が入学した年度からYCKプロジェクトが始まっており、いくつかボランティアイベントは走っている状況でした。

 

地域の大人たちに影響を受けた僕はその年の文化祭で、地域の大人を巻き込んだ特別企画を立ち上げます。「飛騨の匠の技を学ぶ」をコンセプトに、地域の方にご協力いただいて制作したシーソーを展示しました。金具は真ん中部分にのみ使用し、その他は全て飛騨の匠が成せる技「木組み」で作られた特注シーソーです。一般公開までは至れませんでしたが、こうした前例を創っていったことが後の活動に繋がっていきます。

 

 

そして後期には僕が生徒会長を拝命し、生徒会としてもどんどん地域に飛び込んで行くスタンスで活動していました。僕が地域の大人との対話の場に参加していることを先生も知って、吉城高校での職員研修を関口さんに依頼されたんです。そうして創られた先生たちと地域の大人の対話の場。先生方も地域の声を、地域側も先生の想いを聞きたい流れが生まれていました。

年度終わりの2月には、ついに吉城高校内で関口さんが主催する対話の場づくりが行われました。高校内部で、高校生と地域の大人が楽しそうに会話している光景はたまらなかったですね。こうしてYCKプロジェクトの地盤となる、高校と地域の協働体制ができていきました。

古川から飛騨地域、そして東京へ

以前から、高校生で地元の情報発信に関わる活動をしたい気持ちがありました。そうしたら修学旅行中にたまたまYahoo!ニュースを見て衝撃!斐太高校生が「学生団体HIDAKKO PROJECT.」を創設して、高校生だけでフリーペーパーを作ったニュースを見たんです。すぐに斐高の友人に問い合わせてメンバー募集の説明会に参加し、団体への加入を即決しました。

生徒会活動も自分たちの知らないところで先生方のご尽力がある。しかしHIDAKKOは、完全に自分たちの責任で行う活動です。みんなで議論を重ねながら、フリーペーパーをゼロから創り上げる経験はかけがえのない時間でした。

古川町しか見えていなかった自分の視野の広がりを感じながらも、一番の収穫は志の高い同世代の仲間との出会いですね。特に最も刺激を受けたのは、当時斐太高校1年生だった鈴木日菜子ちゃん。「こんな後輩がいるのか!!」負けていられないなと気合いが入りました。

 

 

悪戦苦闘しながらフリーペーパーを創り上げた後、丸山純平さんのお誘いから東京で行われたTHINK BIG CAMPに参加しました。全国から選抜された熱い高校生が、5日間かけてチームでビジネスプランを考えるイベントです。

全国から集まった高校生はみんな自分の活動・軸を持っていました。しかし当時の僕は地元への想いのみ。活躍する周りと比べて劣等感を抱きながら、同時にきっと自分にもできると勇気をもらいました!

 

 

熱海を舞台に「人と地域の可能性を引き出す」をテーマに挑戦した5日間。苦しい時間もあったけれど、高く広い視座から考える。まさにTHINK BIGを意識することの大切さを身に染みて学びました。共に挑戦したチームメンバーとの繋がりは今でも続いています。

メンターで伴走してくださった竹田和広さんとの出会いは、大変尊敬しながらも、師匠でもあり、先輩でもあり、友人でもあるような・・不思議な関係性。本当にありがたいご縁で、これからもお世話になり続けていくんだろうなと確信しています。

 

そうして古川から全国へと、視野や繋がりが広がっていく高校2年生の終わりでした。

やり切った最終ミッション「三寺まいり」

高校3年生時はついにYCKプロジェクトが本格的に始まりました。高校側がもっと地域に関わりたいリーダーを募集し、2・3年生から15人ほど集まった中で僕が統括のリーダー。

グループワークや研修を中心に前期は終わりましたが、最終ミッションとして提示されたのが、飛騨古川に200年以上も伝わる伝統行事「三寺まいり」の課題を見つけだして、それを解決しよう!というもの。

参加者の笑顔を見ることをゴールに掲げて、じゃあどういう課題があるんだろう?模索する日々が始まりました。

 

三寺まいりは毎年一月十五日に行われる、町内の3つのお寺を参り、瀬戸川へ願いを込めた灯篭を流す伝統行事です。街中に並べられた、雪像蝋燭の火が幻想的に灯ります。

各お寺の住職さんや観光協会の方に直接ヒアリングし、集めた情報をもとにみんなで課題を考えました。面白かった視点は、YCKのボランティアで関わっている老人ホーム入居者のサポートです。なかなか外出できない入居者の方は当日寂しいんじゃないかな。その視点から老人ホームを高校生で訪問して、祈願代行をしたらとっても喜んでいただけました。

 

もう一つの課題は。本来の三寺まいりの意義が忘れられていること。本来の意味や意義を、次の世代へも伝えていきたい。ただ伝えるだけじゃ面白くないので、小学生向けに高校生がクイズを交えながら説明していく、歴史探検スタンプラリーを企画しました。

 

一ヶ月半の準備期間の中、高校生で地域の大人たちと交渉し、小学生も巻き込むので安全を考え、責任の所在もシビアに想定。一番大変だったのは、運営チームの中での合意形成です。それぞれの選択肢にメリット・デメリットがあるから意見も割れるし、立場によって優先度も違う。今まで培ってきた対話力をもとに、メンバーが納得できる答えをみんなで導いていきました。

 

 

そうして入念な準備を経て迎えた当日、企画は無事に進行し、参加者の笑顔をたくさん見ることができました。地域の方や先生方の笑顔も溢れていたので、ミッション達成率は120パーセントくらいですかね。

 

次年度のYCKプロジェクトにも繋がる大きな成功体験でした。入学時の決意を、最後にようやく形にできたのかなと思います。

 

浦崎教授との出会いから、地域創生学部へと。

高校卒業後の進路選択にあたっては、元々日本史が大好きで、尊敬する教授のもとで歴史を学ぶことを第一志望にしていました。地方創生にも興味は出始めていたんです。

そうしたら高校3年の4月に、大正大学の浦崎太郎教授が飛騨市にいらっしゃいました。関口さんに紹介していただき、こういう大学・学部もあるのかと知り、とりあえずオープンキャンパスに行ってみたんです。そうしたら初対面の先輩方に「坂下くんだよね?」と声をかけられました。浦崎先生が根回ししていたんですよね。

先輩方とのコミュニティや、かなり実践的な地域実習の内容にも興味を抱き、ギリギリまで迷って大正大学を受験します。無事に合格して、この4月からは初めて親元を離れ、東京での一人暮らしが始まりました。

 

 

東京でも飛騨に関わり続けたい想いから、飛騨居酒屋蔵助でバイトさせてもらっています。そこで岐阜県東京事務所の方と繋がり、「岐阜学生の会」のネットワークにも関わらせていただくなど、東京と岐阜県を繋ぐ役割を担えることが嬉しいです。

 

今は想像以上に大学の授業が忙しく、もうすぐ長野県小布施町で一ヶ月以上の地域実習が始まります。大学生活は始まったばかりですが、充実した日々を送れることに感謝しかありません。たくさん吸収して、また飛騨に還元していけるように頑張ります。

 

必ず、飛騨へ帰って来る。

飛騨市で一番好きな場所は、やっぱり「気多若宮神社」です。小さい頃は遊び場だったけれど、高校生になってから大事な場所に変わりました。社殿へ向かう階段を登りながら、いろいろ考え事をするんです。でも階段を登り切って本殿を見た時に、まるで神様と一対一で向き合っているような、真っさらな気持ちになれるんです。今後も変わらない大事な場所ですね。

 

大学4年間で決めていることは、毎年必ず「古川祭」に出ることです。祭を好きになったきっかけはよく覚えていません。僕の町内の屋台はからくり人形がついているのですが、小さい頃から親に肩車されてその真似をしていたそうです。

 

祭りの一番の魅力は街の人みんなが、祭を楽しんでいることです。起こし太鼓なんて裸であんなにもみくちゃになって、実際すごく痛いんですけど、その目はキラキラと輝いている。だから僕はそんな熱過ぎるくらいの想いを持って、祭に関わる方々を尊敬しますし血が騒ぎますね。来年の祭には大学の友人をたくさん連れて参加したいです。

 

 

そんな大好きな飛騨に、必ず帰ってくることも決めています。でも飛騨のために自分だからこそできるアプローチはなんだろう?まだはっきりとは分かりません。今は自分の興味あることにどんどん挑戦して、視野を広げ、たくさんの経験を積みたいです。

 

この街で18年間育って来て、いろんな人に迷惑をかけて怒られて、それ以上に楽しいことも教えてもらいました。自分も飛騨で、次の子どもたちに返していく番だと思っています。まだまだ未熟だから胸を張って言えないけれど、次世代へ貢献できるくらいの人間になるために今は日々を積み重ねていきます。

 

 

必ず、飛騨へ帰る。真っ直ぐな郷土愛を強い意志に変えて、坂下くんの挑戦の日々は始まったばかりです。飛騨の外で器を大きく大きく成長させた先に、どんな未来が待っているのでしょうか。飛騨にも、確かな希望が生まれています。

連絡先

坂下拓夢(さかしたたくむ)

https://www.facebook.com/takumu.sakashita

岐阜県立吉城高等学校 公式Facebookページ

https://www.facebook.com/yoshiki.highschool/

 

HIDAKKO PROJECT. 公式Facebookページ

https://www.facebook.com/hidakkoproject.31/

 

MAKERS UNIVERSITY U-18 THINK BIG CAMP 公式Twitter

https://twitter.com/etic_mu_u18

 

 

この記事を書いた人

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丸山純平

丸山純平(まるやま じゅんぺい)
高山市出身。株式会社ゴーアヘッドワークス 企画/ライター
ヒダストのほぼ全ての記事を書いています。
最近は飛騨ジモト大学の事務局も担当。
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